第七章 開戦①


『──ゲート発生予測時間までおよそ二十分。これがこちら側からの最後の連絡になります』


 午後五時二十五分。天壌家にてゲート発生に備えて待機していた龍也の元に、土御門からの着信が入った。


『今回は、結界内の市街地で発生した被害の責任は問いません。あなたとフィリアさんの生存、そして天使の撃退、又は殲滅を最優先としてください』


「へえ、そいつは随分と太っ腹だな。街を更地にしちまっても問題無いってことか?」


 冗談混じりの龍也の台詞に、土御門は大真面目な声で、


『ええ、それで天使の襲撃を退けられるのであれば一向に構いません。今回の戦闘で発生した損害に対する責任と補償は全て国と学園で請け負います』


「……そんなにやばいのか、今回の敵は」


 土御門の態度につられ思わず神妙な面持ちで聞いてしまった龍也に、彼女はやや声のトーンを落として答える。


『現時点で予測されているゲートの規模はA4級。平時なら自衛隊のデモニアで構成された特殊部隊基準で、Aランク隊員を含んだ一個中隊が必要な程の規模です。これをいくら優秀なデモニアとはいえ一五歳の少年一人に任せるなど、本来ならありえない事態なのですが……』


 土御門は何かを思い出した様子で重たいため息をつく。


『灰村少佐にいざという時のために結界の縁で待機するデモニアの増援を要請したのですが、龍也なら問題無い、むしろ下手に人員を増やすよりあいつ一人に任せた方が上手くやれるの一点張りでして……』


 豪胆に笑う姉弟子の姿を脳裏に浮かべた龍也は呆れた様子で、


「あいつの言いそうなことではある。この前の大規模侵攻の影響で独立大隊の主要メンバーは持ち場を離れられないだろうし、Cランクのやつを何人か寄越されても実際問題邪魔になるだけだしな」


『まあ、あなたがそう仰るならそれでいいのですが……』


 不安を拭い切れていない様子の土御門に、龍也は無愛想に答える。


「要件がそれだけならもう切るぞ。後処理はともかく、戦闘前にこっちからあんた達を頼ることもないしな。……いや、すまん。やっぱり一つだけ頼みごとをしてもいいか?」


『なんなりと』


「抜け目ないあんたのことだ。どうせ俺がしくじった時にこの街の住民を安全圏に素早く避難させる準備もしてあるんだろ?もし俺に何かあったら、……いや、今更言葉を濁す必要もないか。もし俺が死んで天使どもが結界の外に溢れてきたら、アリサだけでも安全なところに逃がしてやってほしい」


 フィリアの身柄を確保した天使たちが、そのまま撤退するか普段のように市街地に無差別攻撃を行うかは現段階では分からない。

 しかし用心深い土御門や平賀のことだ。どうせ最悪の事態を見据えて最低限の備えはしてあるはずだ。


 彼らの用意した非常用の最終手段、それがこの街の住民全員の安全を担保できない人数制限のあるものだという推測の元での龍也の頼み。


『……分かりました。いざという時のアリサさんの保護はお任せください。翼宿学園が責任を持って彼女の安全を保障しましょう』


 あなたが死んだら彼女も悲しむだとか、自分が死ぬ前提で話さないでくださいといった龍也の想定していた言葉を一切口にしなかった土御門の気遣いに、思わぬ心地よさを覚えてしまった龍也は僅かに口元を緩ませる。


「ありがとな。あんたが物分かりのいい人で助かった。……そっちから伝えることがないならもう切るぞ」


『では最後に一つだけ。神代君、あなたは今後のこの世界にとって必要不可欠な人材です。どうか無事に戻ってきてください。──ご武運を』


「……善処する」


 通話を切りスマホを懐にしまった龍也に、後ろからフィリアが声を掛けた。


「いいのですか?戦闘前にアリサと話せるのは今が最後だと思うのですが」


「今すぐ話さなきゃいけないことがあるわけでもないんだから、別にいいだろ。……土御門にはああ言ったが、俺はこんなところで死ぬ気はさらさらないんでね」


 龍也は窓の外を眺めながらぶっきらぼうに言う。


 止むことなく降り続けた聖気を含んだ雨は結界内部に留まり続け、すでに結界内の市街地は平均的な成人男性の膝下程度の高さまで水に沈んでいた。さらに雨とともに吹きすさぶ風も徐々に勢いを増しており、結界内は嵐の様相を強めていた。


 大気中の聖気濃度も上昇を続けており、現在では一般人が結界内に立ち入れば僅か数秒で気絶するほどの魔境と化している。

 デモニアである龍也にとっても厳しい環境であることに変わりはなく、自身の肉体への悪影響を防ぐために全身を魔力で覆わなければ、戦闘どころかまともに動くことすらままならない状態だ。


 一方のフィリアは、この一晩で龍也との戦闘で負ったダメージをほぼ全回復させ、ベストコンディションと言えるほどまで調子を上げていた。


 龍也が目を細めて見上げた先、結界の中心部の上空では、ゲート発生の起点となる握り拳大の濃縮された聖気の塊が浮遊している。


「……いつもならあれが発生するのはゲートが開く五分前辺りなんだが、今回は随分と出てくるのが早いな」


「それだけ今回のゲートが大規模なものだということでしょう。ここまで天使にとって有利な舞台を整えたのですから、彼らにとっての必勝の一手が来ることは間違いありません」


「お前は今回どれくらい強い奴が来るか予測できるか?」


 なんとなくといった調子で放たれた質問に、ふむ、と考え込んだフィリアは、


「指揮権を持った天使として、中位三隊の階級の者が出てくる可能性はかなり高いと思います。主天使……は流石に無いと思いますが、力天使や能天使が出張ってくる可能性は大いにあります。配下として下位の天使とルービックをどの程度引き連れてくるかは未知数ですが──」


「ちょっと待てちょっと待て、そんな一気に言われても分からん。もう少しゆっくり説明してくれ」


 解説を途中で止められたフィリアは頬を少し赤くし、


「し、失礼しました。……では改めて。天使の位階は上位三隊の熾天使セラフィム智天使ケルビム座天使スローンズ、中位三隊の主天使ドミニオン力天使ヴァーチュース能天使エクスシア、下位三隊の権天使アルケー大天使アークエンジェル天使エンジェルの九つに分けられています。普段人間界に侵攻してくる人型天使の大半は最下位の天使で、ルービックはそのさらに下の位階です。位階が高いほど戦闘能力も高い、と大雑把に捉えてもらって構いません」


「なるほど。で、お前の予想だと真ん中らへんの力天使か能天使あたりが来ると」


「ええ、あくまで私の推測にすぎませんが。……ちなみに龍也、参考までにお聞きしたいのですが、あなたはどの位階の天使とまで戦ったことがあるのですか?あなたの実力が高いことはもう把握していますが、それが一体どこまで通用するのか──」


 フィリアの問いに、龍也は過去の戦いを振り返るかのように目を細める。


「……一番強かったのは、間違いなく大神災の日に戦った奴だな。あれとやり合って生き延びるどころか撃退までできたのは、奇跡以外の何物でもないと今でも思ってる」


「その天使の特徴などは覚えていますか?」


「んー、なんせ七年も前のことだし、あの時は無我夢中だったからなあ。……あ、でも一つだけ。確かあいつの背中の翼、二本じゃなくて四本だったような──」


「────っ!?」


 ぽろりとこぼされた龍也の言葉に、フィリアは思わず息を飲む。


「ん、どうした?」


「……翼を四枚所持する天使の位階は一つだけ。あなたが戦ったその相手、それは智天使とみて間違いないでしょう」


「智天使……、上から二番目のやつか」


 いまいちことの重大さを理解していない様子の龍也に、フィリアが泡を食って詰め寄った。


「あ、あなたは、人の身でありながらどうやって智天使に打ち勝ったというのですか!?それが本当だとするなら、それは間違いなく人類史に刻まれるような大偉業ですよ!?」


 詰め寄るフィリアに龍也は面倒臭そうな調子で、


「だからさっきも言ったがあれはたまたま、いくつかの偶然が重なって結果としてそうなったってだけで──」


 途中で言葉を切った龍也は、鋭い目で窓の外を睨みつける。


「……ゲートの展開が始まった。行くぞ、おしゃべりは終わりだ」

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