第三章 告げられた真実②
フィリアが家に転がり込んできた翌日の夕方、龍也とアリサは日用品と食材の買い出しを終え、アパートの階段を上っていた。
龍也はフィリアから目を離すのを嫌って家に残ると主張したが、涙目のアリサに迫られあえなく轟沈。絶対に外を出歩かないとフィリアに誓わせ、しぶしぶ買い物に付き添った龍也だったが、終始ご機嫌な彼女を見ているうちに、昨晩からの鬱々とした気分が徐々に回復していくのを感じていた。
彼女には昨日のフィリアとの会話は聞かれていないはずだが、龍也の様子から何かを察し、気分を変えるために無理矢理外に連れ出してくれたのかもしれない。
龍也の部屋は二階にあるため、二人は縦に並んで狭い階段を上る。普段ならば龍也はアリサの後ろにつき、彼女が足を滑らせないように気を払いつつ、丁度目線の高さに来るスカートの揺らめきをのんびりと眺めるのだが、今日は珍しく彼女の前に立ち階段を上っていた。二階の廊下に奇妙な気配を感じていたからだ。
龍也の予想通り、彼の部屋の前に一人の女性が佇んでいた。
数々の実戦経験で鍛え上げられた龍也の観察眼は、長い黒髪を風で揺らし、純和風の着物を着こなしたこの女性にそこまでの戦闘能力はないと告げている。しかし龍也は自分の直感に従い、警戒を解こうとはしなかった。
階段を上りきったところで立ち止まり動かなくなった龍也を不審に思ったのか、アリサが彼の肩口から顔を覗かせる。
「……あの、どちら様ですか?」
アリサも彼女の奇妙な雰囲気を感じたのか、いつにもまして遠慮気味に声を掛ける。
彼女の声に反応して、女性がゆっくりと振り返った。
その女性は二人を視界に入れると、深い笑みを浮かべて言った。
「初めまして、神代龍也君、それに天壌アリサさん。私は土御門咲耶と申します」
「で、何の用ですか」
土御門は冷たい声で自己紹介をさえぎった龍也に怒るでもなく、素知らぬ顔で会話を続ける。
「翼宿学園からの使者、と言えば通じるでしょうか」
「…………」
龍也が押し黙ったのは、彼女の言葉に心当たりがなかったから、ではない。むしろ、一番可能性の高い返答だと予想してすらいた。彼の背後にいるアリサの表情が不安げにこわばる。
「……その話は、もう断ったはずですが」
暗に早く帰れとアピールする龍也と、それを華麗に無視する土御門。
「しかし、この前貴方を訪ねた時とは状況が変わってしまいましてね」
「そっちの状況が変わったからといって、こっちの返答まで変える気は無い」
龍也は頑なに拒絶の意思を示すと、土御門は困ったような顔で微笑んだ。
「……状況が変わったのはこちらではなくそちら側だと言ったら、どうしますか?」
「……なんだと?」
「こんな所で立ち話もなんです。中でゆっくりと説明させてはくれませんか?」
「そこは俺の部屋だ。あんたの部屋じゃない」
「まあ、そう言わずに。実は、貴方の部屋で潜伏している天使の方にも関係するお話です。彼女にもまとめて話してしまったほうが効率が良いでしょう」
「……あんた、一体どこまで知ってる?」
平然とフィリアについて言及され、ますます警戒を強める龍也。
「それも含めて中でお話します」
「……チッ」
前哨戦の敗北を悟った龍也は、しぶしぶと言った様子で彼女を部屋に入れる。
部屋に入ると、龍也とアリサが家を出る前と全く同じ位置で座り込んでいたフィリアが顔を上げた。
「……話は聞こえていました」
「そうか」
投げやりに答えた龍也の背後から土御門が顔を出す。
「初めまして、土御門咲耶と申します。……貴女がフィリアさんですね?」
「……ええ」
穏やかな表情で挨拶する土御門と、硬い表情で返事をするフィリア。
「……随分と落ち着いてるな。目の前にいるのは人類の敵だっていうのに」
「戦争中の相手国民の全てが敵というわけではありません。明確な殺意を持って襲いかかってくるのはその中の一部にすぎません」
「確かにその通りだが、こいつがその一部である可能性は否定できないだろ。俺たちの懐に入り込んで油断した隙を突くつもりかもしれない」」
龍也は彼女が敵の間者である可能性を示唆するが、土御門は首を振り、
「天使側にも和平派や停戦派といった、争いを望まない者達もいると聞いています。第一、そういうあなたも相当彼女に心を許しているようですが」
痛いところを突かれた龍也が黙り込む。彼女の言う通り、口ではああ言ったものの、フィリアが敵の間者であるとは龍也ももう思っていない。そうでなければアリサに危険が及びにくかったとはいえ、天使であるフィリアから目を離しはしなかっただろう。
「あの、お茶どうぞ」
「これはこれは。ご親切にありがとうございます」
空気を読んでくれたのか、アリサがちょうどいいタイミングで廊下から茶の載ったお盆を持って現れる。それをきっかけにして、それぞれがちゃぶ台の周りに集まって座る。
龍也の正面に土御門、右側にフィリア、左側にアリサ。
「で、話って何だよ」
