故郷を離れた瞳

「実は、僕をセツから解放するために、あんな小芝居こしばいを打ったのか?」

「えっと……まあ、その………そうなる、かな…?」



 素直に認めるのはなんだか恩着せがましい気がして、そんな曖昧あいまいな返事をすることしかできなかった。



 本当なら、拓也をセツから解放することができれば、目的は達成されていたはずだった。



 そこで、拓也だけではなくユーリも解放したいとせがんだのは自分。



 ユーリと行動を共にしている間、ユーリの体に大量の糸が絡んでいるのが見える時があったのだ。



 そして、その糸の中に一本だけ、赤くきらめく糸があることにも気付いていた。



 拓也たちと合流するまではいまいち確証が持てていなかったが、拓也たちから話を聞き、あの赤い糸がセツの能力を打破する鍵であろうことは察しがついた。



 でも、セツの能力のからくりが分かったからこその違和感もあった。



 一体どうして、セツは友人であるはずのユーリにまで糸を仕込んでいるのだろうか、と。



 きっとユーリは、自分に糸が仕込まれているなんて知らないだろう。



 自分たちと共に聖域を出れば、ユーリはセツたちと相反する立場に立たされることになる。



 その時になって、ユーリの体に絡む糸が彼を傷つけることになるかもしれない。



 そう思うと、どうしても放っておくことができなくて……



 ユーリが見ていないところで、こっそりと拓也たちに協力を頼んだのだ。



 さすがに、セツが操る無数の糸の中に紛れた赤い糸を見極めるのは一筋縄ではいかずに時間がかかった結果、ユーリには随分とつらい思いをさせてしまったけども……



「そうか……」



 ユーリは静かにそう言うだけ。



「ごめん…。俺に関わったせいで、こんなことに……」



 長年信じてきた友人に殺されかけるなんて。



 自分がある意味最も恐れていた経験をさせてしまった。

 それが申し訳なくてたまらない。



 眉をハの字にする実。



「なんで謝るんだ? 僕は別に怒ってないよ。」

「………?」



 一瞬、ユーリがなんと言ったのか理解できなかった。



「え、うそっ!?」



 信じられない気持ちで顔を上げると、さっきまでずっと海を見ていたユーリが、こちらを向いて微笑んでいた。



「元々、君たちと別れたら島を出るつもりだったんだ。セツたちにどう話を通そうか悩んでいたんだけど、あのことがあって逆にすっきりしたよ。これで、心置きなく島を離れられる。」



「ユーリ……」



「あ、僕が気を遣ってるとか思ってるだろ?」



「………」



 ばっちり本心が見抜かれている。

 実はとっさに言い繕うことができず、正直に気まずい気持ちを顔に出してしまった。



「まあ確かに、少しくらい罪悪感はあるけどね。」



 ユーリは、穏やかな瞳で窓の向こうを見つめた。



「でも、大切にされてた分の恩は常に返してたと思うし、こうやって島を出てきたことを後悔はしてないよ。どうせ島に残ったとしても、セツにまたいいように操られないとも限らないしね。」



 ユーリの口からセツの名が出てきて、胸がつきりと痛んだ。



「やっぱり……そのこと、気にしてる?」



 歯切れ悪い口調で訊ねる実に、ユーリは目を閉じて頷く。



「そりゃあね。まさか、自分が操られてたなんて思わないだろう? あんまりセツの言葉を真剣に考えると、自分のどこまでがちゃんとした自分の気持ちで、どこからがセツに操られてた気持ちなのか分からなくなりそうで……今は結構複雑、かな。」



 怒っていないと言ってくれたユーリだが、きっと今は怒る余裕がないほどに、自分への猜疑さいぎ心で頭がいっぱいなのだろう。



 胸に手をやるユーリのはかなげな雰囲気が、見るに耐えないほど切なく見えた。



「でも、本当のセツを知ることができてよかったよ。だから、ありがとう。僕をセツから解放してくれて。」



「そんな…っ」



 実は顔を歪めた。



 そんな風に、お礼なんて言わないでくれ。

 こっちは余計なお節介を焼いて、身勝手な正義感を押しつけただけだ。



 つらそうなユーリを見ていると、もしかしたらこんな現実は知らなかった方が幸せだったかもしれないとも思うのに。



 それなのに、〝ありがとう〟だなんて……



「まったく……ありがとうって言ってるのに、そんな顔をするなって!」

「わっ!?」



 破顔したユーリは両手を伸ばすと、実の髪の毛を強く掻き回した。



「こうなっちゃったもんは仕方ないだろ? 強がってるように見えるかもしれないけど、嘘はついてないんだ。元々島を出るつもりだったって言っただろ? その時点で、僕とセツの関係は崩れるしかなかったんだよ。」



 ユーリは断言した。



「セツって、昔から相当な完璧主義者でね。自分が否定されることを、何よりも許せないタイプだったんだ。今考えると、自分が操っているはずの相手に逆らわれることが許せなかったんだね。それは、自分の能力が完璧に使えていないってことになるから。そんなセツに島を出るなんて言ってごらんよ。もう一回糸を仕込み直されるか、さっきみたいに殺されるかの二択だったと思うよ。」



「それは……」



 これは、そんなことはないと否定するのが優しさなのか。

 結局それ以上言葉を紡げない実に対し、語るユーリはあっさりとしている。



「セツはもう、僕のことを許せないだろう。僕が実たちと島を出たと知ったなら、都合よく僕を死んだことにすると思うよ。実たちに負けて僕をかっさらわれた……なんて、プライドの高いセツが言えるわけないから。僕を死んだことにするなら、セツがわざわざ追っ手をかける理由もない。自分で言うのもなんだけど、面白いくらいに島のしがらみから解放されちゃったもんだね。」



「……それで、いいの?」



 実は消え入りそうな声で訊いた。



 死んだことにされるということは、帰る故郷を失うということ。



 島を出るためにはけられなかったことだとしても、それはあまりにもつらいことなのではないのか。



「いいんだよ。僕だってもう、セツのことを許せないんだ。ある意味、完璧に縁が切れて清々してるよ。」



 ユーリの答えは、頑なに見えるほど島を顧みてはいなかった。


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