可哀想とは……
〝鍵〟は、自分より可哀想だと思える存在だった。
その言葉が空気を震わせた瞬間、実の雰囲気が一変した。
「………っ!!」
それまでずっと困惑した様子だった実が、目を大きくして固まったのが視界の端に見える。
もしかしたら、彼にはこれだけで自分が言いたいことの全てが伝わってしまったのかもしれない。
頭の
「世の中には、僕よりも可哀想な人間がいる。僕はそうやって、僕より下だと思える人間と自分を比べて安心したかったんだ。僕は、可哀想なんかじゃないって。」
そこまで告げて、ユーリはちらりと横目で実を見た。
「昨日、君が予想と違いすぎて戸惑っていると言っただろう? きっと、本音はそういうことだったんだ。」
すぐに実から視線を逸らし、また自分の心と向き合う。
「僕よりも可哀想なはずの君は、全然可哀想になんか見えなかった。それが自分の中で、一番許せなかったんだ。君に理不尽な当たり方をしたのは、あくまでも君のことを僕よりも可哀想だと思いたかった……そんな僕の、未熟な心の表れだ。どうだ? これでも君は、僕に謝る必要がないと言い切れるか?」
「………」
ちょっとした意地悪で実に問いかけると、実はどこか苦しげな顔をして奥歯を噛んだ。
フォローはしたいが、共感できる手前、かける言葉が見つからない。
そんなことを思っているのだろう。
実はこちらの勝手なイメージを押しつけられていただけなのだから、別にこちらの心情をそこまで深く考える必要もないのに。
馬鹿らしいほどにお人好しで、普通に味方をしてくれる存在もいて、全身にまとう力さえなければ、どこにでもいる普通の少年にしか見えない実。
そんな実だから、自分は彼のことを知らなきゃいけないと必死になった。
実の態度や言葉から、自分よりも可哀想だという実感を得たくて仕方なかったのだ。
結果としてその衝動は自分に返ってきて、自分の未熟さと弱さを思い知らされることになったわけだが、そんな痛い目を見てもなお―――いや、痛い目を見たからこそ、余計に思ってしまう。
自分は、彼のことを知りたいのだと。
「一つ訊かせてくれ。」
今度はちゃんと、実の目を見つめるユーリ。
「君は、僕が君を殺そうとしたことに対して『なんだ。そんなことか。』って言ったな。」
「うん。」
「なんでそんなことが言えるんだ? 君は僕を恨まないのか?」
「恨まないよ。だって、そんなことでいちいち恨んでたら、俺はどんだけの奴を恨まなきゃいけないのさ。そんな疲れることしてる暇ないよ。恨むだけ無駄。」
特に考え込む素振りもなく、実はあっさりとそう言い切った。
そして次に―――
「でも俺、ユーリのことは恨まないというより、恨めないって感じかな。ユーリのことは嫌いじゃないもん。」
恥ずかしげもなく、そんなことを告げたのだ。
「はあっ!?」
さすがにこんなことを言われるのは想定外で、上手く脳内で処理ができなかったユーリはたまらず声を裏返す。
「ちょっと待ってくれ。やっぱり、君の考え方はどこかずれてるぞ! どうすれば一度は自分を殺そうとした人間を、嫌いじゃないなんて言えるんだ!?」
「互いがどんな人間であるかは関係なく。」
急に先ほどの自分の言葉を繰り返され、ユーリは口をつぐんで
実はそんなユーリを見つめ、ふんわりと柔らかい笑みをたたえた。
「俺にとって、そう言ってくれる人がどれだけ貴重だと思う?」
「―――っ!!」
たった一言。
その一言で、実の悲しい境遇が実感と共に伝わってきてしまった。
そして、分かってしまう。
実が自分のことを嫌いじゃないと言った、その理由も。
「ほとんどの人はね、そんな風に考えもしないんだよ。世間一般的に、俺は人間の形をした人間じゃないモノなんだ。だから、俺を殺すことを
実の瞳に、少しだけ寂しそうな色が滲む。
諦感をたたえたその目は、疑う余地もなく彼の言葉の正しさを理解させた。
「俺もね、最初からこんな風に割り切ってたわけじゃない。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろうって思ったこともあったし、自分以外の人間が怖いと思ったし……大事な人を巻き込むのが嫌で、これ以上自分が傷つくのも嫌で、俺は
「今は……違うのか…?」
訊ねると、実は困ったような顔で頷いた。
「色々馬鹿なことをやらかして、散々怒られたからね。まあやっぱり、人間全員を信じるのは無理だし、俺は独りの方がいいんじゃないかって思ったりすることもあるけど。それでもね―――」
実の表情が、ゆっくりとほころんでいく。
「こんな俺でも、大事に思ってくれる人がいる。今は素直にそう思える。その分、気の持ちようは楽になったかな。」
照れくさそうに笑った実の笑顔は、ものすごくきらめいて見えて……
可哀想とは、一体何なのだろう。
自分の心の奥底に居座っていた歪みの概念が分からなくなってきて、ユーリは複雑になる胸の内を抑え込むように、胸に手を当てた。
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