第四章 迷い④
真唯が居間に戻るのと、龍厳が茶を淹れ終わるのはほとんど同時だった。
茶をちゃぶ台に置き、そこに座り込んだ龍善は居間の入り口に立ったままの真唯を見て、努めて穏やかな顔を意識しつつ彼女に声を掛けた。
「まあそんなに緊張しないで、ここに座りなさい。暇な老人の茶飲み話にでも付き合ってくれ」
「は、はい!」
慌てて真唯が彼の対面に座る。少し恥ずかしいのか、目線が僅かに下がっている。
「さて、私は君がまだ幼い頃に一度会ったことがあるのだが、君は憶えていないだろうから改めて自己紹介でもしよう。私は神代龍厳。いつも龍也が世話になっているね」
真唯は慌てて居住まいを正し、
「え、えっと、天壌真唯です。お姉ちゃん、あ、天壌アリサの妹です」
まさか二人きりになるとは思っていなかったのか、未だに真唯の緊張は抜ける気配が無い。
子供は息子一人、その息子の子供も男と、女の面倒を見た経験の無い龍厳には、こういった時どのような対応を取ればいいのかいまいち分からない。
彼女の緊張をほぐすことは一度諦め、本題に入ることにした。
「ところで、今日はアリサの姿が見えないが、うちの馬鹿孫が何かやらかしたのかね?」
唐突に核心に切り込んだ龍厳に、真唯は目を丸くし、
「……やっぱり、分かります?」
「あの二人が一緒にいないなんて不自然極まりないことが何の理由もなく起こるわけがなかろう。なにか余程のことがあったのではないか?」
真顔で断言する龍厳に、真唯は初めて自然な笑顔を浮かべた。自分と同じ意見の人が現れて嬉しかったのだろう。
「えっと、私も詳しいことは分からないんですけど、昨日、リュー君とお姉ちゃんが喧嘩しちゃったみたいで……」
真唯は自分が知る限りの情報を龍厳に伝える。
「なるほど、道理で今日は妙に動きが鈍いと思ったわ。しかし、あの二人が喧嘩とは……」
むむぅ、と龍厳は考え込む。
おおらかで龍也に対してはとことん甘いアリサと、ぶっきらぼうで他人に興味が無いくせに、アリサの嫌がることだけは絶対にしない龍也。
大神災で家を失った龍也と四年間この道場で共に過ごし、中学入学と同時に彼がここを出て行った後も頻繁に稽古で顔を合わせていた龍厳だったが、あの二人が喧嘩をしているところなど今まで一度も見たことがなかった。
龍厳と真唯は揃って首を捻る。
丁度その時、ややぐったりした様子で龍也が居間に入ってきた。
「あ、お兄ちゃん、目が覚めたんだ」
龍也に気付いた真唯が、横にずれて彼が座るスペースを空ける。
畳に座り込みちゃぶ台に置いてあった温くなったお茶を呷ることで一息ついた龍也は、ようやく二人のものといたげな視線に気付いた。
「……何だよ」
「ねえお兄ちゃん、そろそろ教えてくれない?なんでお姉ちゃんと喧嘩したのか」
「もしやお前、ついに我慢できなくなってアリサを襲ってしまったのか?まあ今までよく耐えた方だとは思うが……」
「……別に、たいしたことじゃねえよ」
気まずげに目を逸らす龍也。決して色ボケ爺の発言が的を射ていたわけではない。
のらりくらりと逃げようとする龍也に業を煮やしたのか、真唯がいつになく真剣な顔で、一つの事実を開示する。
──彼が最も恐れていた事実を。
「昨日、お姉ちゃん泣いてたよ」
「…………っ!」
龍也の顔が歪む。真唯はその様子に構わず、容赦無く追い討ちをかける。
「自分の部屋に閉じこもって、泣いてた。私は、お姉ちゃんには笑ってて欲しい。だから、二人の仲直りを手伝いたいの。お姉ちゃんをあそこまで傷つけられるのはお兄ちゃんだけだけど、元に戻せるのもお兄ちゃんだけなんだよ?」
龍也はしばらくの間黙っていた。
龍厳も軽口を挟まずに、静かに彼を見つめている。
「……昨日、翼宿学園の人間が家に来たんだ」
