第八章 覚醒①


 逸加市南部の県立高校。臨時の避難所として開設された、本来ならこの春から龍也とアリサが入学する予定だった学校の体育館で、アリサと真唯は街中の複数箇所に設置されている定点カメラ越しに龍也と天使の戦闘を固唾を飲んで見守っていた。


 街中に設置されているカメラはズーム倍率や設置角度が固定されているらしく、街中で行われている戦闘の一部始終を細かく観察することはできなかったが、時折映り込む映像から、大まかな状況の流れは何となく把握することができる。


 テレビの前には彼女達以外にも、自分の住む家が壊されないかと不安げに様子を伺う住民達が集まっており、ピリピリと緊張した空気が流れていた。


「しかし、なんでまた今回は街中にゲートが開いたんだろうな?普段は北の廃墟の方でしか開かないのに……」


「そんなの知らないわよ。まったく、デモニアの人もしっかりしてほしいわ。あの人達への報酬金って私たちの税金から支払われてるんでしょ?私たちを守ってくれるっていうから渋々払ってるのに……」


「まったくだ。それを差し引いてもこの街での生活の方が新都市より安く済むって聞いたからわざわざこの街に来たんだし、せめて自分の義務くらい果たして欲しいもんだ」


「だから私はこんな辺境の街に引っ越すなんて嫌って言ったのよ。そもそも、自衛隊に所属しているわけでもないデモニアなんかに住民の安全保障を任せてるのが──」


 彼女達の後方でテレビに流れる映像を眺めながら話す中年夫婦の会話を聞き、頰を膨らませた真唯が憤慨した様子で毒を吐く。


「自分たちは何もしてないくせに勝手なことばっかり言って、何様のつもりなんだろうね──お姉ちゃん?」


 隣に座っている姉が何の反応も示さないことに違和感を覚えた真唯が振り返ると、


「──あ、ごめん。真唯何か言った?」


「……ううん、何でも無い」


 そう、と薄い反応を返し、再びテレビを食い入るように見つめ始めた姉に、真唯はやれやれとため息をつく。


 昨晩、龍也と別れ真唯と合流した時から、彼女はほとんどの時間上の空な状態だった。その上、市の職員が避難してきた人たちの不安改善のためか体育館の中に市街地からの中継映像を見れるテレビを設置してからというもの、彼女は頑としてそのテレビの前から動こうとはしなかった。


(一応仲直りはできたみたいだけど……)


 その時、気を揉んでいた真唯の耳に、ガラリという体育館の出入り口の扉が開く音と吹きすさぶ風雨の音が届いた。

 避難民や職員たちが頻繁に出入りしている建物だ。その音にアリサも真唯もほとんど反応を示さない。


「よう、お疲れさん」


 新しく体育館内に入ってきた足音の主たちはまっすぐにテレビの設置してあるこちら側に歩み寄り、親しげな調子で挨拶を飛ばす。


 真唯にとっては聞き覚えのない声だった。しかし、人間とは自分に対して声がかけられた可能性が少しでもあるのなら、ついそちらに注意を払ってしまうものだ。


 チラリと後ろを振り返ると、背後に立っていたのは長身で筋肉質な体に悪趣味なアクセサリーをジャラジャラと身につけた、アメリカのアクション映画にでも出演していそうな胡散臭い笑顔の短髪の男性と、学校の体育館には不釣り合いな純和風の着物を着こなした妙齢の女性。


 テレビの周りに集まっていた人たちはチラリとこの奇妙な組み合わせの二人に視線を向け、自身の知り合いでないことを確認するとすぐにテレビに視線を戻していく。真唯もその中の一人だったが、隣に座ってテレビの中継映像を凝視していたアリサが投げかけられた声にピクリと反応してゆっくりと振り返ったのを見て、まさかと思いつつも姉の視線を追って再度振り返る。


「平賀さん、それに土御門さんも。……どうしてここに?」


「関係各所への報告や根回しといった雑務に加えて、いざという時のための逸加市民の避難準備等、諸々の調整が一段落したのでこちらの様子を見に来たのですよ」


「俺ら裏方がやるべき仕事は大体片付けてきたからな。あとは龍也が上手くやるのを信じて待つだけよ」


 ニコニコと笑いながら丁寧な口調で説明する和服の女性と、「ここ、いいかい?」と一応断りを入れてからアリサの隣に座り込む男性。


 目を白黒させている真唯に気付いたアリサが、二人を手短に紹介する。


「こちらの男性が代行者として普段リュー君のサポートをしてくれてる平賀辰巳さん。で、こちらの方は翼宿学園、……この春からリュー君が通うことになった翼宿学園の理事長の土御門咲耶さん」


