第四章 迷い③


 真唯を背負って登ること約十分。

 石畳の階段を登りきった先には、龍也の祖父、神代龍厳の屋敷が建っていた。

 母屋自体はこぢんまりとしているが、隣に建つ修練場がやたらと大きいため、外観は立派に見える。


 合鍵を使って母屋の扉を開く。


「こ、こんにちはー」


 真唯が少し緊張した様子で龍也の後ろから顔を覗かせるが、母屋の中から返事は無い。


「どうせ、いつもどおり修練場にいるんだろ。……ほら、早く入れよ」


 龍也は彼女をうながして居間に入り、まずはスーパーで仕入れてきた食料を冷蔵庫や戸棚に放り込んでいく。

 それが終わると龍也は振り返って、


「それじゃ俺はこれから修練場に行ってくるけど、お前はどうする?もう昼だし飯食いながら待っててもいいぞ」


 真唯は少し慌てて、


「わ、私も一緒に行くよ。龍厳さんに挨拶しなきゃだし」


 どうやら、知らない建物に一人で残されるのが不安らしい。


 龍也はそうか、とだけ返し、黙って修練場に向かって歩き出す。

 渡り廊下を進み、修練場の入り口で龍也は再び振り返って言った。


「中に入ったら、壁際でジッとしてろ。間違っても俺やじいさんに近づくな。分かったか?」


「う、うん。分かった」


 龍也は正面に向き直り、無造作に扉を開いた。


「よお、じじい。来てやったぞ」


 いつものように、修練場の中心に一人佇んでいた白髪の老人、神代龍厳はゆっくりと振り返り────、


 瞬間、龍也は反射的に腕を顔の前に突き出した。直後に龍也と真唯に襲い掛かる突風。


「────きゃっ!?」


 おそるおそる目を開けた真唯が見たのは、静かにこちらに向き直った龍厳と、顔の前で飛来してきた竹刀を鷲掴みにした龍也の姿だった。


 相当な速度で投げ放たれたらしき竹刀は、龍也に掴まれながらも未だブルブルと震えている。


「もう少し穏やかな歓迎でも良いんだけどなぁ」


「こんな挨拶も防げない輩に、教えることなんぞ無いわ」


 呆れた様子で呟く龍也と、それを全く意に返さない龍厳。


 龍厳は彼とその後ろに佇む真唯を見やり、


「……ふむ、何があったかは知らんが、話は後だ。──まずは一本、かかってこい」


 龍也は黙って投げ渡された竹刀を体の前に構えた。対する龍厳は何も持たず自然体のままだ。


 先程の忠告を思い出した真唯は慌てて壁際に後退する。


 一瞬の静寂。直後、龍也と龍厳の体から魔力がゆらりと立ち上る。


 龍也の魔力は紅色。ジークから供給される深紅の魔力と、龍也が体内で自己生成した無色透明な魔力が交じり合い、炎のように渦巻いている。


 龍善の魔力は無色透明。陽炎のように揺らめくその魔力は、彼がその身一つで生成したもの。


 両者の距離はおよそ五メートル。魔力によって身体能力を強化している二人にとっては、無いに等しい距離でもある。


 ──先に動いたのは龍也だった。先程の意趣返しのつもりか、龍也は竹刀を逆手に持ち替え、超高速で射出する。


「────ふん」


 龍善は細い路地で通行人とすれ違う時のように、体を横に向けることで竹刀の軌道から身をそらした。


 胸の前を竹刀が高速で通過する瞬間、龍善は無造作に竹刀に手を伸ばし、持ち手をしっかりと握りこむ。そのまま竹刀の勢いを利用し、回転扉のようにその場で回りながら横薙ぎを繰り出した。狙いは竹刀を射出したと同時に彼の懐に飛び込んだ龍也。


