小さな歪み

「あの子が言ってたとおり、僕は小さい頃からずっと山の中で暮らしてきた。……この目のせいで。」



 その一言を切り出せば、途端に実が真面目な表情でこちらに耳を傾けてくるのが分かる。



 だからなのか、余計に言葉がするすると口から出ていってしまうのだ。



 自分では止められないくらいに、どうしようもなく。



「どうやら僕には、森羅万象に宿る魔力が色を伴って見えるらしい。嵐が来る時には山の色がよどんで見えたし、何かよくないことを企む人間は濁った色に見えた。普通なら見えないものも狙えるってことで弓を極めて、セツと一緒にがむしゃらに毎日を過ごして…。正直、誰よりも島の役に立ってる自信はあるんだ。ただあの子も言ってたけど、僕に見ることができる世界は、本来見るべきじゃない世界でもある。」



 ユーリはそっと、自分の目に手をかざす。



「僕が知っている人は四十過ぎまで生きてたけど、普通はせいぜい三十くらいまでが限界だそうだ。僕も、あと何年生きていられるかは分からない。」



「………」



「でも、僕はこの目を使うことを後悔したことはない。」



 実の沈黙に混ざったうれい。

 それを感じ取ったユーリは、すぐさま首を振った。



「僕が導いたら、島の人たちが幸せそうに笑ってくれる。僕はそれが嬉しくて、積極的に力を使ってきた。その分、島の人たちに大切にされてきた自覚もある。ただ、小さい頃は他の子供たちにひがまれることも多くてね。こそこそと、よく言われてたもんだよ。『あいつは可哀想な奴なんだ。どうせ、すぐに死んじゃうんだから。』って。」



「それは……」



「分かってる。あの時の言葉には、特に意味もないんだ。でも……きっと、心の奥ではずっと気にしてたんだろうな。」



 ユーリは眉を下げて微笑んだ。



 あの時にぶつけられたのは、幼い嫉妬心からくるささやかな悪意。



 島の人たちは優しく自分をかばってくれたし、自分もそこまで真に受けたことはなかった。



 周囲にひがまれるのも当然なくらい、自分は皆に愛されて大切にされていた。



 たとえそれが自分の能力があってこそ成り立つ愛情だとしても、自分はそれでちゃんと幸せを感じられていたのだから、それでよかったのだ。



「僕は幸せだと言い切れる。」



 これは嘘じゃない本当の心。

 でも―――



「だからこそ、可哀想だって同情されることが、何よりも嫌いだった。」



 今まで誰にも言ってこなかった気持ちを音にすると、それだけで心がスッと冷えていくようだった。



 自分を必要としてくれて、自分のことを褒め称える声の中に、時おり同情の声が紛れてくるのだ。



 ―――可哀想に、と。



 同じ言葉なのに、それは幼い子供が意味も分からずに放つ言葉とは重さが違った。

 大人たちが言うその言葉に疑問を持ったのは、いつのことだっただろうか。



 自分は、可哀想なのだろうか。



 確かに自分は、まともに山から出たこともない。

 この目を使った分だけ命は削られる。

 皆のように、長く自由に生きることはできないだろう。



 でもその分、皆はあんなにも喜んでくれていたじゃないか。



 それなのに、可哀想?



 そう思うなら、どうしてその可哀想な境遇を黙って見過ごしているのだ。

 自分をこの山の中に押し込めたのは、他でもない皆のくせに。



「島の人たちは大好きだけどね。でも……可哀想だなんて………そう思ってても、口には出さないでほしかったよ。」



 ふと生まれてしまった、小さな歪み。



 できるだけ見ないようにしてきたけれど、表に出さなかった分、その歪みが想像以上に大きくなっていたんだと思い知ってしまった。



 そして、今まで知らずに膨らませていたこの歪みを実にぶつけてしまったのは、彼が身を置いているであろう境遇が影響していたからだと思う。



「すまない。今から僕は、相当ひどいことを言うと思う。殴りたくなったら殴ってくれ。」



 一応そう前置きをして、それに戸惑う実の答えを待たずに次の言葉をつむぐ。



 身勝手なのは分かっているが、実の答えを聞きたくなかったのだ。

 今はとにかく、この気持ちを吐き出したくてたまらなかった。



「僕の中で〝鍵〟の存在は、ある意味特別だったんだ。〝鍵〟を葬ることは島を守ることになるんだって、小さい頃から何度も何度もそう言い聞かされてきた。〝鍵〟は殺さなくちゃいけない。このことは、僕にとって当然の義務だった。でも、僕が〝鍵〟のことを特別に思っていた理由は、それだけじゃなかったんだと……さっき気付いた。」



 ユーリは目を伏せ、組んだ両手にぎゅっと力を込めた。





「〝鍵〟っていう存在は、僕が知っている中で、唯一僕よりも可哀想だと思える存在だったんだ。」





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