込み上げる衝動

 何かと思ってそちらに頭を巡らせると、一人の女性がにこやかな表情でそこに立っていた。

 着ている服やその仕草から察するに、おそらくはこのお堂の関係者だろう。



 彼女はこちらを随分と好意的な目で見ていて、目が合うと会釈をしてきた。

 どうやら彼女は、自分たちに向けて声をかけてきたらしい。



 ひとまずは他の観光客にならって献花台に花を置き、自然な流れで女性の元へと向かうことにする。



「今日はお一人じゃないんですね。お友達ですか? 」

「え…?」



 唐突にそう訊ねられ、実はとっさに返す言葉を見つけられず固まってしまった。



 しばらくしても何も言わない実の反応に、違和感を持ったのだろう。

 女性の表情に、懐疑的な色が浮かぶ。



「あれ……もしかして、人違いでしたか? すみません! その……あなたによく似た方が、たまにここへいらっしゃるものですから……」



「いや、近からず遠からずってとこですよ。」



 全く言葉をつむげない実の代わりに、尚希が口を開いた。

 尚希はその顔に親しみやすい柔らかな笑みを浮かべ、実の頭をぽんぽんと叩く。



「似てるも何も、この子はその人の弟なんで。」

「まあ、そんなんですか? あまりにもそっくりなんで、間違えちゃいました。」



 女性は尚希の言葉を疑うことなく、表情を明るくした。



「そうでしょう? じつはオレたち、そいつを追っかけてここに来たんですよ。」



「まあ。どうしてですか?」



「んー…。話せばまた、情けない話なんですけどねー。あいつ、かなり気分屋な上に放浪癖があるんですよ。たまには地元に顔を出せって言ってるのに、全く聞きやしない。だから定期的に、オレたちがこうやって捜して連れ戻してるんです。おかげで、オレたちまで旅慣れしちゃいましたねぇ。」



 尚希の口から、するすると嘘八百が並べられていく。

 それが嘘であると思うはずもなく、尚希の言葉を聞いた女性は意外そうに目を丸くした。



「あらあら…。そんな方には見えなかったですけど。ここに来る度に必ずお布施を包んでくださるし、優しくてしっかりした方だとばかり思っていました。」



「ほんとにね。あそこまでしっかりしてるくせに、なーんでただ一ヶ所に腰をえるってことができないんだか。長い付き合いのオレたちでも、そこが分からないんですよ。」



「まあ…。ふふふ。」



 女性は、尚希の話を面白そうに聞いている。



「それにしてもよかった。いつもは、尻尾しっぽを掴むのにもうちょっと手こずるんですよ。どうやらあいつ、昨日は港の方にいたらしくて。それで、もしかしたらこっちに来てないかと思ったんですけど…。その様子じゃ、昨日はここに顔を出していないようですね。」



「うーん、ごめんなさい。私、昨日はお休みだったもので…。あ、でも!」



 何かを思い出したのか、彼女はぽんと両手を叩いた。



「あの人がこの島に来ているなら、多分上を目指していると思いますよ。確か、上の方に住んでいるお友達がいるそうで。」



「へぇ、それは初耳ですね。よかったな、実。案外早く捕まりそうだぞ。」



 尚希はおおらかに笑って、実の肩を叩く。

 しかし―――



「………」



 実はただ、黙ったまま。



「……実?」



 尚希は、怪訝けげんそうに実を見下ろす。



「………」



 実は青い顔で、地面を見つめていた。



 ルルも彼女も、父は山の上へ向かったと言う。

 きっと、それは事実なのだろう。



 このままいざなわれるように上へと向かえば、もしかしたら本当に父に会えるのかもしれない。



 今度こそ、真正面からあの人と対峙することになるかもしれない。



「―――……」



 体が震える。



 この衝動は―――



「―――っ」



 その瞬間、実は弾かれたようにその場からきびすを返していた。



 しかし、一目散に外へ出ようとした実の体はすぐに止まることになる。



「今日はここまでだ。」



 それまで空気のように気配を殺していた拓也はそう言うと、掴んだ実の腕を自分の方へと引き戻した。



「拓也……」

「落ち着け。今焦って追いかけても、あの人がそう簡単に捕まるもんか。一旦休もう。」

「………」



 静かに告げられ、一つも出る言葉がなかった。

 何も言えなかったのだ。



 拓也の双眸に映る自分の顔。

 それを見た瞬間、自分を突き動かした衝動の正体に気付いてしまったから。



「………あー……」



 その場を満たした気まずい雰囲気に、尚希が空笑いで頬を掻く。



「なんか、すみませんね。この子、兄貴のこととなると、ちょっとばかり神経質になっちゃうもんで。」



「い、いえ…。でも、そうですよね。お兄さんの顔を見るまでは不安ですよね。」



 女性に気遣わしげな視線を向けられ、実は居心地が悪くなってしまい顔を逸らす。



 しかし、彼女は気を悪くした様子もなく、ただその顔にうれいの色をたたえるだけ。

 それが、どうしようもなくいたたまれなかった。


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