第五章 忍び寄る罠②


 天使の気配を追って雨雲の中に突入した龍也は、想像以上の視界の悪さに思わず舌打ちを漏らした。


 濃霧によってほとんど役に立たない視覚を切り捨て、魔力感知に全力を注ぐ。


 ──発見。龍也の右前方に一体、左後方に一体。


 二体の天使は接近してきた龍也に反応するでもなく、雨雲の中でただ浮遊しているだけ。


(……いや、違う。この妙な聖気の高まり、何かしらの術式を構築しているのか?)


 龍也には天使達が何をしていようとしているのか皆目見当もつかなかったが、先程撃墜した天使がフィリアに攻撃を加えていたところを見るに、彼女のような人類に友好的な存在では無いことは確かだ。


(何をしようとしてるのかは知らねえが、とりあえずぶっ潰す!)


 左後方の天使に牽制の意味も込めた小太刀を一本投擲した龍也は、すぐさま右前方の天使に切り掛かった。


 目を閉じてぶつぶつと詠唱を続けていた天使は、迫り来る小太刀が喉に突き刺さる直前にカッと目を見開いた。


(────ッ!間に合わなかったか!?)


 確かに、龍也の振るった小太刀は天使の喉を貫いた。しかし、あまりにも手応えがなさすぎる。

 喉を貫かれた天使は、痛みを感じるそぶりも見せずに、穏やかな顔をしたまま白い粒子となって消えていった。


 振り返ると、後方の天使も投擲された小太刀を避けるでもなく受け入れ、ゆっくりと消滅していくところだった。


(……こいつらは何をしようとしていた?いや、すでに目的を達成していたのか?)


 あっけなさすぎる幕切れに、龍也は顔をしかめる。


 直後にアリサのことを思い出した龍也は、天使達の不可解な行動に対する考察を放り投げて一目散に地上に向かった。


 地上が近づいてくると、屋根と壁が消し飛ばされた無残な状態のアパートが目に入る。隕石のような速度で着地した龍也は彼の部屋があった場所に座り込んでいたアリサの元に血相を変えて駆け寄っていった。


「アリサ大丈夫か!?どっか怪我とかしてないか!?」


「あ…………」


 龍也が声をかけた瞬間、何かが決壊したかのように、彼女の瞳からポロポロと水滴が溢れ出す。


 彼女の涙を見た龍也は慌てて、


「おい、何で泣くんだよ?まさか、泣くほど痛い目にあったのか!?」


「う、ううん、そうじゃ……、そうじゃないの」


 座り込んでいる彼女に目線を合わせるためにかがんだ龍也の胸に、アリサは顔を押し付ける。


「お、おい……っ?」


「ごめん、ごめんね……、もうちょっとで、いつもの私に戻れるから。……だから、もうちょっとだけ、このままでいさせて」


 普段の明るく元気いっぱいな声とは程遠い、小さく震えた声でアリサは呟いた。


「…………分かった。よく頑張ったな」


 龍也はアリサが落ち着くまで、ひたすら彼女の背中をさすり続ける。

 子供の頃、些細なことですぐに泣き出してしまうアリサに、いつも彼がそうしていたように。


 





「……よし!充電完了!ありがとう、リュー君。助けてくれて」


 体感時間にして数分後。名残惜しさを振り払うようにパッと龍也から体を離したアリサが、まだ少し目元を赤くしたまま、にっこりと笑って言った。 


 龍也はホッとしたような、残念なような、微妙な表情で、


「あ、ああ、そうか、無事で何よりだよ。……本当にどこも怪我してないんだよな?」


「うん、フィリアが守ってくれたからね。かすり傷一つ負ってないよ。まったく、リュー君は心配性なんだから」


「お前は見てて危なっかしいんだよ」


 アリサは少し呆れた様子で、


「それはこっちの台詞だよ。最近はそれ程でもないけど、昔は毎回毎回天使と戦うたびに大怪我して帰ってきて……」


「う……、あの頃はまだ俺も弱っちかったからなぁ……」


 痛いところを突かれた龍也は、無理矢理話題を逸らす。


「そ、それより、一体何があったんだ?ゲートに対して警報が間に合ってなかったみたいだし、そもそも今回のゲート、聖天柱の所じゃなくて街中に突然現れてたよな」


 ゆっくりと二人のそばにやってきたフィリアが龍也の疑問に答える。


「天界から私を始末するための追っ手が差し向けられたようです。おそらく、私の位置情報を元に強引にゲートをこじ開けたのではないかと」


「……そうか。フィリア、さっきの奴から聖気の補充はできたか?」


「ええ、核を破壊しないでおいてくれたおかげで、彼の聖気を半分ほど吸収することができました。おそらく十日ほど活動時間が伸びたと思われます」


「……そうか」


「それと龍也、気付いていますか?先ほど雲の中に向かった天使のどちらか、または両方によって周囲に結界が張られたことに」


「……結界だと?」


 表情を険しくして振り返った龍也にフィリアは頷きを返し、


「ええ。規模、効果共に不明ですが、どうやら術者が倒れた後も効果を発揮する永続型のようです。おそらく解除するためには一定時間の経過を待つか、術者が定めた特殊な条件を満たす必要があるかと」


