声をかけてきたのは―――

 ―――さあ、腹をくくったからには先に進むしかない。



 夜が明け、山道への立ち入り制限が解除されると同時に、実たちは宿を出発した。



 少し迷ったが、昨日拓也に話したことは改めて尚希にも伝えることにした。



 話を聞いた尚希はやはりひどく驚いた様子だったが、その動揺からの立ち直りは拓也以上に早かった。



 というのも、尚希はレイキーでの事件について、こちら以上に事細かな情報を持っていたのだ。



 ワイリーが自分を閉じ込めていた地下室について、尚希はヤウレウスから正式に調査依頼を受けていたらしい。



 その調査の結果、あの地下室には水晶玉を核として、部屋の壁面全体に大規模な術式が展開されていたことが分かった。



 ―――だが、その術式には不可解な点が二つあったのだという。



 一つ目は、核となる水晶玉が水に対して極端に弱かったこと。



 二つ目は、室内にいる人間の魔力を吸い取る術の中に紛れて、何かしらの結界を展開する術式が綿密に編み込まれていたこと。



 しかもその結界は、部屋の外側ではなく内側に向けられたものだったという。



 内側に向けられた結界は、総じて外部からの接触を断つためではなく、内部からの流出を防ぐために展開されるもの。



 この部屋の目的と実や拓也からの情報を総合し、尚希はこの結界の目的は精霊を閉じ込めるためのものではないかと推測したそうだ。



 水に弱い核と、精霊を閉じ込める結界。



 水の守りを受けている実なら、術のからくりを見抜く余裕さえあれば確実に打破できたであろうこの術式。



 尚希は、この術式があまりにも気味悪かったのだという。



 確かに、完璧な術など存在しない。

 どんなに精緻せいちに組み上げた術でも、必ずどこかに綻びがある。



 しかし、二種類の術式をあんなにも緻密ちみつに組み込めるだけの技量があるなら、ここまで致命的な綻びを持つ術にはならないはず。



 しかも、こんなにもピンポイントで実なら打破可能な綻びを作ることなど、逆に実のことを詳しく知っていないと不可能だ。



「正直、個人的にエリオス様のことは疑ってたんだ。こんなことを実に言ったらショックを受けると思って黙ってたけど、さっさと言ってやった方が楽にさせてやれたんだな。ごめんな、気付いてやれなくて。」



 最後には、尚希にそう謝られてしまった。



 尚希の見解も、もっともだと思う。

 自分もそれだけの証拠があるなら、彼と同じような推論に至っただろう。



 しかし、だからこその違和感。



 仮に父があえてそんな綻びを持った術式を作っていたとして、彼は何故そんな綻びを作ったのだろう。



 術式を解析されれば、自分に疑いの目が向くのは必至。



 尚希が術式の解析に携わるとはさすがに予想をしていなかったのか、それとも自分を疑わせるまでが彼の狙いだったのか。



 もしそうならば、父が自らを疑わせることにどんな目的があるのか。



 その違和感に三人で頭をひねらせ、本人に吐かせるしかないという結論に至った。



「これは、何がなんでもエリオス様をとっ捕まえないとな。」



 そう告げた尚希に頷き、お堂に一切立ち寄らずに頂上を目指した結果、夕方頃には最後のお堂が目前に迫るほどまで進むことができた。



「とりあえず、なんとかここまで来ることができましたね。」



 鳥居をくぐり、実たちはようやく一息をつく。



 ここに辿り着くまで、多少の小休止は挟んだものの、ほとんど足を止めずに進んできた。

 体力に自信はあるが、さすがに疲れを感じてくる頃だった。



「そうだな。少し休憩してから動くか。」



 尚希が肩を回しながら、疲労を滲ませた息を吐く。



 それには大賛成だ。

 実は手頃な休憩場所を探すために、辺りを見回す。



 頂上が目前というだけあって、ここは他のお堂周辺よりも広く、そして多くの人々で賑わっていた。



 お堂の向こうには山頂に続く階段があって、そこにも多くの人が見える。



 ただ、階段を行く人は上から下へ降りていくばかりで、逆に下から上へ登っていく人は見受けられない。



 おそらく、そろそろ行動に制限がかかる時間なのだろう。



 とはいえ、あとは父を追いかけるために結界の外へ飛び出すだけ。

 ここまで到着できれば、行動制限など些末な問題でしかない。



「すみません。」



 声をかけられたのは、小さな商店街を少し進んだところでのことだった。



「おれたちのことですか?」



 実をかばうように前に出た拓也に、声をかけてきた若い男性は好意的な微笑みを浮かべ、優雅な仕草で首を縦に振った。



「突然失礼いたします。私、サティスファ自警団ガドニア第五地区長のセツと申します。今少し、お時間をいただけますでしょうか?」



「自警団? おれたちは、特に何かやらかした記憶はないですけど?」



「ちょ……拓也……」



 いきなり警戒心全開の拓也に、実は戸惑って後ろから肩を掴む。



「いえ、気にしないでください。私も、突然すぎるとは思っております。警戒されるのも当然でしょう。まずはそのままで、お話だけお聞きください。」



 彼は嫌な顔一つ見せず、こちらとの距離を保ったまま話を進める。



「下の第一地区から連絡がありました。なんでも、そちらの方によく似た方をお捜しなのだとか?」



「!?」



 瞠目する実たち。

 その反応を見て、彼は笑みを深めた。



「私も、何度かその方とお話ししたことがありまして。余計なお世話でなければ、少しでもご協力できないかとお声がけした次第です。」



「………」



 何も言えなくなってしまった一同に、セツは控えめに手を差し出した。



「少しは、信じていただけそうでしょうか? どうでしょう。ここは人目も多いですし、場所を改めてお話しませんか?」



「………」



 拓也は黙り込んだまま、セツを睨んでいる。



「…………分かった。話を聞くだけならタダだ。」



 ゆうに三十秒は悩んだ末、拓也は渋々といった様子ながらも警戒態勢を解いた。

 セツは嬉しそうに目を細めると、差し出した手をさらに拓也の方へと伸ばす。



「あなた方のお力になれると嬉しいです。」

「……どうも。」



 嫌そうな顔をした拓也だったが、にこやかな表情のまま姿勢を崩さないセツに負けて、仕方なくその手を握り返す。



(あれ…?)



 実は思わず目をこすった。



 セツと拓也が握手をした瞬間、一瞬だが光る何かが見えたような気がしたのだが。



(………?)



 見返しても、何もない。



 気のせいだったのだろうか。



 首をひねる実だったが、拓也たちが移動を始めたこともあり、この時は特に深くは考えず、彼らの後ろについていくのだった。


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