終章 旅立ち①


「リュー君、もうすぐ出航の時間だよ!早く早く!」


「おー、今行くからちょっと待てって」


 無人の通路にアリサの溌剌とした声が響く。


 セロスとの激戦から一週間後。怪我の治療や諸々の後始末、事務処理を終えた二人は太平洋沖の人工島にある翼宿学園に向かうため、東京港の客船ターミナルを訪れていた。


 ここは関係者以外立ち入り禁止の特殊エリア。


 すでに龍厳やアリサの家族には別れの挨拶を済ませてある。夏休みには絶対に戻ってきてねと二人に縋り付く真唯を引き剥がすのに手間取っていたら、いつの間にか出航予定時間間近になってしまっていた。


 事前に渡されていた地図データを頼りに無人の通路を進んでいく。やがて見えてきたのは、外見は他と何ら変わりのない中型客船一隻と、その乗船ゲートのそばで待ち構える二つの影。


「よう、二人とも。龍也、怪我の具合はどうだ?」


 そのうちの一人、平賀が二人に手を振り気さくに声をかけた。


「一応もう回復してる。四日はベッドから出られなかったけどな」


 セロスとの戦闘終了後、大小無数の負傷による失血と魔力不足によりそのまま意識を失った龍也は、丸二日の間昏睡状態に陥っていた。意識を取り戻した後は持ち前の頑健な肉体と魔力を用いた自己治癒による常人離れした回復力によって、あっという間に病院から脱出していたが。


 彼の隣に佇んでいた土御門がアリサに視線を向け、


「天壌さん。その後、フィリアさんとの意思疎通は問題なく図れていますか?」


「は、はい。基本的には私の奥に潜っている感じなんですけど、呼びかければちゃんと応えてくれるし、たまに自分から出てくることもあります」


 少し緊張した面持ちで答えたアリサに、土御門は満足げな頷きを返す。


「そうですか、それは結構。あなたとフィリアさんの関係性は、今後状況が変わっていくにつれて重要性が高まっていくと思われます。くれぐれも良好な関係が崩れることのないよう注意してください」


「わ、分かりました!」


 続いて、土御門は船を見上げていた龍也に視線を投げる。


「神代君。私は別件がありますので、もう少々本土に残ります。分かっていると思いますが、くれぐれも──」


「ああ、あんたが戻ってくるまでは大人しくしてるよ。そっちこそ分かってるんだろうな?例の──」


「ええ。『神代龍也が翼宿学園理事長、土御門咲耶に自身への基本的な命令権を明け渡す代わりに、天壌アリサへの人道を無視した実験等を禁止し、それに伴う軍部や政府への根回しおよび牽制を行う』ですね。すでに水面下での作業は始まっています。私の権限の及ぶ範囲の事は全てお任せください」


