第七章 開戦②
住宅街の中を屋根伝いに移動し、結界の中心部、すなわちゲートの真下にやってきた龍也とフィリア。
全身に礫のように打ちつける雨と吹きすさぶ強風。劣悪な戦闘環境に龍也が思わず舌打ちを漏らしていると、
(──おい、龍也。もうすこし肉体保護の方に魔力を回せ。この聖気濃度じゃ、お前の使える魔力の三割、いや、四割は肉体保護で消えると思っといたほうがいい)
(俺が呼ぶ前から出てくるなんて珍しいな)
言われた通り体の表面で展開していた魔力の層を厚くしながら、龍也はジークに話しかける。
(何、久しぶりにお前の苦戦する姿が見れそうだったからな。一方的な鏖殺も嫌いじゃないが、やっぱりオレは互いの命を削り合う血みどろの泥仕合の方が好きなんだよ)
(……相変わらず良い趣味してるよ、お前)
そうこうしているうちにも、空中の裂け目は徐々にその幅を増していく。
一メートル、二メートル、三メートル。
龍也が双剣を生成し、両手に握る。その傍らでフィリアは心を落ち着けるかのように深く息を吸った。
六メートル、七メートル。
普段この街で発生するゲートよりもかなり大きい。
八メートル、九メートル、十メートル。
ようやくゲートの膨張が止まった。
(────来る)
現れたのは二枚羽の男性型天使一体。そして、その後から自動戦闘機構・ルービックが続々とゲートの中から這い出してくる。
(……あいつ、強いな)
今回の臨界における唯一の人型天使。不健康そうな顔色に落ち窪んだ目、あまり筋肉のついていない細身の体。一見荒事には向かないタイプに見えるが、彼から放たれるオーラはここ最近龍也がこの街で戦ってきた天使達とは明らかに格が違う。
(あのレベルとやるのは、この前の大規模侵攻の時以来か)
膨大な戦闘経験によって磨かれた龍也の目は、眼前の敵が決して油断できる相手ではないことを正確に見抜いていた。
「…………あれは。……いや、彼ならば、なるほど確かに……」
姿を現した人型天使を見て目を見張ったフィリアがブツブツと呟く。
「おい、フィリア。あいつ知り合いか?」
フィリアは龍也の問いに頷き、
「……ええ。彼は私の学院時代の同期です。今の位階は確か──」
彼女の台詞を遮るかのように、二人を見下ろした天使が口を開く。
「──久しぶりだな、フィリア。……いや、ここは天界の裏切り者と呼ぶべきか」
「……お久しぶりです、セロス。それともザキエルと呼んだ方がよろしいでしょうか」
セロスと呼ばれた男性型の天使は、その整った顔を不愉快そうに歪めた。
「貴様が下界にて逃亡を図ったと聞いた時は、師と同じく気でも触れたのかと思ったが、悪魔に魂を売り渡した汚らわしい人間もどきと並び立っているところを見るに、あながち間違いでもなかったようだな」
ここで初めて、フィリアから外れたセロスの視線と龍也の視線が交錯する。
並の人間なら目があった時点で腰を抜かしかねないレベルの殺意のこもった龍也の瞳に、セロスは動じた様子も見せず、フンと鼻を鳴らしただけで視線をフィリアに戻した。
「貴様、まさかとは思うが、天使と人間の間の融和を実現させるなどという絵空事を未だに諦めていなかったのか?我らの主が人間の殲滅を宣言したあの日、その道は完全に閉ざされたというのに」
「……あの日の主の御言葉は、どう考えても唐突すぎました。私にはあの御言葉には何か裏の意図、言葉の額面通りではない意味合いが含まれていた気がしてならないのです」
セロスが呆れた様子で吐き捨てる。
「どうやら貴様は天使の役割を履き違えて理解しているようだな。天使の存在意義、それは我らが主、神の御使いとして主の意思を地上に届けること。主が人間を滅ぼせと仰ったのだから、我々は粛々とその意に従えば良いのだ。何故主の御言葉に疑問を挟む必要がある?」
「…………それは」
フィリアの顔が苦しげに歪む。おそらく彼女も、絶対的な上位者である主に逆らっていると受け取られかねないほどの行動を取らせてきた、自らを突き動かす衝動の正体を上手く言語化できていないのだろう。
「……一度だけ聞こう。フィリア、大人しく私の拘束を受け入れ、天界に帰還するつもりはないか?人格消去による霊格の浄化は逃れられぬだろうが、お前とお前の背負うその名に、これ以上泥が塗られることはなくなるぞ」
「──お断りします」
温情による提案を即断で切り捨てられたセロスは、額に青筋を浮かべ、
