第六章 決戦前夜②


『──結界の効果が判明しました』


「……教えてくれ」


 人気のない廊下。シャワーから上がった龍也の携帯に、土御門からの着信が入った。


『複数の効果が確認されていますので、順番に説明します。まずは範囲。先ほどゲートが出現した街の北部を中心とした半径約二キロがドーム状に覆われています』


「約二キロ……。街の北端から中心部くらいまでか」


『ええ、その通りです。次に一つ目の効果。一定以上の魔力や聖気といった異能の力を操る力を持った者の、結界内外の行き来の禁止。対象者は神代君、フィリアさん、そして私です。確認はしていませんが、あなたのお爺様もこの効果の対象に含まれているかと』


「つまり俺とフィリアはこの結界の外に出ることができなくて、外からのデモニアの応援も望めないってことか」


『ええ、理解が早くて助かります。幸い一般人の行き来は封じられていないので、すでに対象地域の住民は避難を始めています。アリサさんにもなるべく早く結界外への退避を勧めてください』


「分かった。他にも効果があるんだろ?それはなんだ?」


『二つ目の効果。それは、結界内における聖気濃度の上昇です』


「…………何?」


 今まで冷静に土御門からの報告を聞いていた龍也が、初めて眉を顰める。


『今はまだあなたでも感じ取れないほどの微小な変化ですが、今後徐々に濃度が高まっていくと思われます。原因は結界上部にある雨雲。現在、結界上部の雨雲は天使の術式によって聖気の塊と化しています。つまり、この雨が振り続ける限り、結界内はどんどんあなたにとって不利なフィールドになっていくということです』


「奴らが雲の中で編んでた術式はそれか」


 自分がとどめを刺した時には既に彼らは目的を果たしていたと知った龍也は、思わず舌打ちを漏らした。


「……この結界はいつ解ける?解除方法はあるのか?」


『現状、こちら側からの解除は難しそうです。ただ、時間経過による結界の自然消滅、こちらのおおまかな予想時刻は分かりました。──明日の夕方から夜にかけて、です』


 龍也はちらりと壁にかかっていた時計に視線を投げる。午後四時過ぎ。


「大体丸一日、か」


『ええ。天使二体分もの聖気が注ぎ込まれていることに加えて、対象者を絞った効果、短めな時間制限の設定など、いくつかの縛りによって結界の強度はかなり底上げされています。そして今回の彼らの目的はほぼ間違いなくフィリアさんの身柄を奪取すること。つまり──』


「明日の夕方か夜、結界内が限りなく天使にとって有利になったタイミングで、駄目押しの一撃が来る」


 台詞を引き継いだ龍也に、土御門が電話越しに頷く。


『ええ。こちらの態勢が整う前の強襲、からの天使にとって有利なフィールド準備。一つの目的に対してここまでのコストと手間をかけてくるとは、今回の敵は相当慎重かつ狡猾な相手とみて間違いないでしょう』


「……関係ない。向かってくる敵は全員叩き潰すだけだ。それに、この結界内にいる間はフィリアも自然と回復できるからな。学園に行って契約者を見つけるまでの間に必要な聖気を集める手間が減って一石二鳥だ」


『おや、それは翼宿学園への編入を承諾するお返事、ということでよろしいのですか?』


「……それしか選択肢が無いんだから、しょうがねえだろ」


 龍也が不機嫌そうに吐き捨てる。


「……とにかく、これが俺にとってこの街での最後の仕事だ。何か用ができたらまた連絡する」


『分かりました』


 通話を終えた龍也はやれやれとため息をつき、アリサとフィリアのいるリビングに向かった。


「あ、リュー君、もう少しでご飯の準備できるから、ちょっと待っててくれる?」


「おう、ありがとな」


 先ほどの騒動で昼食を食べそびれていた彼のためにわざわざ食事を用意してくれているアリサに礼を言い、龍也はテーブルに着く。


「夕食にはまだ早いけど、今日はバタバタしてて二人とも昼食を食べれなかったからしょうがないね」


 天壌家の冷蔵庫に入っていた有り合わせの食材で作られたサンドイッチをお盆に載せて運んできたアリサがニコニコと笑いながら言う。


「私、これを食べ終わったらスーパーに買い物をしに行こうと思うんだけど、リュー君は何が食べたい?しばらくはリュー君も家にいるから多めに食材買っとかないと!」


「……あー。アリサ、実はだな──」


 龍也は彼女と先ほどから黙りこくったままテーブルに座っていたフィリアに、土御門から伝えられた結界の情報を話した。


「──そんなわけで、これを食い終わったらアリサは荷物をまとめてくれ。避難所の近く、結界の外縁ギリギリのところまでは俺が送る」


「…………また、リュー君一人で戦うの?」


 アリサの不安と焦燥で揺れる瞳に、思わず龍也の息がつまる。


「……アリサ、安心してください。今回は私も彼に助太刀します」


「フィリア……」


「敵はお前の同族だ。それでもやるのか」


 アリサとの会話とは打って変わって、情緒を切り捨て結果だけを追い求める冷徹な戦闘狂としての顔を覗かせた龍也が、ジロリと彼女を睨んで問う。


「彼らの狙いは私です。自身に降りかかる火の粉を他人に払わせるような臆病者になるつもりはありません」


「……中途半端な真似しやがったら、俺はもうお前に力は貸さないからな」


 戦う者として覚悟の決まった眼をした二人を見て、アリサは寂しそうに呟く。


「……やっぱりこういう時、私には何もできないんだね」


「そんなことない。お前がいなきゃ俺は──」


 口から溢れかけた本音を、龍也は慌てて飲み込んだ。


「……いや、なんでも無い。お前は十分俺の役に立ってくれてるよ」


 彼の本心を見透かすかのように、じっと龍也の顔を見つめていたアリサは柔らかく微笑み、


「……うん。ありがとう、リュー君。普通の人が結界の中にいられるのはあとどれくらい?」


「……正確には分からないけど、多分日付が変わる頃にはきつくなってると思う。まあ大体二十二時までってところじゃないか」


「そっか。じゃあこれ食べたらリュー君とフィリア用の食事何食分か準備しようかな。……それくらいならいいでしょ?」


「……ああ。ありがとな」


 ここまで献身的に尽くしてくれる少女に上目遣いで見つめられて、首を横に振れる奴がいるだろうか。


 龍也はアリサへの感謝と罪悪感を、口いっぱいに詰め込んだサンドイッチとともに腹の奥に押し込んでいった。

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