第一章 綻ぶ日常②


 関東地方南部に位置する逸加市の北端からさらに北に約五キロ。天使による初の大規模侵攻、通称『大神災』で破壊された建築物が放置され、数十キロに渡って廃墟が広がる無人のエリア。

 再開発地区とは名ばかりで、ここ数年で人の手が加えられたのは緊急車両が通れるよう道路をふさぐ瓦礫が撤去された程度だ。


 そんな中でも一際異彩を放っているのは、廃墟の中で屹立する、古代ギリシャの神殿にでも使われていそうな五本の巨大な円柱。聖天柱と呼ばれるその柱は、意図的に場の位相を歪ませることによって天使が臨界しやすい環境を整え、彼らの出現ポイントを誘導する装置だ。


 つまり、聖天柱に囲まれたこの空間こそ、七年前から続く人類の存亡を賭けた天使との戦争の最前線なのだ。


 しかし、本来ならこの区画に設置されている聖天柱は五年前に役目を終えた、はずだった。


 天使の臨界場所を限定させる避雷針として聖天柱が全国各地に設置されたのが大神災の翌年。さらにその次の年には日本全国を覆えるほどの規模の大型聖天柱が開発され、非戦闘員である一般市民が生活する地域での天使災害の件数はほぼゼロにまで落ち込んだ。それは、龍也とアリサの住むこの逸加市も例外ではなかった。


 しかし今からおよそ二年ほど前のことだ。この街の付近で再びゲートが開くようになったのは。


 平賀や他の代行者たちが調査を進めているらしいが、二年が経過した現在でもその原因は未だ不明。

 天使たちの臨界規模は毎回少しずつ、だが確実に大きくなっている。今はまだ余裕を持って処理できていたとしても、いずれ致命的な綻びが生まれないとも限らない。


 龍也にできるのは不定期に襲いかかってくる異界からの侵略者たちを愚直に迎撃し、この街を、そして幼馴染の少女を守り抜くことだけ。


「……あと五分ってところか」


 頭上で徐々に収束していく聖気の塊を見上げながら放たれた龍也の呟きは、誰にも届くことなく消えていく。元から無人の再開発地区は言わずもがな、そろそろ逸加市の市街地でも住民の避難が完了した頃合いだろう。


(ジーク、起きろ。仕事の時間だ)


 龍也の呼びかけに応じ、彼の内に潜むもう一つの存在が表層意識に浮上する。


(んー、またか。最近多くね?)


 七年前に龍也と契約を結んだ悪魔、ジークが妙に人間じみた口調でそうぼやく。ジークとは名前を持たない竜であった彼に当時の龍也が適当に付けた名前だが、彼自身は意外と気に入っているらしい。


(今月に入ってもう三回目だ。この前大規模侵攻があったばかりだし、妙に奴らの動きが活発化してるみたいだな)


(まあ暇を持て余すくらいなら忙しい方がマシか)


(人が戦ってるのを内側で眺めてるだけの奴にとっちゃそうだろうな。いいから魔力を回せ)


(ハイハイ)


 契約で結んだパスを伝って、ジークから煮え滾るマグマのような熱量を孕んだ魔力が流れ込んでくる。

 悪魔憑きデモニアになったことで引き上げられた魔力親和性が無ければ一瞬で全身が燃え尽きてしまう程の、膨大な魔力が龍也の体内を巡っていく。


 龍也が手のひらに魔力を集中させると、魔力で編まれた刃渡り四十センチはありそうな無骨な小太刀が二本、虚空から姿を現した。


「準備完了、っと」


 再び頭上を見上げると、上空の聖気はすでに空間を歪めるほどの密度を持って蠢いていた。


「…………」


 黙って虚空を見つめる龍也の視線の先、彼の頭上五十メートル程の空中に拳大ほどの小さな白い点が発生した。

 白点は見る間に空気を裂きながら肥大化していく。その空間の狭間から現れし者こそ、人類を根絶やしにせんとする侵略者達。


 臨界したのは、人型天使四体と、一辺五十センチ程の立方体の形をした自律戦闘型天使、通称『ルービック』三十二体。


 白銀の髪に病的なまでに白い肌、そして彼らが人外であることを証明する腰部の辺りから生えた一対の翼と頭上で揺らめく光輪。彼らは異常なほど整った造形の顔に無機質な表情を浮かべ、地上を睥睨している。