 しかし、龍也は踏み込みと同時に生成した彼の得物、一対の双剣で迎撃する。竹刀と双剣の激突によって発生した烈風が、十メートルほど離れていた真唯の髪をなびかせた。


 続けざまに両手に握った双剣で怒涛の連撃を叩き込む龍也に対して、龍厳は右手に握った竹刀一本で襲い来る鋼の嵐を受け流していく。


 龍也は意図的に双剣の切れ味を限りなくゼロに落としているが、圧倒的な速度で振るわれるそれは、まともに当たれば枯れた老人の細い手足など一撃で粉砕するだろう。


 その苛烈な斬撃を、龍也は実の祖父に躊躇無く撃ち込んでいく。


 攻撃こそ最大の防御。一度でも守りに逃げれば間違いなく潰される。彼の猛攻はそんな圧倒的実力差に裏打ちされた焦りの裏返しでもあった。


 龍也が攻め、龍厳が流す。そんな膠着状態は、二十合ほど撃ち合ったタイミングで突如終わりを迎えた。


 龍厳によって握られていた竹刀、それが双剣との激突の瞬間、内側から弾け飛んだのだ。


 その反動を巧みに利用し、二人は一旦距離を取る。


 龍厳は息一つ乱さずに、右の掌に残った竹刀の柄を眺めて呟いた。


「ふむ、市販品の割には中々保ったほうか」


 龍也が魔力で生成した双剣と、彼の竹刀。強度がまるで違う二本がまともに打ち合えていたのは、龍厳の圧倒的な技量だけが理由ではない。


 彼は体内で生成した魔力を竹刀に注ぎ込み、物質としての強度を向上させていたのだ。


 しかし、彼の竹刀は龍也の双剣ほど魔力に対して親和性があるわけではないため、上げられる強度には限度があり、戦いの負荷に耐えきれなかったというわけだ。


「まあ、よい」


 龍厳は手に残った竹刀の欠片を放り投げ、気楽そうに呟いた。


「……準備運動はこんなもんでいいか?」


 双剣を構え直した龍也が問う。武器を失った龍厳に対して、微塵も警戒を解くそぶりを見せない。


 歴代の神代家当主の半分以上は徒手空拳に精通しており、龍厳もそのうちの一人だ。

 一般人の数十倍以上の魔力適性を持つ神代家の人間がまともに扱えるほどの魔力親和性を持った業物を入手することが困難を極めるという事情もあるが、己の肉体こそが至高の武器であるという強烈な自負こそが彼らが無手を好む最大の理由だ。


 龍厳が半身で構える。体に余分な力はほとんど入っておらず、隙は全くと言っていい程無い。


 一方の龍也は、上半身を落とし、獣のような体勢で剣を構える。


 ────静寂は一瞬。二人は同時に動いた。


 魔力を纏った剣と拳が激突する。先程よりもさらに大きな衝撃音が道場に響き渡る。


 ──迫り来る剣の側面に掌を添え、軌道を逸らす。


 ──唸る拳を体を捻って回避する。


 ──左右から迫る凶刃を咄嗟に体を落とすことによって回避し、低い体勢のまま足払いを仕掛ける。


 ──後ろに一歩下がり、拳の射程から抜けたところで反撃に出る。


 目まぐるしく攻守を変えて撃ち合う二人だが、双剣を操る龍也に対し、両手両足、体全体を使って攻撃を仕掛ける龍厳が手数で僅かに上回っており、その小さな差はやがて、決定的な一撃に繋がった。


「ぐっ……!?」


 対応が僅かに遅れた龍也のガードをすり抜け、龍厳の拳が龍也のあごを撃ち抜いた。

 衝撃で脳を揺らすと同時に、接触の瞬間、拳から魔力を相手の体内に流し込み、拒絶反応によって相手の意識を刈り取る凶悪な一撃だ。


 意識を失い倒れこむ龍也を、残心を取り静かに見つめる龍厳。


 壁際で二人の攻防に圧倒されていた真唯は、おそるおそるといった様子で龍厳に声を掛けた。


「……終わり、ましたか?」


「──ああ、終わったよ。待たせてしまってすまんね」


 先程までとは一転して、穏やかな顔で振り返った龍厳が答える。


「せっかく来てくれたのだから、茶でも淹れよう。何、こいつは放っておけばそのうち起きる」


 床に倒れ伏した龍也には目もくれずに、彼はそのまま道場を出て行ってしまう。


 真唯はしばらく躊躇っていたが、龍也に近寄り大きな怪我が無いことを確かめてから彼の後を追った。

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