「は、初めまして。妹の天壌真唯です」


 ぺこりと頭を下げた真唯に対して大人二人も会釈を返す。


「で、どうだいアリサちゃん。君から見て龍也の奴は勝てそうに見えるかい?」


「……それは……」


「リュー君は絶対勝ちます!今までだって一回も負けなかったんだから、今回だって大丈夫に決まってます!」


 平賀の問いに喉を詰まらせるアリサの横で、真唯が憤慨したように主張する。平賀は噛みついてきた真唯に怒るでもなく優しく話しかけた。


「嬢ちゃんは、龍也のことを信じてるんだな」


 思いがけず好意的な反応が返ってきた真唯は顔をほころばせて頷く。


「はい!だってリュー君は私にとってヒーローですから!」


「────っ!」


 真唯は気付かない。自身の無垢な発言によって姉が独り唇を噛み締めていることに。


「……そうか。まあ、信じないことには始まらないよな、何事も」


 平賀はそう呟いたきり、口を開くことなくテレビの画面を注視する。

 各々がテレビに視線を戻すと、画面の中では龍也と天使の戦闘が佳境を迎えていた。


(リュー君は人型の天使と戦ってて、その奥でルービックと戦ってる女の人は誰だろう……?遠くてよく見えないけど)


 先ほどの言葉通り、真唯は龍也の勝利をほとんど疑ってはいなかった。街中に結界を張られ、その中にゲートが開くという異常事態ではあるものの、この街の近辺でゲートが開き始めた二年前から安定して天使達を撃退してきた龍也なら今回も無事にやり過ごせるだろうという確信があった。

 だからこそ、彼の実力と実績、積み重ねてきた努力を誰よりも理解しているはずの姉が極度の緊張状態に陥っていることが彼女には不思議だった。


 細く白い指に血が滲むほど硬く拳を握り締め、瞬きすらほとんどせずに画面を凝視していたアリサが、突如立ち上がる。


「お、お姉ちゃん?」


「…………行かなきゃ」


 そう呟いたアリサはくるりとテレビに背を向け、テレビの周りに集まっていた人々の間をすり抜けると、まっすぐ体育館の出口に向かって走り出した。


「お、お姉ちゃんどこに行くの!?」


「おい、アリサちゃん!?」


 結界の外の雨や空気は普段通り無害とはいえ、現在逸加市は春の嵐に襲われている真っ最中である。自動車ならともかく、生身の少女が出歩いた場合、怪我を負ってしまう可能性も否定できない。


 妹の制止にもほとんど反応を見せずに体育館を飛び出していったアリサに真唯が唖然としていると、周囲の人たちの不安げなざわめきが耳に届き、彼女は慌てて視線をテレビに戻した。