「翼宿学園?」
ポツリと呟かれた龍也の言葉に、真唯は首を傾げる。
「デモニアの子供達を集めて国の防衛戦力として育て上げる養成機関だな。危険分子をまとめて監視する隔離施設という側面もある」
横から補足する龍厳は大体の事情を察したのか、顔を険しくし、
「……ついに魔力量が許容範囲を超えたか」
「──っ!知ってたのか、悪魔憑きが天使臨界のトリガーになるって」
龍也は驚いた様子で龍厳を見る。
「少し考えれば分かることだろう。魔力は本来、この世界に在らざるものだ。異物は世界そのものに歪みを生む。……それに、我らの先祖がこの世のものとは思えない物の怪に遭遇したという言い伝えもいくつか残っている。特異な力を持った者は特異なものを引き寄せるということなのだろう」
「えっと……、つまり?」
いまいち話を理解できなかったらしい真唯が、困った顔でたずねた。
「どうやら俺の存在が天使を引き寄せてしまっているらしい。つまり、俺がこの街にいる限り、天使たちの襲撃は終わらない」
端的に答えた龍也に、真唯は顔を青くして、
「じゃあ、お兄ちゃんがこの街から出て行くってこと!?」
「そうだ」
「……ってことは、つまり昨日のあれは……」
何かを考えるかのように俯いて、ブツブツと呟いていた真唯は突然顔を上げ、険しい顔で龍也をにらみつけた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんが一緒に行くって言ったのを拒否したんでしょ」
「なっ…………」
一足飛びに真相を突き止められ、龍也は二の句も継げずに呆然とするしかない。
「お兄ちゃんのバカ。女心をちっとも分かってない」
真唯は怒ったようにプイッとそっぽを向いてしまった。
その様子を横から眺めていた龍厳は忍び笑いを漏らし、
「どうやら、この嬢ちゃんにはお前の薄っぺらい考えなんぞお見通しらしいな。まあいかにもお前らしい発想ではあるが」
彼は一度言葉を切り、鋭い眼差しで龍也を見据えた。
「お前の問題にいちいち口を挟むつもりは無いが、一つだけ忠告させてもらおう。──迷ったら、自分の心に従え。その選択は、本当にお前が望んでいるものなのか?」
祖父のその問いに、龍也は答えることが出来なかった。
なぜなら、その答えはアリサを守るという彼の絶対原則に反するものだったからだ。
押し黙る龍也を見て、龍厳は面倒臭そうに溜息をつき、
「まあ、いますぐ答えを出さなくても構わん。どうせお前はあの子からは逃げ切れん」
「それ、どういう──」
龍也の言葉は最後まで続かなかった。
「……?お兄ちゃん、どうしたの?」
突然立ち上がった龍也に、真唯が怪訝そうな顔で尋ねる。
龍也はある方向を睨んだまま答えない。
「……ふむ、この気配、ゲートが開く直前のものに似ている。だが……」
彼と同じ方向を見やった龍厳が呟く。
「普段なら気配で察知する前に街に設置されてる聖気探知機が感知して警報が鳴ってるし、平賀からも連絡が来るはずだ。気のせい、いや……」
考え込んでいた龍也は顔を上げ、
「真唯、急用ができたから、俺は一度戻る。用が済んだら迎えに来るから、それまでここで待ってろ」
「え、じゃあ、私も一緒に……」
「うむ、嬢ちゃんは残ったほうがいいだろうな。どれ、こいつが戻ってくるまで、私とお喋りでもせんか?とっておきの茶菓子をご馳走しよう」
腰を浮かしかけた真唯に龍厳が声を掛ける。
「じゃ、そういうわけだから。またあとでな」
そうこうしているうちに、龍也はさっさと居間から出て行ってしまった。
その顔に、険しい表情を貼り付けたまま。
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