一時休戦

 ユーリと二人で取り残され、数秒。



「あいつらー……」



 実は苛立ちもあらわに、髪の毛を掻き回した。



 無理難題にも程がある。

 自分の記憶力がパソコン並みだとでも思っているのだろうか。



 精霊の花畑のことだって、ふと頭をよぎった言葉をそのまま口にしただけのこと。



 こんなところで必要になるなんて予想もしていないのに、島に伝わる昔話の全部を覚えているわけがないではないか。



 ただでさえあの時は、精神状態がよろしくなかったというのに……



「お山のお導き……ね…。聞いた気はするんだけどなぁ……」



 深い溜め息と共に、彼女たちが残していった言葉をなぞる。



「―――紫のルコラスで冠を編んで、青のミストットで耳飾り。」



 涼やかな声が耳朶じだを打ったのは、そんな時のことだった。



「お山のお導きっていったら、それしかない。〈紫のルコラスで冠を編んで、青のミストットで耳飾り。緑のククルルで一休みしたら、黄色いシャージーの蜜を持って、赤いペリティールの花束と一緒にあの方の元へ届けましょう。さぁ、楽しい楽しいお茶会の始まりだ。今日は何を話そうか。明日は何を話そうか。〉」



 よどみなく語るユーリ。



「ああ……」



 そういえば、そんな歌だったか。

 さすがは島の人間だけあって、言い伝えのたぐいはするすると出てくるらしい。



「ふうん…。つまり、その歌の順に従って花畑を回ってこいってことか。それで、ルコラスの髪飾りがヒントだって言ってたのね。」



「……なんとなくしか察することができないが、それが君が話していた相手からの要求なのか?」



「うん。……ああ、そっか。さっき、あいつらの声までは聞こえないって言ってたもんね。」



 理解に苦しむようなユーリの態度でそのことに思い至り、実は先ほど精霊たちから聞いた話をかいつまんで伝えた。



「……なるほどな。ひとまずはその要求どおりに動かないと、状況が進展しないということか。」



「そういうこと。向こうは俺たちよりもずっと格が上だし、逆らうだけ無駄だろうね。……ってことで、まずはルコラスの気配を追っていかなきゃいけないわけだけども……」



 実は腕を組んで、顔をしかめる。



「くそ、あいつら……俺が本気を出さないと、気配を見分けられないようにしてるよ……」



 ルコラスの髪飾りを渡された理由は、この髪飾りに残った彼女の魔力を頼りに、彼女の存在を捜せという意味だろう。



 しかし、ルコラスの魔力を探そうとしても、余計な魔力の波動が多すぎてつらい。

 おそらく、山の精霊たちが皆で協力して邪魔をしているのだろう。



 少なくとも、腕輪で魔力を封じている状態ではどうにもならない。



「紫のルコラスで冠を編んで……」



 ユーリは呟き、実の手元を真剣な眼差しでじっと見つめた。

 その後彼は実の手元から目を逸らし、周囲を妙にゆっくりと眺め始める。



「あっちの方角。」



 彼は、左方向を指し示した。



「あそこの方にぼんやりとだけど、君が持っているものと同じ色が見える。とりあえず、あの方向に進めばいいはずだ。」



「え…?」



 迷いなく一点を示したユーリに、実はぱちくりと目をしばたたかせた。



 一瞬動揺したが、それとは別次元のところで頭が働き、あっという間にとある推測を組み立てる。



 そうか。

 それがユーリの特化型としての能力なら、あれだけの弓の正確さにも筋が通る。



「………ねぇ、一時休戦しない?」



 実は、ユーリにそう問いかけた。



「別にもう逃げも隠れもしないから、ひとまずは一緒にここから出ることを考えない? 話の決着は、ここを出てからつけても遅くはないでしょ。今のうちにはっきり言っとくけど、あいつらはあんたのことはどうでもいいって言ってたよ。ここで俺を殺せば、あんたはこの森の中から出られなくなると思う。とりあえず外に出るまで俺の命を保証してくれるなら、俺もあんたを安全に外まで連れていくことを約束する。どう? 悪い話ではないはずだけど?」



「………」



 想像にかたくはなかったが、やはりユーリはこちらの提案に同意してこなかった。



 しばらくこちらを探るような目をしていたユーリが口にしたのは、当然と言えば当然かもしれない疑問だ。



「そうすることで、一体君にどんなメリットがあるというんだ?」

「メリット? そんなもの、あるわけないじゃん。」

「はあっ!?」



 間髪入れずにユーリの問いを全否定した実に、ユーリは目を剥いて素っ頓狂な声をあげた。



「はあって言われてもね…。どう考えても、俺にメリットなんてないでしょ。一緒に出るまでって言ったって、命の危機がほんの少し先に伸びるだけで、根本的な解決にはなりゃしないんだからさ。自分の身の安全を取るなら、この場であんたを始末した方がいいだろうよ。」



 包み隠さず本音を暴露して肩をすくめた実は、次にまっすぐにユーリを見据みすえる。



「でも、あんたを俺の事情に巻き込んだことは側面的な事実。なら、必要最低限の義理は果たす。その上でぶっ飛ばすなりなんなりしないと、俺が気持ち悪いんだよ。」



 こんなことを拓也に言えば、大目玉を食らうのは目に見えているけども。

 それでも自分は、ユーリをこのまま放っておくことなどできない。



「驚いた。もう少しねちっこい交渉をしてくると思ったのに……」

「俺は、そこまで根性は腐ってない。」



 失礼な感想を漏らすユーリに、実は不愉快な気持ちを全面に出して言ってやる。

 すると、ユーリは目を丸くした。



 それまでは猜疑さいぎ心たっぷりで実のことを一ミリも信じる気がないといった様子の彼だったが、かなりばっさりとした実の態度に毒気を抜かれたらしい。



 それでもなお、ユーリは実のことを信じるか否かを悩んでいたが……



「…………分かった。」



 逡巡しゅんじゅんの末に、彼は肩の力を抜いた。



「僕もずっとこの目を使えるわけじゃないし、今は素直に君の提案を飲んだ方がよさそうだ。それにしても、君も妙な提案をするな。身の安全の保証が外に出るまで、なんて。」



「仕方ないんだよ。」



 ここで、ぐっとトーンを下げる実の声。



「ごまかせるならもちろんそうするけど、あんたが相手じゃ無理だろうから。」

「それは……」

「見てれば分かる。」



 ユーリの懐疑的な声を遮り、実はゆっくりと左腕に手をかけた。



 もう身に染み着いている解除コードを打ち込むと、腕輪が二つに割れて手のひらに落ちてくる。



「うっ…」



 すると案の定、ユーリが顔を青くして片目を手で覆った。



「これで、さっきの条件の意味が分かったでしょ?」



 諦感を滲ませた笑みをたたえる実。



「その目の制御ができるなら、俺のことはあんまり見ないようにした方がいいよ。あんたから俺のことがどう見えてるのかは分からないけど、しんどそうなのは分かるから。」



 仕方ないとはいえ、やはりこういう反応には慣れないものだ。



 目の前の異物に対する恐怖と拒絶で青ざめた顔。



 これが世間一般の反応だと理解しているので、今さら大袈裟に傷つくこともないし、これが悲しいことだなんて思わないけれど。



「……行こうか。」



 ユーリに背を向け、実はルコラスの気配を探すことに集中し始めた。


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