最初に口火を切ったのは、最早敬語を使う気も無さそうな龍也だった。
アリサの淹れた茶を美味しそうに飲んでいた土御門は、カップをテーブルに置き、何でもないことのように言った。
「まあ、いくつか話の種はありますが、一番重要な案件はやはり、君を翼宿学園に招待することでしょうね」
龍也も茶を飲んで一言。
「断る」
土御門は言うことを端から聞こうとしない龍也に気分を害する様子もなく、
「表現が不適切でしたね。先程は招待と言いましたが、正しくは説得です」
「……俺が学園に行かなくても問題は無いという話じゃなかったのか?」
「それは三年前の話です。言ったでしょう?状況が変わったと」
「……じゃあ、その状況の変化ってやつを説明してくれ」
「承りました」
土御門は完璧な愛想笑いを貼り付けたまま茶を一口含み、
「神代君。三年前の勧誘の際、我々が行なった学園の説明を憶えていますか?」
龍也はしばらく黙った後、慎重に口を開いた。
「確か、学園にデモニアの子供達を集めて国の監視下に置くと同時に、戦う意思のある奴には対天使戦線に参加できるよう訓練をする、って感じだったか」
「ええ、その通りです」
土御門は一度頷き、流れるように言葉を紡いでいく。
「六年前、かの護堂博士によって聖天柱と呼ばれる天使の臨界場所を誘導する装置が開発され、日本政府は日本全域をカバーできる大型聖天柱を二柱建造することによって、天使達の臨界場所を翼宿学園と、軍の私有地の遊撃スポットの二点に限定させることに成功しました」
龍也もアリサもそのことは知っていた。聖天柱は開発者の護堂玄人の名前と共に歓喜と驚愕を持って迎えられ、連日連夜メディアを騒がせていたからだ。
そしてその効果は凄まじく、大型聖天柱の設置と同時に、全国各地で散発的に発生していた天使の臨界はパタリと途絶えた。
一部の例外を除いて。
「でも……、この街ではまだ天使達の襲撃が続いています」
不安げなアリサの発言に、土御門は軽く頷いて、
「ええ。この街の現状は政府の情報統制によって新都やその他の地域に住む市民たちにはほとんど周知されていません。SNSなどによる情報の拡散を完全に防げている訳ではありませんが、今はまだ人的被害や大規模な市街地の破壊といった目に見える被害は出ていないため、不吉な噂話といった程度です。しかし、もし神代君によるこの街の防衛が失敗し大規模な被害が出てしまえば、隠蔽の継続は困難となり、全国的な混乱は抑えられなくなるでしょう」
「そんなイレギュラーが起こっているんだから、なおさら俺が学園に行くわけにはいかないじゃないか。俺がいない状態で天使が来たら、ここは火の海になるぞ」
土御門は彼の至極真っ当な反論を聞いているのかいないのか、逆に質問を投げ返した。
「では、神代君。貴方はこのイレギュラーな事態の原因は何だと考えますか?」
龍也はしばらく考えた後、
「……そっちの大型聖天柱にトラブルでもあったか、天使達が聖天柱の効力を無効化する方法でも見つけたか。どっちにしろ、早く対策を打たないとまずいんじゃないか?まだ被害は出てないのは、たまたま敵の臨界規模が俺一人か俺と自衛隊からの少数の増援で対処できるぐらいだったからで、そんな幸運がいつまで続くかなんて分かったもんじゃないぞ」
「その心配はいりません」
妙にはっきりと断言する土御門に、龍也は不審げに眉を顰める。
「……何故そう言い切れる?」
「単刀直入に申し上げましょう。大型聖天柱の効果範囲内で、この街以外にゲートが開くことは理論上ありえません。正確には神代君のいる地点から最寄りの聖天柱以外、ですが」
場を沈黙が包み込んだ。
土御門の発言の真意、それを読み違えるほど能天気な者、頭の回転の鈍い者はこの場には存在しなかった。
唇を噛み締める者、息を呑む者、無反応を貫く者。三者三様の反応を土御門は感情の窺えない瞳で観察している。
「……根拠はあるんですか。リュー君が、天使を引き寄せているっていう明確な証拠は」
感情の読めない顔で黙り込んでしまった龍也の隣で、激情を無理やり押さえ込んだかのようにこわばった表情でアリサが口火を切る。
「もちろんです。根拠もなくこのようなことを言っていては誹謗中傷と捉えられてしまってもおかしくありませんからね。……神代君、貴方はデモニアが自らの意思で使用できる魔力の量が、契約してからの期間の長さで変わることをご存知ですか?」
「……ああ、時間がたつにつれて契約者の体が魔力に馴染んできて、使える魔力量が増えるってやつだろ?前にジークに聞いたし、実際に体感してる」
「その通りです。実は、先程の貴方が天使の出現を誘引しているという仮説も、貴方の魔力保有量に関係しています」
「魔力の保有量に?」
「ええ。聖天柱は内側に封じた聖気をマーカーにして、意図的に場の霊的な環境を乱すことによって天使の出現ポイントを自身の付近に誘導しています。そして、魔力と聖気は本質的には同じ物質。つまり──」
