第八章 覚醒④


 アリサは膝上まで溜まった聖気を含んだ雨水をかき分け、吹き付ける強風と打ち付ける雨に耐えながら必死の形相でこちらに近づいてくる。


 ──何をしに来たのか。


 ──何故一般人である彼女がこの結界内で動けているのか。


 ──どうすれば彼女に今すぐ逃げろと伝えられるのか。


 様々な疑問が龍也の脳裏を高速で通過していく。


(ククク、これでお前は簡単には死ねなくなったなぁ。さっきまで自爆特攻なんて考えてやがったみたいだが、今お前が死ねばあの嬢ちゃんはどうなると思う?結界の外にいたなら、まあ運が良ければ生き延びられたかもしれねえが、結界の中に入って来ちまったんなら流石に詰みだ。お前が死ねば、な)


 ジークのあからさまな挑発に、龍也の首筋の毛がぞわぞわと逆立つ。


(────まだ、死ねない。あいつを平穏の中に帰すまでは!)


 龍也の瞳が、生気を取り戻してギラリと輝いた。


(────っ!?)


 しかし、そこで龍也は己の失敗に気付く。

 短時間とはいえ、アリサの乱入による衝撃で眼前のセロスの存在を完全に忘れ去っていたのだ。


 時すでに遅し。龍也の視線が他所に逸れたことに気付いたセロスが、彼の視線を追ってアリサの存在を認識する。


「……なんだあの人間、何故この結界内で動けている?」


 目を細めたセロスが訝しげに呟いた。


「……ふむ、目障りだが私は今手が離せない。ルービックに片付けさせるか」


 セロスの呟きに呼応するかのように、新しくゲートから出現したルービックの一体が群体の進路から外れ、こちら側、アリサのいる方向に舵を切った。


(マズい、このままじゃアリサが──!)


 龍也の胸中に、猛烈な焦燥感が襲いかかる。


 何故この結界の中でアリサが動けているのかは定かではないが、セロスの攻撃、いや、ルービックの流れ弾一つでさえ、デモニアではない彼女の体では耐えきることは不可能だろう。


(俺はどうなってもいい!でも、あいつだけは──!)


 残された時間はあとわずか。もはや考えている時間は無い。


(ジーク、やるぞ。ありったけの魔力を回せ!肉体の許容量は無視していい。今はここから抜け出すことが最優先だ!)


(はいはいっと。──じゃあいっちょ、派手にいきますか!惚れた女の前で格好つけたくなるのは雄の性だもんなぁ!)


 面白くなってきたとばかりに気炎を吐いたジークから、途轍もない量の魔力が流れ込んでくる。


(──ぐっ、があぁ!?……もっと、もっとだ。ジーク、てめえの全部、俺に寄越しやがれ!!)


 限界量を超えた魔力を流し込まれた身体が悲鳴をあげるが、龍也はそれを意に返すこともなく、無理やりにギアを上げていった。


 龍也の体から溢れ出した膨大な魔力が紅蓮の炎として具現化し、全身を包み込んでいく。


「ば、馬鹿な……っ!?この超高濃度の聖水をもってしても中和しきれないだと……っ!?」


 血管や筋肉が断裂し、全身の至る所から血が吹き出していくが、龍也はそれすらも身体を包む炎へ薪としてくべていく。


 煌々と燃え上がる魔力の炎は聖水による浄化を拒むどころか、あまつさえ周囲の聖水をぐつぐつと煮えたぎらせ始めた。


 徐々に体積を減らしていく水牢に、セロスが慌てて聖気を流し込んで修復を図ろうとする。


「おのれ、小癪な……!だが、単純な聖気と魔力のぶつかり合いなら、地の利を得ている私に敗北は無い!」


 セロスが猛烈な勢いで周囲の聖気を吸収し、水牢に流し込んでいく。


 龍也の炎によって蒸発させられる水量と、セロスが新たに生成し続けている水量はほぼ同量。


(くそっ!押し切れねえ……っ!)


 事前の予想よりもセロスの扱う聖気量がわずかに多い。彼も彼で後先顧みない全力解放なのだろう。龍也が死力を尽くしても、あと一歩が届かない。


 霞む視界でアリサの方を見やると、すでにルービックとの距離は約二百メートル。あと数秒もすればルービックの射程圏内に入ってしまう。


(俺は、また守れないのか……?もう二度と、奪わせないって誓ったのに…………)


 魔力の過剰稼動オーバーロードによって気絶寸前の龍也の脳裏に、七年前の惨劇の記憶がフラッシュバックする。


 ──燃え上がり崩れ去る街並みをどうすることもできずに眺めていた幼き日の自分。家族も、住んでいた街も、今までの平穏な生活も、空から舞い降りた侵略者たちによって全て奪われた。それでも、ジークとの己の肉体を捧げる契約によって、自分にとって唯一無二の人間だった幼馴染の少女だけは、なんとかあの地獄から引きずり出すことができた。


(──この七年間、血反吐を吐きながら強さを求めてきたのは何のためだ?)


 壊れかけた脳による幻聴だろうか。ジークではない、自分によく似た誰かの声が頭に響いた。


(──アリサを、大切な人を守るためだ)


(──ならば、こんなところで寝ている場合ではないだろう。使えるものは全て使え。結果だけが全てだ)


 冷徹な激励に背中を押された次の瞬間、意識が再び覚醒する。


(────そうだ、俺はまだ死んじゃいない。もっと、絞り出せ。もっと、もっとだ!)


 勢いを弱めていた炎が、再び燃え上がった。


「────う、あ、あぁ、あああああああああアアアアアアァァァァッ!!」


(お、おい龍也!それ以上やるとアイツが起きちまう!よせ────!)


 珍しく狼狽したジークの声が聞こえた、ような気がした。


 突如、龍也の体から溢れ出していた魔力が反転した。魔力の源流、接続先が切り替わるかのような感覚。


 彼の内に潜んでいたナニカが、表層意識に浮上する。


「────アアアアアアァァァァッ!!」


 そこで、龍也の視界が黒く染まり、再び意識は断絶した。

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