「奴らは一体何のためにそんなまだるっこしいことを……?」


「彼らの最大の目的は当初の動きから見て私の抹殺、もしくは身柄を確保することで間違いないでしょう、……であるならば、この結界も次の一手への布石と捉えるのが妥当かと」


「そうだな……」


 少しの間考え込んだ龍也は懐からスマホを取り出し、平賀の番号をコールする。


『おう龍也、天使は全員倒せたか?すまん、なんでこんな急に街中にゲートが開いたのかはまだ──』


「天使は全員倒した。死傷者も多分ゼロだ。建物に被害が出たからその処理を頼む。あとなんか天使共に結界を張られちまったらしい。効果とか範囲もできたら調べといてくれ」


『は、結界!?おい一体そりゃどういう──』


 平賀の台詞をほとんど無視した上、己の要求だけを突きつけて、龍也は強引に通話を切った。


「さて……」


 状況の整理を一度切り上げ、何気なくアリサに視線を投げた龍也は、ある事実に気付くと慌てて彼女から目線を逸らした。


「?……リュー君?」


 龍也の不審な仕草に首をかしげるアリサ。しとしとと降り続ける雨の中に佇む彼女はまだ気付いていない。彼女の服が水を吸い、年齢のわりには豊かな体のラインが浮き出てしまっていることに。


 龍也は羽織っていたパーカーを脱ぎ、わずかに目を細めて意識を集中させる。右手に集まった魔力が熱を発生させ、雨の中空を飛んできたためびしょびしょに濡れていた彼のパーカーをみるみるうちに乾かしていく。


「これ着とけ」


 龍也から手渡されたパーカーを不思議そうな顔で受け取ったアリサは、自らの現状をようやく認識して顔を赤く染めた。


 恥ずかしいやら気にかけてもらえて嬉しいやらで顔をもにょもにょさせたアリサがいそいそとパーカーを着込むのを横目に、龍也は部屋の被害状況を確認する。


 跡形もなく消し飛ばされた天井と外壁、破壊された生活用品や瓦礫が散乱する床を眺め、


「こりゃしばらくここで生活するのは無理だな。さて、どうしたもんか……」


 考え込む龍也の側に寄ってきたアリサが遠慮気味に、


「そ、それなら私の家においでよ。部屋も少し空いてるし、お父さんやお母さんもリュー君が来てくれたら喜ぶよ」


「そうだな……」


 祖父の家に転がり込むのも有りだが、今回のような特殊な事態がいつまた起こるともわからない今、アリサやフィリアと離れたところで生活するのはリスクが高い。今回だって、一歩間違えれば彼女達のどちらかが命を落としていても不思議ではなかった。


「……悪いアリサ、何日か世話になる」


 龍也の言葉を聞いたアリサはぱあっと顔を明るくし、


「う、うん!何日かと言わず、ずっといてくれても……っ!」


「お、おう。そうだ、フィリアはどうする?いきなり家に天使を連れ込んだらお前のお父さんもお母さんもぶっ倒れちまいそうだけど」


「た、確かに……」


 うーんと考え込む二人のそばに寄ってきたフィリアが、


「少し聖気に余裕ができたので、小規模な術式なら組むことができます。私自身に認識阻害の術式をかけるというのはどうでしょう?」


「認識阻害?」


「すでに私のことを認識しているアリサと龍也以外の人間に、私のことを認識できなくさせるというものです。あまり強い効果のものでは無いので、魔力や呪力を持たない一般人にしか作用しないと思いますが」


「……そうだな、この街でその術式が効かなさそうなのは土御門の奴くらいだろうし、その案でいくか。アリサもそれでいいか?」


「う、うん。大丈夫だよ」


「じゃあ、まだ無事な物集めて準備するからちょっと待っててくれ」


「あ、私も手伝うよ」


 散乱した部屋の中から必要なものをかき集める作業を始めた二人を横目に、フィリアはしとしとと降り続ける雨に目を細める。


「彼らの目的は、もしかすると……」

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