拓也が定めた生き方

 呼び声に導かれて、のろのろと顔を上げる。

 そこには、声と同じように静かな表情をした拓也がいた。



「一つ、先に許可をもらってもいいか?」

「え、と……何を?」



 唐突に、何を訊いてくるのだろう。

 拓也の意図はよく分からなかったが、ひとまずは彼の要求を聞くことにする。



「今度エリオス様に会ったら、とりあえず一発殴るか刺すかしていいか?」



 拓也は大真面目にそう告げた。

 実はそれに、ぱちくりとまばたきを繰り返す。



 心の中で、拓也の言葉を反復すること数度。



「………………えっ!?」



 ようやく、反応らしい反応をすることができた実だった。



「大丈夫。刺す場合、ちゃんと急所は外す。」

「そ、そういう問題じゃない! な、なんで……」



「だって、エリオス様がワイリーに協力してたことは確実なんだろ?」

「それはまあ……その……」



「だったら、殴る理由には十分だ。」



 拓也は少しも揺らぐことなく、至って冷静だ。



「親にまで遠慮してどうすんだよ。裏切られたかもしれないって思うなら、会った瞬間に有無を言わさずぶん殴って、自分の気持ちをぶつけりゃいいじゃん。おれなら絶対そうするし、せっかく親がちゃんと生きてるんだから、できることならそうしてほしい。」



 拓也の表情に、寂しさが滲んだ。



「伝えるのもぶつかるのも、相手がいるからできるんだ。伝えたい相手がいなくなったら、それこそ取り返しがつかない。おれも実も、明日にはこの世にいないかもしれないんだぞ。」



 拓也の目が、ふと遠くを見る。



「だから、恐怖でも怒りでも、どんなことでもいいから、何かあった時に後悔しないように、伝えられることは伝えられる時に伝えとけ。なかなかにしんどいぞ? 伝えたかった気持ちがあるのに、それを伝えたかった相手に二度と会えないってのはさ……」



 最後の一言を冗談めかして告げた拓也だが、それが彼の本音であることは十分すぎるほどに伝わってきた。



 拓也の過去を考えるなら、その気持ちも当然なこと。



「拓也……」

「まあ、おれのことは置いといて、だ。」



 拓也はいやに明るく笑って、話を切り替えようとする。



 そんな拓也の態度が、言外に話を深掘りしないでくれと訴えているように思えて、実はそれ以上何も言えなかった。



「一つ思うことを言うと、実は怒るべきところでもっと怒っていい。何度も言うけど、お前が何か悪いことをしてるわけじゃないんだから、無駄に自分を責めなくてもいいんだよ。」



「でも……」



「ほーら。そうやって自分に攻撃的な感情を許してやれないの、お前の悪い癖だ。そんなんだから、都合のいい奴らがつけあがるんだよ。」



「………」



 ぴしゃりと指摘され、ぐうの音も出なくなってしまう。



「でもまあ、今さら実がそんなことをできるとは思ってないさ。だから、お前が怒れない代わりにおれが怒る。さっき許可を取った意味は、そういうことだ。」



「そんな、汚れ役みたいなこと―――」



「それでいい。」



 拓也は強い口調で、戸惑う実の言葉を遮った。



「それが守ることに繋がるなら、おれは何も躊躇ためらわない。いくらでも恨みを買ってやるし、どれだけ汚れたって構わない。でもこれは、おれがおれをないがしろにしてるからじゃない。」



 眉を下げた実が何を考えたのかをいち早く察知し、拓也は先手を打ってそう告げた。



「これが、おれの決めた生き方だからだ。おれは実みたいに、たくさんの人に手を伸ばそうとは思えない。この世界を守ろうなんて、そんな広い目は持てない。おれはいつだって、自分の感情に正直に、おれが守るって決めたものを優先するだろう。場合によっては、実が望まないことをするかもしれない。でも、そんなおれだからできることがある。そんでおれは、この力をお前の傍で使うと決めたんだ。」



 拓也は、これまで以上に力強く言い放つ。



「だからおれは、傷つくことも汚れることも躊躇ためらわない。実が不甲斐ないとかじゃなくて、おれがそうしたいからそうするんだ。お前は汚れ役って言ったけど、正直おれはそうは思わない。おれが本当の意味で汚れる時は、この生き方と信念を曲げた時だ。今はそう言い切れる。だから、今後のおれの行動に関して、自分が情けないせいだとか言ったら怒るからな。今のうちにはっきり言っとくけど、そう思うことは、おれの生き方を否定してるのと一緒だから。」



「―――……」



 声高らかに宣言した拓也に、実は何も返すことができなかった。

 曇りのない瞳をする友人の姿に吸い込まれるようで、思わず見入ってしまう。



 なんて強い姿だろう。



 こちらをまっすぐに見つめる紺碧こんぺき色の双眸には、少しの躊躇ちゅうちょも迷いもない。



 嘘でも強がりでもなく、ただ真摯しんしに、そしてひたむきに己の決めた道を進もうとする信念。



 そこに伴うデメリットを全て受け入れ、それらを背負っていこうと決めた強い覚悟。



 どれを取っても、今の自分では足元にも及ばないほどの強さだ。



「……ほんと、俺にはもったいない友達だよ。」



 なんだか気が抜けて、実は淡い微笑みを浮かべた。



「ありがとう、拓也。拓也や尚希さんと一緒なら、父さんに会っても大丈夫な気がしてきた。俺の味方は、父さんだけじゃないってことだもんね。なら、少しくらい傷ついても、きっと大丈夫だよね。」



 お前は一人じゃない、と。

 何度も何度も彼らから言われたことを、今ならちゃんと受け入れようとすることができる。



 本当に、ノルンが言ったとおりだ。



 自分の周りにいた人たちは、態度や行動でいつも、こんなにも強く優しい想いを示してくれていたというのに。



 たくさんの想いから目を背けていた自分は、これまでにどれだけのものを見落としていたのだろう。



「うん、そう。そう思って、肩の力を抜いていいんだよ。」



 拓也が嬉しそうに笑う。



 自分の周りは、本当に温かい人ばかりだ。

 実も拓也の笑顔に応えて、笑みを深めた。



「ありがとう。じゃ、父さんの件は拓也が満足できるようにしていいよ。」

「サンキュ。でも、意外にあっさりだな。」



「だって拓也のことだから、俺が自分で父さんを殴ったとしても、それとは別に結局殴るでしょ?」

「……否定はできないな。」



 こちらの指摘に異を唱えない拓也。

 なんとも拓也らしい反応だ。



 自分も彼を見習って、少しでも強く前に進まなければ。



 一度は怖気おじけづきかけた心に言い聞かせ、実は強く自分の胸を握った。


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