「……私の情けを拒むか。ならばガブリエル様より賜った権限により、貴様の核をこの場で破壊する。天界に強制送還された貴様の魂はガブリエル様によって処断されるだろう。己の浅慮を悔いながら消──ッ!?」
フィリアを睨みつけながら後方にて待機するルービックたちに指示を出そうとしていたセロスがとっさに首を振り、迫り来る小太刀を回避する。
小太刀は彼の斜め後ろに位置していたルービックに突き刺さり、発生した衝撃波が周囲のルービックをまとめて粉砕した。
「──なんのつもりだ、人間」
「話が長い」
悪びれる様子もなく言い放った龍也に、セロスはますます顔を不愉快げに歪める。
「裏切り者の処断が終わるまでは見逃しておいてやろうと思っていたが、どうやら余計な気遣いだったようだな。お望み通り貴様から殺してやる。ルービック、フィリアの相手をしていろ」
待機していたルービックたちが一斉に動き始めたのを見たフィリアが、素早く龍也に耳打ちする。
「龍也。彼の冠する名はザキエル、嵐を司る天使です。彼の主武器は風魔術と水魔術のはず。ルービックは私が引きつけます。あなたは彼を倒すことに集中してください」
「ああ、任せた」
龍也からある程度距離をとったフィリアは、迫り来るルービックの群れと正面から向かい合った。
「…………?」
ルービックの群体の動きを観察していたフィリアは、彼らの見せた行動に違和感を覚え、眉を顰める。
ぽっかりと口を開けたゲートから緩やかなペースで、しかし際限なく湧き出してくるルービック達。その中でフィリアに狙いを定めて、彼女を取り囲むように半円状に陣を敷くルービックが約六割。残りの四割は彼女には大した興味も見せずに、何か別の目標に向かって、三つほどの群体に分かれ散開していく。
(……あれらは一体どこに向かって……?)
意図の読めないルービックの動きに内心嫌なものを覚えつつも、まずは自分に向かってくるものから片付けようと意識を切り替えかけたその瞬間、狙いすましたかのようなタイミングでセロスがニヤリと笑って口を開く。
「──そうそう。言い忘れていたが、ルービックの半数程度には捕捉した人間を優先的に攻撃するよう、あらかじめ設定しておいた。私や貴様はこの結界の外に出ることはできないが、生命体でないルービックたちには結界の術式も機能しない。……ククク、人間共を救いたいのだろう?ならば一体も討ち漏らすわけにはいかないな。もちろん、私の命令によって常に貴様を狙い続ける、もう半分のルービック達を相手にしながらだがな」
「セロス、あなたはどこまで……っ!」
端正な顔を怒りで歪めたフィリアは、しかしその激情を無理やり押さえ込み、南、すなわちアリサがいるであろう避難所の方角に進行していた群体に向かって、全速力で飛翔していく。
ルービックを追い、そしてまたルービックに追われていくフィリアを愉快げに見送ったセロスは、改めて龍也に向き直った。
「……ふむ、少々意外だな。人間である貴様の方が奴より落ち着いているとは。それとも、悪魔と契約を結んでしまうような救いようのない愚か者のことだ、人間らしい感情なぞとっくに忘れ去ってしまったか」
心底人間のことを見下したセロスの言動に大した反応も見せずに、龍也は淡々と言葉を投げ返す。
「ある程度はあいつのことを信用してるからな。あの程度の数、俺がお前を倒し終わるまでくらいだったらあいつでも何とかできるだろ」
「……私を倒す、か。この結界の中で戦って、貴様に勝ち目があるとでも思っているのか?デモニアである貴様にとってこの結界内はまさに毒の沼。すでに立っているだけで苦しかろう」
「勝ち目?あるに決まってんだろ。そもそも、お前が対等な条件でやりあったら俺に負けるかもしれないってビビったからこそ、わざわざこんな回りくどい手まで使って自分にとって有利な舞台を作り上げてんだろうが」
ふてぶてしく言い放った龍也に、セロスは忌々しそうに舌打ちをし、
「……そもそも、当初はあの裏切り者を出向いた天使がことごとく返り討ちにあうと噂されていたこの地域に送り込み、デモニアとの戦闘に負け強制送還された奴の魂を私が封印するという手はずだったのだ。私がここまで手を尽くさなくてはならなくなったのも、全ては貴様が奴をしっかりと始末しなかったせいだ」
八つ当たり気味な怒りの矛先を向けられた龍也は、アリサがいなければ間違いなくフィリアを殺していたという事実をおくびにも出さず、少しでも情報を引き出そうと会話を続けていく。