 この規模の臨界に対してデモニア一人で対処するということは本来なら有り得ない。

 大神災後に自衛隊内に設立された、対天使特殊部隊(対天使戦線における実質的な国防軍)が定めた基準によると、デモニアを戦闘能力で七段階に区分した場合、人型天使を一対一で倒せる実力の持ち主は上から四番目のCランクに該当し、特殊部隊の一般隊員の最低ラインに設定されている。今回の戦闘の規模で周囲の住宅地に被害を出さずに天使を殲滅しようとするならば、Cランクのデモニアなら最低十二人、Bランクでも五人は必要だろう。


 そんな多勢に無勢の状況で、龍也の顔に刻まれていたのは好戦的な笑み。


 自分達を待ち受けていたのが年若い少年一人だと気付き、訝しげな様子を見せながらも、天使達は彼に狙いを定める。


 次の瞬間、彼の体から噴き出した膨大な魔力に、感情を持たない自律戦闘機であるはずのルービックですら一瞬動きを止めた。


 龍也は体を軽く沈め、魔力で編んだ小太刀を両手に握り、猛烈な速度で飛び上がった。


「────ハッ!」


 上空二十メートル程に浮遊している天使達に対して、龍也は五メートル程飛び上がった時点で一太刀目を振り下ろす。すると、刀が纏う膨大な魔力が炎の渦となって天使達に襲い掛かり、一瞬で彼らを飲みこんだ。


 不意打ち気味に放たれた一撃は、三十体以上いたルービックをことごとく焼き尽くし、人型の天使達にも無視できないダメージを叩き込む。


 龍也の狙いはルービックの散開を防ぐこと。一対多という構造上、敵に周囲を囲まれるという状況はできる限り避けなければならない。天使達に彼を足止めする集団と彼を無視し街に攻撃を加える集団に別れるといった行動を取られでもしたら目も当てられない。


 よって、臨界直後で密集している天使達に大規模な攻撃を加えるという龍也の行動は、この場ではまさに最適解だった。


 龍也は自身の攻撃によって煙に包まれ著しく視界の悪化した空域に躊躇なく飛び込んでいく。


「────ガッ!?」


「────グアッ!?」


 防御結界を発動させ先程の爆撃を耐え抜いていた人型天使二体を、彼らの死角を伝って駆け抜けた龍也が音も無く刈り取っていく。

 彼の鍛錬によって研ぎ澄まされた魔力感知と、生来の獣的な気配感知が組み合わされば、視覚が封じられる程度は問題にならない。


 仲間の断末魔の叫びを聞いた生き残りの天使が、全速力で煙に巻かれた空域を離脱していく。


「チッ、ボーナスステージは終わりか」


(おい龍也、気付いてるか)


(当然)


 天使を追って煙の中から飛び出した龍也は、視線をわずかに上に投げる。


 今回臨界した人型天使は四体。二体は先程龍也が始末し、彼の目の前にいるのは一体。残りの一体、それは、彼と相対する天使のさらに上、ゲートが開いた空間付近。


 白い異国風のトーガを纏ったその女性型の天使は、臨界位置からほとんど動く様子を見せない。

 純白に染まったその生き物は唯一の色素を孕んだその黄金色の瞳で、眼下で行われている龍也と男性型天使の戦闘を観察している。


(……殺すことに変わりはないが、攻撃する意思を見せないならひとまず後回しだ)


 正面に向かい合った天使がロングソードを構える。


 天使の用いる武器は比較的種類が多く、剣や槍、槌といった近接武器から、聖気を増幅させ術式の発動を高速化・高威力化させる杖といった遠距離武器など多種多様だ。


 敵は背水の陣、龍也のみに全ての注意力を注いでいる今、もう先程のような不意打ちは通用しないだろう。


 一方の龍也は構えを取るそぶりを見せず、腕を下ろした自然体のまま。


 踏ん張りの効かない空中では、足を広げ重心を落とすといった体術のいろはは通用しない。空中近接戦に求められる物、それは自身の確殺圏内(キリングレンジ)に侵入してきた敵に対して、どれだけ速く攻撃を加えられるかということ。


 ロングソードを正中線に構えジリジリと間合いを詰めてくる天使に対して、龍也はその場からピクリとも動かない。


「──ハアアアァ!」


 それを好機と見た天使が弾丸のような速度で龍也の元に飛び込み、裂帛の気合と共にロングソードを彼の脳天に振り下ろした。


「────」


 いつの間にか頭上に掲げられていた左の小太刀に接触したロングソードが僅かに軌道を逸らし、龍也の髪を激しく揺らす。


「──ッ!?」


 攻撃をいなされた天使が、V字の斬り上げに繋げようと振り下ろした剣に力を込めるが、時既に遅し。


 斬撃を逸らすとほぼ同時に繰り出された龍也の右の小太刀は、狙い違わず天使の胸の中心の核、この世界で天使の存在を保つための触媒を貫いていた。


「…………」


 最大の急所を破壊された天使は、小さく何度か痙攣した後、手足の先から空気に溶けるかのように消えていった。そんな天使の最期を見届けることなく、最後に残った一体に視線を移した龍也の顔が初めて強張る。


「なっ……!?」


 龍也の視界に映ったのは、彼に背を向け、全力でアリサや一般住民のいる市街地の方向に逃走する天使の背中だった。


「やられた……っ!」


 龍也が彼女の同胞にとどめを刺す瞬間、ほんのわずかな時間とはいえ、龍也の意識が自身から完全に離れる瞬間を待っていたのだろう。


 意表を突かれた龍也は慌てて追撃を開始する。


 後方からぐんぐんと迫る龍也の姿を確認した天使は高度を落とし、廃墟と化した旧市街地の中に飛び込んでいく。


(廃墟を盾にして飛び道具を防ぐつもりか。中々やるじゃねえか)


 龍也と視界を共有し戦況を眺めていたジークが楽しそうに呟く。

 既に、駄目元で放たれた龍也の炎弾は全て天使まで届かず、いくつかの廃ビルを爆破しただけで終わっている。


 大神災によって破壊された街並みが放置されている旧市街地とアリサや他の住民が暮らしている新市街地の境界線まで残りおよそ二キロ。悠長に鬼ごっこを続けている余裕は無い。


 龍也の魔力量をもってすれば、半径二百メートル規模の爆撃を行うことも可能だが、個人に対して周囲を巻き込んだ無差別攻撃を行うと生死確認が困難になるというデメリットもある。爆発に紛れて天使が逃走してしまう危険性を考慮するなら、やはり小規模でピンポイントな攻撃でとどめを刺すことが望ましい。


 龍也は脳内で現在地から新市街地までの廃墟の並び具合を確認する。


「……チャンスは一度、か」


 このまま天使が新市街地に向かって逃走を続けた場合、彼女の盾となる廃墟が途切れるタイミングは一度きり。

 そこを逃せば新市街地への天使の侵入を許すことになり、どれほどの被害が発生するかは予測できなくなる。


 龍矢はスピードを緩めずに追跡を続けながら、タイミングを計る。


(三、二、一、────ここだ!!)