「一定以上の魔力を持つデモニアは、聖天柱のように天使達を呼び寄せてしまうってことか……」
苦々しげに呟く龍也。
「そ、そんな訳ないじゃないですか!」
顔を真っ青にしたアリサが立ち上がって叫んだ。
「この街は地脈の真上にあるから天使が引き寄せられやすいって聞いたことがあります!きっとその影響です!リュー君は関係ありません!」
「確かに風水的に霊気の溜まりやすい場所、即ちゲートの発生を誘引しやすい場所というのは存在します。しかし、大型聖天柱はそれらの土地の効力を塗りつぶすほどの出力を持っています。現に、地脈の上に位置する他の街でも、デモニアが滞在していない時にゲートが開いた事例はありません」
「で、でも、翼宿学園や自衛隊の特殊部隊には所属せず、普通の市街地で生活しているデモニアの人はリュー君以外にもいます!デモニアがゲートを引き寄せているっていうなら、この街以外ではゲートは発生し得ないという先ほどの説明と食い違うじゃないですか!リュー君と他のデモニアの人との間に、天使を引き寄せるかどうかを左右するような大きな違いなん……て──」
必死の剣幕でまくし立てられていたアリサの弁護が尻すぼみに小さくなって消えた。
彼女は途中で気付いてしまったのだ。先ほどの魔力の保有量の話の中に、彼女の主張を無慈悲にも否定する答えがあったことに。
「で、でも、その、えっと……」
必死に反論材料を探すアリサに龍也は静かに声をかける。
「──アリサ、もういい」
「リュ、リュー君……。でも、このままじゃこの街に天使が現れるのはリュー君のせいってことになっちゃう。リュー君は今までずっと頑張ってきたのに、また周りから白い目で見られて……。私そんなのやだよ!」
涙目で訴えるアリサに、龍也は僅かに笑って
「別に俺は、周りの連中に認められるために今まで戦ってきたわけじゃない。だからこんなつまらないことで、お前が泣く必要は無いよ」
龍也は笑みを消しながら土御門に向き直り、静かに言った。
「──原因は俺の、いや神代の体質か」
「理解が早くて助かりますね。大型聖天柱を建造したのは、混乱期に各地に散らばっていたデモニア達の周囲に天使の出現が偏り始めるのが時間の問題だったからです。デモニアの魔力が当時の小型聖天柱に封じられた聖気量を超えるのは、契約してからの年数で計算して約五年と推測されていました」
「五年……」
龍也がジークと契約したのは七年前の大神災の日。そして、一度姿を消したはずの天使達が再び現れたのは二年前。
現在稼働している大型聖天柱の詳細なスペックは公には公表されていないが、有効範囲規模の拡大から推測して、低く見積もっても従来の小型聖天柱の数倍の量の聖気が封じ込められているはずだ。
「貴方が他のデモニアよりもかなり早い段階で聖天柱の効力に影響を与える、そのこと自体は前回貴方を訪ねた三年前の段階で判明していました。しかし、これはあまりにもサンプルの少ないケースです。実際問題どのタイミングでその事象が発生するのか、それは我々にも予測し得なかった。ですので前回は無理強いはせず、貴方が拒否した時点でこちらも引き下がりましたが、今回はもうそういう訳にもいきません」
「……デモニアを一箇所に集めてるのは、それが理由か」
「ええ。今後、といってもしばらく後の話ではありますが、いずれ貴方のように聖天柱の効果を覆してしまうデモニアが他にも出てくるでしょう。その時に各地に悪魔憑きが点在していると、どこに天使が出現するか予測できなくなってしまいますからね」
「……大体の事情は分かった。だけど、返事は少し待ってくれ。こっちにもこっちの都合がある」
土御門は鷹揚に頷き、
「もちろんです。私は一週間ほどこの街に滞在します。フィリアさんの問題に着手しながらで構いませんので、ゆっくりと考えてください。いい答えが返ってくることを期待しています」
「そういえばあんた、さっきこの話はフィリアにも関係するって言ってたな。一体、どういう意味だ?」
「簡単なことです。彼女は当面の傷を癒すという目的を達成した後はどう動くか決めていないのでしょう?私の知る限り、日本全国を見渡しても翼宿学園ほど天使や悪魔に関する情報が集まる場所はそうありません。次の目的を定めるためにも、一度学園で情報を集めるというのもありなのではないかと思いまして。もちろん、そちらの保有する情報をこちらにある程度譲渡する場合、という条件が付きますが」
「……考えておきます」
今まで龍也と土御門の会話を黙って聞いていたフィリアがそっけなく答える。
「……あんた、一体どこまで知ってるんだ?」
フィリアの存在だけでなく、彼女が現在置かれている状況まで詳しく把握している土御門に、龍也はたまらず尋ねる。
「我々には我々の情報網がある、とだけ言っておきましょう」
龍也は最早何も言わなかった。
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