 画面に映っていたのは、敵の操る何か巨大な不定形の檻のようなものの中に囚われ、身動きの取れない状態に陥っている龍也の姿。


 一目でわかる劣勢な状況に、周囲の人々が焦った様子で騒ぎ出す。


「お、おい、もしあのデモニアがやられちまったら俺らはどうなるんだ?」


「い、今のうちにできるだけ遠くに逃げた方がいいんじゃ──」


「で、でも、リュー君は負けないよね……?」


 自分に言い聞かせるかのように呟かれた真唯の言葉は、周囲の雑音に飲み込まれていく。


 そこでハタと気付く。


「も、もしかして、お姉ちゃんはリュー君のところに向かったんじゃ……っ!?」


 今龍也の戦っている結界の中は、一般人では侵入しただけで失神してしまうほど聖気の濃度が高まっているらしい。


 そんなはずがないという理性の声と、あの姉ならやりかねないという本能の声が真唯の中でせめぎ合う。

 すでにアリサが体育館を飛び出してから一分程経過している。真唯の足では今から追いかけたところで彼女に追いつくことはできないだろう。


 真唯の呟きを聞いた平賀が険しい顔で立ち上がった。


「今から車で追えば、彼女が結界の境界付近にたどり着く前に先回りできる。説得できるかは分からねえが、まあちょっと行ってきますわ」


「──待ちなさい」


「なんだよ、早くしねえと間に合わなくなるぞ」


 アリサを追って体育館の出口に向かいかけた平賀を制止した土御門が、しばらくの長考の後、何かを決意したような顔で口を開く。


「……彼女を止める必要はありません。好きにさせましょう」


「「──なっ!?」」


 平賀と真唯、二人が漏らした驚愕の声が重なった。


「お、お姉ちゃんを見殺しにするんですか!?」


「……彼女一人が戦地に向かったところでどうにもならないことなんて、あんたになら説明するまでもないはずだが?」


 苛立ちを抑えきれない様子の平賀からの反駁に、土御門はテレビに映る映像を険しい顔で見つめながら言葉を返す。


「今の神代君は、はっきり言って詰みに近い状態にまで追い込まれています。あの水球に囚われたが最後、外部からの援護なしに抜け出すことはほぼ不可能のはずです」


 異能の知識をほとんど持ち合わせていない平賀では土御門の推測を否定することはできない。

 それでも、平賀は歯を食いしばりながら唸るように言葉を絞り出す。


「……もう龍也に勝ち目がないっていうんなら、俺たちがやるべきことは一人でも多くの人間をこの街から逃がすことじゃないのか?あんた、龍也からあの子のことを頼まれたんだろ。だったら今すぐにアリサをとっ捕まえて無理やりにでも安全な場所に連れて行く、それこそが街の命運、何千人もの人間の命なんていうクソ重い責任をあいつ一人に押し付けちまった俺らができる、唯一の罪滅ぼしだろうが!」


 普段の飄々とした態度をかなぐり捨てて吠えた平賀を、土御門は一歩も怯むことなくまっすぐに見つめ返した。


「……あなたの主張は正しい。神代君の勝利が絶望的な今、なんの異能の力も持たない少女が一人で戦場に向かったところで犬死するのが関の山。ならば彼女の無駄死を防ぎつつ住民の避難を開始させるのが最適解だと」


「分かってんならさっさと──っ!」


「ですが、それはあくまで一般論。渦中の人物が神代家の人間だった場合、話は変わってきます」


「……どういう意味だよ?」


 自身のセリフを遮った土御門が突如として不可解なことを言い始めたため、頭に上っていた血が冷めていくのを感じながら平賀は尋ねる。


「異能の存在が認知されている裏社会の中で、命が惜しければ絶対にしてはならないこととして日本中、いえ世界中で広く知られている戒めの中の一つにこのようなものがあります」


 ──曰く、神代家の女にだけは絶対に手を出してはいけない。


「ああ、その戒めなら俺も聞いたことがある。確か何代か前の神代家の当主が自身を脅迫するために妻を誘拐した多国籍マフィアにブチギレて、単身アジトの乗り込んで一晩で組織を壊滅させた事件がきっかけなんだろ?だが、それと今の状況がどう関係する?」


「歴代の神代家の男性たちは、まるで遺伝性の呪いにでも罹っているかのように、ただ一人の例外もなく生涯で一人の女性を愛し続け、脈々と受け継がれてきた異能の力をその女性を守るためだけに振るったと言われています。……まあとにかく、重要なのは神代家の男性が一番己のポテンシャルを十全に発揮できるのは最愛の女性が危機に陥っている時、ということです」


 要領を得ないといった顔で土御門の話を聞いていた平賀が、何かに気づいた様子で泡を食ったように彼女に詰め寄る。


「お、お前まさか、龍也の起爆剤にするためにあの子を死地に送り込んだのか!?」


「この状況をひっくり返せる可能性があるとしたら、それはアリサさんしかありえません。一人とはいえ確実に人が死ぬ現状より、もう一人の命を危険に晒してでも生還の可能性を残せる方を取る。それが私の選択です。……もちろん住民の避難は今すぐに開始させてください。市民の方々は私の“賭け”には関係がないので」


 平賀はしばらくの逡巡の後、土御門の考えを認めたのか、大きく息を吐いてから頷いた。


「……分かった。各避難所に準備していた輸送車を向かわせる。逸加市周辺の市町村にも避難勧告を出して、いざとなったら周辺地域の住民も連れて新都にトンズラだな」


 早くも気持ちを切り替えたのか、どこかに電話をかけながら足早に体育館の外に向かう平賀を真唯は半ば呆然と見送る。


 目の前で繰り広げられた大人たちの会話にはほとんどついていけなかったが、このままでは龍也の身が危ないこと、そしてそれにいち早く気付き彼の元に向かったアリサの乱入によって龍也が助かる可能性がまだ僅かに残っていること。理解できたのはこの程度だ。


「リュー君、お姉ちゃん……っ!」


 真唯には、ただ二人の無事を祈ることしかできなかった。

 

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