込み上げる衝動
何かと思ってそちらに頭を巡らせると、一人の女性がにこやかな表情でそこに立っていた。
着ている服やその仕草から察するに、おそらくはこのお堂の関係者だろう。
彼女はこちらを随分と好意的な目で見ていて、目が合うと会釈をしてきた。
どうやら彼女は、自分たちに向けて声をかけてきたらしい。
ひとまずは他の観光客に
「今日はお一人じゃないんですね。お友達ですか? 」
「え…?」
唐突にそう訊ねられ、実はとっさに返す言葉を見つけられず固まってしまった。
しばらくしても何も言わない実の反応に、違和感を持ったのだろう。
女性の表情に、懐疑的な色が浮かぶ。
「あれ……もしかして、人違いでしたか? すみません! その……あなたによく似た方が、たまにここへいらっしゃるものですから……」
「いや、近からず遠からずってとこですよ。」
全く言葉を
尚希はその顔に親しみやすい柔らかな笑みを浮かべ、実の頭をぽんぽんと叩く。
「似てるも何も、この子はその人の弟なんで。」
「まあ、そんなんですか? あまりにもそっくりなんで、間違えちゃいました。」
女性は尚希の言葉を疑うことなく、表情を明るくした。
「そうでしょう?
「まあ。どうしてですか?」
「んー…。話せばまた、情けない話なんですけどねー。あいつ、かなり気分屋な上に放浪癖があるんですよ。たまには地元に顔を出せって言ってるのに、全く聞きやしない。だから定期的に、オレたちがこうやって捜して連れ戻してるんです。おかげで、オレたちまで旅慣れしちゃいましたねぇ。」
尚希の口から、するすると嘘八百が並べられていく。
それが嘘であると思うはずもなく、尚希の言葉を聞いた女性は意外そうに目を丸くした。
「あらあら…。そんな方には見えなかったですけど。ここに来る度に必ずお布施を包んでくださるし、優しくてしっかりした方だとばかり思っていました。」
「ほんとにね。あそこまでしっかりしてるくせに、なーんでただ一ヶ所に腰を
「まあ…。ふふふ。」
女性は、尚希の話を面白そうに聞いている。
「それにしてもよかった。いつもは、
「うーん、ごめんなさい。私、昨日はお休みだったもので…。あ、でも!」
何かを思い出したのか、彼女はぽんと両手を叩いた。
「あの人がこの島に来ているなら、多分上を目指していると思いますよ。確か、上の方に住んでいるお友達がいるそうで。」
「へぇ、それは初耳ですね。よかったな、実。案外早く捕まりそうだぞ。」
尚希はおおらかに笑って、実の肩を叩く。
しかし―――
「………」
実はただ、黙ったまま。
「……実?」
尚希は、
「………」
実は青い顔で、地面を見つめていた。
ルルも彼女も、父は山の上へ向かったと言う。
きっと、それは事実なのだろう。
このまま
今度こそ、真正面からあの人と対峙することになるかもしれない。
「―――……」
体が震える。
この衝動は―――
「―――っ」
その瞬間、実は弾かれたようにその場から
しかし、一目散に外へ出ようとした実の体はすぐに止まることになる。
「今日はここまでだ。」
それまで空気のように気配を殺していた拓也はそう言うと、掴んだ実の腕を自分の方へと引き戻した。
「拓也……」
「落ち着け。今焦って追いかけても、あの人がそう簡単に捕まるもんか。一旦休もう。」
「………」
静かに告げられ、一つも出る言葉がなかった。
何も言えなかったのだ。
拓也の双眸に映る自分の顔。
それを見た瞬間、自分を突き動かした衝動の正体に気付いてしまったから。
「………あー……」
その場を満たした気まずい雰囲気に、尚希が空笑いで頬を掻く。
「なんか、すみませんね。この子、兄貴のこととなると、ちょっとばかり神経質になっちゃうもんで。」
「い、いえ…。でも、そうですよね。お兄さんの顔を見るまでは不安ですよね。」
女性に気遣わしげな視線を向けられ、実は居心地が悪くなってしまい顔を逸らす。
しかし、彼女は気を悪くした様子もなく、ただその顔に
それが、どうしようもなくいたたまれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます