第三章 告げられた真実①


「──おう、分かった。ひとまずそいつはお前の監視下に置いておいてくれ。いいか、絶対に目を離すなよ?こっちは大至急対応策を検討する。──ああ、何かあったらすぐに報告しろ。こっちも進展が有り次第連絡する」


 龍也との通話を終えた平賀は重苦しいため息をついた後、昨日に引き続き午前中から押しかけていた喫茶店で倒れこむような勢いでソファの背もたれにもたれかかる。


「天界からの亡命者、人類と天使の戦争を止める、ねえ……。まさかこの俺がそんなお伽話じみた事態の当事者になっちまうなんてな」


 平賀はそうボヤきながら一言も口を開かずに黙々とグラスを磨いていた店主に声をかけた。


「コーヒーを二杯持ってきてくれ。片方はブラック、もう片方は砂糖とミルク入りで頼む」


 無言で頷いた店主が準備を終わらせ、テーブルにコーヒーを運んできたタイミングで、入り口の扉に取り付けられた鈴が新たな客の存在を知らせる。


 長い黒髪を揺らし、今時珍しい純和風の着物を華麗に着こなした妙齢の女性が静かに平賀のいるテーブル席に歩み寄り、給仕をしていた店主に会釈をしてから平賀の正面に腰を落とした。


「お久しぶりですね。平賀さん。去年の北海道での大規模侵攻以来でしょうか」


「そうだな、要件は大体通話で済ましちまうから、面と向かって話すのは随分と久しぶりな気がするぜ。なあ、学園理事長さん?」


 翼宿学園理事長、土御門咲耶。日本唯一の未成年デモニアの養成機関のトップは、実年齢以上に大人びた笑みを浮かべたまま視線を落とす。


「このコーヒー、砂糖とミルクは入っているのですか?」


「前回入れたって嘘ついてブラック飲ませたことまだ根に持ってんのか?流石に今回は入れといた」


「……結構」


 おそるおそるカップに口をつける土御門に呆れた視線をやりながら、平賀は軽い調子で尋ねる。


「それで、どうだったよ。あんたから見た龍也は。昨日の戦闘、あんたも見てたんだろう?」


 コーヒーを一口口に含んだ土御門はホッと息をつき、改めて平賀を見やる。


「ええ、式神を飛ばして拝見させてもらいました。……正直、想像以上です。最古参の契約者であることに加えて、神代の才を色濃く受け継いだあの体質。気、呪力、魔力、そういった異能の力を感知できる者なら一目で理解できます。──神代龍也、彼は格が違う」


「一般人である俺にはピンとこない話だが、日本に残存する異能者を輩出する御三家の一つであり、日本の政界を裏から支えている土御門家の次期当主殿がそう仰るならそうなんだろうさ」


 土御門は平賀の明け透けなお世辞に反応を示すことなく、話を進めていく。


「……本来、ありえないはずなんです。大型聖天柱の効果範囲内に存在するこの街に、これほどの頻度でゲートが開くことなど。未だにこの街の住人に死傷者が出ていないのは奇跡以外の何物でもありません」


「龍也の野郎、口では文句を垂れつつも毎回天使どもを街にほとんど寄せ付けないからな。おかげでこの街の住人は自分たちの置かれている異常な状況に気づいちゃいねえ。実際に天使が街まで到達しないなら、避難警報もただの訓練と同じ、日常に溶け込んじまう。ま、その方が俺としては動きやすくて助かるんだがね」


「この街の仮初めの平穏は神代龍也という規格外のデモニアの存在によって保たれています。……その脅威を呼び込んでいるのも、また彼自身だという事実は皮肉としか言えませんが」


 しばしの間、テーブルを沈黙が包んだ。


「……この街で危うく保たれている今のバランスはそう長くは続かない。いくら龍也が並外れて強力なデモニアだろうと、一人ではいずれ物量的に押し負けるのは確実だ。だからこそ、奴が現れたこのタイミングでこの街の問題にケリをつける必要がある」


「──フィリアと名乗る天使の出現。そして彼女による停戦の提唱」


 平賀の提示した問題の意味を正確に理解し、先回りまでして見せた土御門は、静かにカップに視線を落とした。


「あんたはあれについてどう思う?」


「彼女の証言には信憑性があります。当面の問題、フィリアさんの聖気不足が解決し次第、翼宿学園理事長として彼女の停戦の実現方法を模索する活動を全面的に支援するつもりです」


 ノータイムで返ってきた想定外の答えに、面食らった平賀が慌てて食い下がる。


「ちょっ、おいおい、本気で言ってるのか!?まだあいつの言ってることの裏付けも取れてないんだぞ!?あいつは天使どもが送り込んできたスパイで、こっちの懐に潜り込んでなにかをしでかそうとしてるとか、そういう可能性の方が高いだろうが!」


 平賀の至極真っ当な指摘にも動じず、土御門は優雅にコップに口をつける。


「逆に聞きますが、平賀さん、あなたは彼女の証言の裏付けを取ることが出来るのですか?天使側に我々の密偵を送り込むことに成功していない今、彼女の発言の真偽を百パーセントの精度で判別することはできません」