 廃墟の森を抜け、天使が四車線の大通りに侵入した。


 龍也は右手に握った小太刀を振りかぶり、天使に向かって思いっきり投擲する。


 放たれた小太刀は音を超えた速度で突き進んでいく。


 魔力感知によって炎弾による攻撃を回避していた天使は、炎弾とは桁違いの速度で自身に迫る小太刀に反応が遅れる。


「──ッ!?」


 それでも天使はなんとか体をひねり、軌道を核から逸らす。が、それが限界だった。


 小太刀は天使の脇腹に深々と突き刺さる。天使は衝撃によってバランスを崩し、斜め前方の廃ビルに激突した。


(──ここで仕留める!)


 老朽化した壁をぶち破ってビルの内部に飛び込んだ天使を追って、龍也もすかさず壊れた壁面から内部に侵入する。


 目と魔力感知、二つのセンサーをもって天使の姿を探す。──発見。フロアの中心、ビルを支える支柱の一本、その影に潜む天使を龍也の魔力感知が捉えた。


 彼女を構成する聖気の規模は先ほどよりやや減少している。核は破壊し損ねたとはいえ、どうやら一定のダメージは与えられたらしい。


 床に足をつけた龍也は、三歩でフロアを横切り支柱の前に到達する。


「──フッ!」


 龍也は回り込んで攻撃、などとまだるっこしい事はしなかった。魔力を纏い刀身を伸ばした小太刀は、一メートルほどもある支柱をバターのように切り裂く。


 支柱の陰に隠れ反撃のタイミングを計っていた天使は、慌てて後方に飛び退った。


「逃がさねえよ!」


 地上での近接戦は龍也の方が圧倒的に上手。あっという間に天使はフロアの隅に追い詰められてしまう。


「これで、終わりだ──!」


 神速の踏み込みでとどめの一撃を叩き込もうとした瞬間、突如龍也の第六感が警鐘を鳴らした。


「──ッ!」


 咄嗟に踏み込みをキャンセルし、バックステップで後ろに下がった龍也に、天使が立っていた位置を中心に発生した純白の嵐が襲う。


(こいつ、俺から逃げ回りながら密かに術式を構築していたのか!)


 龍也が瞬間生成した炎弾と純白の嵐が激突し、周囲から音が消えた。


 少し遅れて発生した凄まじい爆発。龍也と天使が戦っていたフロアは上下階と共に消し飛び、バランスを崩した廃ビルの上半分が音を立てて倒壊していく。


 間一髪爆発の圏外に逃れることができた龍也が、再び廃ビルに降り立つ。

辺りを見渡すが、既に天使の姿は跡形もない。


(さっきのは自爆術式か?いや──)


 龍也は目を閉じ、魔力感知に全集中力を注ぐ。


 三百メートル、五百メートル、一キロ…………。


「…………見つけた」


 天使の位置は境界線の新市街地側約二百メートル付近。聖気の規模は臨界時のおよそ二割。

 龍也の負わせた手傷と先程の自身さえ巻き込んだ捨て身の術式、その二つによって、すでに天使は戦闘不能だろう。


(クックック、まんまと逃げられちまったな、龍也)


(……既にあいつは満身創痍、自分の存在を保つのに精一杯で周りを攻撃する余裕は無いはずだ。市街地に侵入されたのは失敗だが、すぐに追いかけてとどめを刺せば問題無い)


(いやあ、それにしても天使が尻尾巻いて逃げ出すとはなあ)


 空間に突如発生するゲートは天界から人間界への一方通行であり、天使達には自分達の本拠地への撤退手段が無い。そのため、臨界した天使は己の内に溜め込んだ聖気を使い切り消滅するまで、街や人類を攻撃し続ける。

 それが七年間にわたる天使達との戦争によって人類が得た常識だ。


(ただの臆病者か、それとも何か目的があるのか。どっちにしろ殺すことに変わりはないが)


(ククク、違いねえ)


 ジークとの会話を打ち切った龍也は、再び追跡を開始する。冷徹な表情の裏に、炎のように燃え盛る殺意を宿して。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る