「……ならいい」


 頷いた龍也に、今度は平賀が声を掛ける。


「俺とも一旦ここでお別れだ。あの街での仕事はもう終わったが、まだ日本には野良のデモニアが何人か残ってるからな。そいつらの説得に行かなきゃならん」


「そうか。ようやくお前と縁を切れて清々するぜ」


「お前とは結構長い付き合いだったが、ついにデレさせる事はできなかったな……。おっと、お二人さん、そろそろ出発時間じゃねえか?」


 龍也の塩対応にげんなりした顔を見せつつも、すぐに持ち前のにやけヅラに戻った平賀はちらりと腕時計を見やりつつ言う。


「わっ、本当だ!それじゃあ平賀さん、お世話になりました。リュー君、行こ?」


「ああ。……じゃあな、平賀」


「応。二人とも、精々早死しないように気を付けろよ」


 タラップを渡って船内に姿を消した二人を見送った平賀は、やれやれとため息をついた。


「やーっと超弩級の問題児から解放されて肩の荷が下りたぜ。後はよろしく頼むわ、理事長さん」


「ええ、長期間に渡る任務お疲れ様でした。平賀特務代行者」


「はいはいどーも。つってもまだこの前の戦闘の後始末が終わってないんだけどな。ったく、最後にどでかい置き土産を残していきやがって……」


 そうぼやく平賀に、土御門は平然とした顔で、


「あの程度の被害、能天使を討伐できたことを考えるならゼロと大差ありません。もし自衛隊の特殊部隊に委任していたら、最低でも結界内の区域は更地になっていましたよ」


「……改めて考えると、龍也ってガチでやばい奴だったんだな……」


「今後のこの世界を支えるための重要な戦力である事は間違いありません。……やや操縦性に難があるのが欠点といえば欠点ですが」


 汽笛とともに発進していった客船を眺めつつ、平賀はポツリと呟いた。


「……あいつらもいなくなった事だし、一応聞いておく。──あの嬢ちゃんにフィリアと契約するように唆したのはお前か?」


 いつになく真面目な声で尋ねてきた平賀に、土御門は動揺を見せることもなく答える。


「いえ、違いますよ。あの選択は、彼女達が自らの意思で選んだものです」


「結果だけ見れば、翼宿学園は神代龍也という規格外の戦力を天壌アリサという首輪付きで確保した形になった。偶然で片付けるには、些かあんたに都合が良すぎるんじゃねえか?」


 平賀の指摘に、土御門は困ったような笑みを浮かべる。


「確かに、そういった視点から見れば、あなたの指摘は至極まっとうなものなのでしょう。ですが、今回の私は本当に何もしていないのですよ。天壌さんとフィリアさん、そのどちらにも私は個別の接触は行なっていませんし、人間と天使間の契約に関する情報なども伝えていません。現に私は、彼女達が契約を交わしたと戦闘終了後に報告を受けるまでは、フィリアさんと契約を結んでもらう人材の選別に勤しんでいたのですから」


 しばしの沈黙。


「…………あんたがそう言うなら、そういうことにしておこう。俺には確かめる術も義務もないからな」


「ええ、そうしてもらった方が徒労が減っていいでしょう。ところで平賀さん。あなた、事前の報告書で天壌さんを刺激し過ぎないよう注意しろ、といったようなことを書いていましたね?」


「ああ、あの嬢ちゃんは龍也が絡むと何しでかすかわからないところがあったからな。それがどうかしたのか?」


 やや急な話題の転換に、平賀は首をひねりつつも答えを返す。


「いえ、要注意とは聞いていましたが、正直予想以上だったなと思いまして」


「……どういうことだ?」


「今回の一件を彼女の目線から辿ると、少々空恐ろしい仮説が浮上してくるのですよ」 


「……アリサの目線から、ね。まず、天使と人間の戦争を止めるとか言ってる天使と遭遇するだろ。次にあんたが現れて、龍也が天使を街に引き寄せていると知る。で、龍也と一緒に学園に行こうとするが拒否られて落ち込んでるところに天使が急襲。結界が発生して一度範囲外に避難。だが、龍也と天使の戦闘中に結界内に侵入して致命傷を負う。運の良いことに彼女には天使憑きとしての適性があったので、フィリアと契約して一命を取り留める。天使憑きになったので龍也と一緒に学園に行くことになる。って感じか」


 指折り数えながら時系列順に彼女の行動を列挙した平賀は少しの間考え込み、何かに気付いた様子ではっと顔を上げた。


「────おい。まさかあんた、アリサが龍也と一緒に学園に行く資格を得るために、自分が天使憑きになるように仕向けたとかって言うつもりじゃないだろうな?」


「少なくとも、その仮説を否定できる証拠はありません。彼女が何故あのタイミングで結界内に侵入したのかも定かではありませんし」


「……それが事実なら、彼女のあの負傷は自ら進んで受け入れたものってことになる。死んでもおかしくない、いや、死なない確率の方が低いような分の悪すぎる賭けを、自身の目的を遂げるために強行したってのか」


「確かに、十五歳の少女の思考回路としては常軌を逸していると言えるでしょう。まあこれは、先ほどのあなたから私への疑いのように、考えても栓無きことではあります。真実は彼女のみぞ知る、ですからね。……しかし、もし仮にこの私の推論が正しかったとするなら──」


 今まで穏やかな顔を保ち続けていた土御門が、視線を鋭くして呟く。


「────我々がこれから真に注意を払うべきは、神代君ではなく、彼女の方なのかもしれませんね」

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