「そうかい、そりゃ悪かったな。そっちから逃げ出したあのアホ天使はこっちで引き取ってやるから、さっさとこの結界を解いて天界でよろしくやっててくれ」
「そうはいかん。奴の捕縛、又は魂の強制送還はガブリエル様から直接下された天命だ。是が非でも成し遂げなければ、私に明日はない」
(ガブリエルって確か、熾天使、天使共のトップの名前だよな。なんで脱走者一人対処するのにそこまで躍起になる?フィリアの目的がそこまで奴らにとって邪魔なのか、それともあいつ自身に何かあるのか……)
「なるほど、だから手間もリソースも馬鹿みたいに使ってこんな結界を組みやがったのか。弱い奴は大変だな、ここまでお膳立てしなきゃ勝負の舞台に立つこともできないんだから」
セロスは明け透けな龍也の挑発に乗せられることもなく、つまらなさそうに吐き捨てた。
「この地域には出向いた天使をことごとく返り討ちにする強力な悪魔憑きがいる、そんな話は小耳に挟んでいた。だからこそ、この地での裏切り者の処断の命を下された私は、持てる手の全てを使ってこの盤面を作り上げた。勘違いするな。これは決闘ではなく戦争だ。勝利のためならあらゆる手段が正当化される」
挑発を受け流された龍也は、チラリとフィリアがルービックの群れと戦っている方向を盗み見る。先ほどよりもかなり距離が開いている。これならお互いの流れ弾が飛んでくることはほぼ無いだろう。
(……頃合いだな。ジーク、始めるぞ。魔力を回せ。ただし、奴に感づかれないようにな)
(へいへい。精々オレを楽しませてくれよ?)
聖気に満ちた有害な空気から身を守るために展開されていた魔力の層の中で、新しく生成された魔力が静かに増大していく。
「……なあ。お前ら天使って、こっちで死んでも天界ですぐに復活できるんだってな?」
「ああ、フィリアから聞いたのか。そうだ。我らは霊核に傷がつかない限り、何度でも天界で肉体を蘇生できる。ようやく理解できたか?貴様ら人間には初めから勝ち目など無かったということを」
「……たまに気になってたんだ。俺が今日殺した天使にも、家族とか友達がいたのかなって。だからって手を抜く理由にはならないし、むざむざ殺されてやる気もなかったけど、それでもやっぱり、心のどこかには引っかかってた」
「貴様、何を言って──」
こちらの声に気づいていないかのようにぶつぶつと呟き続ける龍也に、酷薄な笑みを浮かべていたセロスは眉を顰める。
「でも、どうやら俺の心配は杞憂だったらしい。命を賭けていたのはこっち側だけ。なら、もう遠慮なんていらないよな?ああ、すっきりしたよ。確かに人類にとっては最悪に近いニュースだ。でも、そのおかげで俺は──」
俯いていた龍也はゆっくりと顔を上げる。その顔に張り付いていたのは、普段彼が心の奥底にしまっている、彼の中で最も凶暴な感情。
「────気持ちよくお前らをぶっ壊せる」
瞬間、龍也の体から溢れ出した深紅の魔力。
(こいつ、笑って────っ!?)
彼の禍々しく歪んだ笑みに、思わず空中で一歩分後退してしまったセロス。
その一歩が命運を分けた。
彼が怯んだその瞬間を狙いすましたかのように、住宅の屋根の上に立ち彼を見上げていた龍也が、屋根の瓦を踏み砕く勢いで空中に踊り出し、セロスに斬りかかっていたからだ。
「────っ!!」
一瞬の遅れを取り戻すかのように必死にそらされたセロスの胸板を、龍也の小太刀が浅く切り裂いていく。
「────チッ」
天使の急所である核は、大半の場合人間でいう心臓の部分、胸のほぼ中心に位置している。
初手から急所を的確に狙ってきた龍也に、セロスの背中に冷や汗が浮かぶ。
(……いや、落ち着け。奴の攻撃は二回とも不意打ち。つまり奴の不敵な態度は、この結界の中で上手く動けないことを隠すためのブラフ。私はただ、隙を見せないように注意しつつ堅実に攻めていけばいい。いずれ奴は魔力切れで押し負ける。焦るな、起死回生の一手さえ警戒していれば、この戦い負けることはない)
セロスの胸についた傷が、周囲の聖気を吸収することで見る見るうちに塞がっていく。
「貴様にとっては有毒でしかないこの結界内の聖気は、私にとっては無尽蔵に吸収できるエネルギー源だ。己がどれだけ不利な立場に立たされているのか、しっかりと認識できたか?──では、かかってくるがいい。その残り少ない命に引導を渡してやる」
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