「ぐっ、い、いや、それはその通りだが……」


 痛いところを突かれ勢いを失った平賀は、思わず浮いていた腰を元の位置に戻す。


「七年前に始まったこの戦争、このままでは勝ち目がないということはかなり前から分かっていました。敵の物量、資源、体力、なにもかもが未知数、下手をすれば無限。一方のこちらは有限の戦力で騙し騙し戦線を維持しているというのが実情です。状況を打破しようと各国が様々な試みを行っていますが、残念ながら護堂博士の他に大きな成果を出せた者はいません」


 一度言葉を切った土御門は、懐から取り出した長方形の札を取り出し、テーブルの中心に置いた。


「……これは?」


「盗聴を防ぐための簡易術式が込められた呪符です。空気中に伝わる音の波に干渉する術式で、周囲の人間、例えばあそこに立っている店主の方には私たちがどんなに物騒な会話をしても、全て当たり障りのない会話に変換されて耳に届きます。視覚に干渉する効果はないので、なるべく表情を変えないように注意してください」


「あいつは裏の業界にも繋がってるブローカーで、口の固さは折り紙つきだぜ。現にあんただって、今の今までフィリアの話を平気な顔で喋ってたじゃねえか」


 カウンターで黙々とグラスを磨く店主を見やりながら訝しげに問う平賀に、土御門は表情を変えずに答える。


「この情報を知っているのは国や軍の超上層部の数人だけ、いわゆる国家機密です。これを知る人間は出来る限り少人数に留めておきたいのですよ。この情報を知っているというだけで命を狙われる可能性もありますし」


「聞かなかったことにして帰っていいか?」


「これは他言無用でお願いしたいのですが」


 うんざりした顔でこぼされた平賀の軽口を笑顔で封殺し、土御門はそう切り出した。


「我々と協力関係にある、天使側の内通者は彼女が一人目ではありません」


「…………は?」


 平賀の動きが止まる。


「人間側にもイルミナティのような人類の絶滅を目指して活動している集団がいるように、あちら側も人類を絶滅させるという意思で統一されているわけではないようです」


「じゃあ、彼女が言ってたっつー、師匠を探しにきたっていうのは……」


「天使の侵攻が始まる前からこちらの世界に来ていた、我々の協力者の中の誰かだと思われます」


 次々と明かされていく事実の衝撃に震えながらも、平賀はなんとか平静を保ちつつ質問する。


「その協力的な天使たちは、今どこで何をしてるんだ?」


「それは最重要機密です。余人に漏らしたことが知られれば私もただでは済みません。……開戦前、彼らは我々にいくつもの知識や情報をもたらしてくれました。私を含めた最初期の人類側の接触メンバー、今でいう各国のデモニア養成機関の長たちがここまで素早く体制を整えられたのも、彼らの協力があってのもの。しかし、彼らの存在は我々の切り札であると同時に最大のアキレス腱でもあります」


「……なるほど。道理でそこまで神経質になるわけだ」


 各国が戦前の揉め事を全て棚上げして一致団結できているのは、天使という共通の脅威に対する反発や敵対心が人々の意思を纏め上げ、方向性を固定化させているからだ。もし、天使の全てが自分たちに対して敵対的なわけではないという情報が広まり、政治的解決の糸口が見出されてしまえば、意思の統一は崩れ、再び利権や差別を巡る紛争が多発し、下手をすればそのまま破滅まで一直線という可能性すらある。


「しかし、これは避けては通れない問題でもあります。天使との戦争を永遠に続けることが不可能である以上、人類が目指すべき先は停戦か終戦しかありません。つまり、どこかのタイミングで天使に対する憎しみを沈静化させる必要があるわけですが、今はまだ時期尚早と言えるでしょう」


「そりゃそうだ。特に前線で戦っている奴らなんかにとっちゃ、敵への憎しみは大きな原動力に繋がってるからな。……じゃあ、今回の天使も存在を秘匿したまま保護するつもりなのか?」


 なんとか動揺から立ち直った平賀の問いに土御門は頷き、


「そのつもりです。この世界にとどまる際に生じる聖気消費の問題さえ解決できればあとはどうにでもできますからね」


 微笑む土御門を横目に、平賀は渋い顔で二杯目のコーヒーを呷った。


「何はともあれ、龍也の野郎が上手く聖気を確保できないと話は進まなそうだな」


「まあ、その点は心配無用かと。昨日の戦闘を見た限り、神代龍也、彼はまだまだ余力を残しているように見受けられましたからね」


 テーブルの中央に置かれていた盗聴防止の呪符を懐に戻しながらそう嘯く土御門を半眼で見やった平賀は、黒い雲が立ち込めてきた空に視線を投げる。


(善人であることは間違いないんだが、どーにも腹の底が読めないというか信用しきれないところがあるんだよな、このアマ)


 龍也が聞いたらお前が言うなと突っ込まれそうな感想を抱きながら、平賀はカップの底に残ったコーヒーを呷った。

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