偽りの絆

 放たれた矢は、まっすぐに実の胸を貫いた。



「実!!」



 拓也と尚希が顔を真っ青にし、その隙につけこまれて数人がかりで押さえ込まれる。



「そのまま押さえておけ。」



 セツは仲間に短く命令し、拓也たちの横を通り過ぎてユーリの前に立った。

 ユーリは倒れた実の前に膝をつき、震える両手を実の体に置いている。



 血の気の失せた顔で地面に横たわる実。

 その胸には、深々と突き刺さった矢が。



「あ……ああ……」



 信じられない。

 信じたくない。

 でも、長年の経験で知っている。



 こんな風に急所を射抜かれた生き物が、もう助かることなんかない、と。



「なんで……」



 実には、自分の矢をけられるだけの力量があった。

 それなのに実が今の矢を避けられなかったのは、セツの命令を拒絶した自分がこんなことをするとは思っていなかったからなのだろう。



 それだけ、彼は自分のことを信頼してくれていた。

 それなのに……



「残念だよ。ユーリのこと、信じてたのにね。」

「………」



「苦しいかい? 悲しいかい?」

「………」



「大丈夫だよ。――― すぐに、何も感じなくなる。」

「!?」



 びくりと体が震え、また体が勝手に動き始める。

 背中の矢筒から新しい矢を取り、鋭く研がれたそのやいばを、なんの躊躇ちゅうちょもなく自らの首元へと。



「―――っ!!」



 セツが自分に何をさせようとしているのかに気付き、ユーリは反射的に両手に力を込めた。



 必死の抵抗がぎりぎりで功を奏したのか、その矢は自分の喉を切り裂く一歩手前でなんとか止まる。

 しかしこれも、その場限りの抵抗に過ぎなかった。



 もしこのまま持久戦に持ち込まれて、少しでも腕が訴える疲労に負ければ命はない。

 それは、明らかすぎる未来だった。



「おかしいな。ユーリくらい長い付き合いなら、もう心まで完全に操れるはずなんだけど。そこの奴は、一体どんな手品を使ったんだか。」



 セツが、動かなくなった実の腹を蹴る。

 人を人とも思わないその行動に、脳裏で感情が小さく弾けた。



「や、め…っ」



 必死に声を絞り出したユーリは、セツを睨み上げる。



 セツが自分のことを信じていたというように、自分だって彼のことを信じていた。

 だが、いくら長い時間を共に過ごしてきたからといっても、許せることと許せないことがある。



 簡単に実のことを足蹴にしたセツのことを、今の自分は到底許すことができなかった。



「……だめか。」



 しばしユーリを眺めていたセツは、ぽつりと呟いて息を吐いた。



「ちょっと脅して驚かせば、私が信じていたユーリに戻せるかもしれないと思ったんだけど。……仕方ないな。島には大打撃だけど、適当にごまかすか。」



 セツが指を踊らせる。



 途端に、自分の喉を切ろうとする腕にさらなる力が加わった。

 必死に抗おうとするもむなしく、鈍色にびいろにきらめく切っ先が、じわじわと皮膚に近づいていく。



「せっかく、相棒だと思えるくらいに信じてたのにな。でも、仕方ないんだ。ユーリなら、分かってくれるだろう?」



 ついに冷たい刃が皮膚に到達し、ぷつりと皮膚を突き破る音が脳裏に響く。



「…………嘘、だ。」



 首元に走った痛みをこらえ、ユーリはセツにそう告げた。



「君、は……僕を信じてなんかいない。最初から……君は、誰のことも信じてなんかいなかったんだ。そう、だろ…?」



 信じていた、と。

 その言葉を重ねて聞いているうちに、セツの言葉と表情が噛み合っていないことに気付いてしまった。



 だって、セツの表情には絶望も怒りも浮かんでいないのだ。

 まるでその辺りに落ちているガラクタでも見下ろすかのように、セツの顔は冷徹な無で染まっていた。



「心外だな。ちゃんと、ユーリのことは信じていたよ。みんなのことも信じているさ。」



 セツは最初、ユーリの指摘をそう否定した。

 そしてこの次に放たれた言葉に、ユーリは一瞬、彼への抵抗を忘れかけてしまうことになる。



「ただ私が信じているのは、自分が操られているとも気付かないまま、心の底から純粋に私を慕っているみんなのことなんだよ。だって、私がそう思うように操ってるんだ。何故疑う必要がある?」



 とても正気とは思えないことを、さも当然のことのように語るセツ。

 そんな彼を前にすることは、自分の過去が崩壊することに等しかった。



 違う。

 今目の前にいるのは、セツじゃない。



 セツはもっと島思いで、皆に親切で平等で。

 島のために役立っていると自負していた自分が唯一、この人にならついていけると認められた相手だったはずなのに。



 この思いも今までの自分の在り方も、本当はセツに作り上げられたものだったというのか。



 所詮自分は、彼が操る人形劇の一部でしかなかった。

 そして人形劇のあるじであるセツに逆らったが故に、こうして不要なモノとして切り捨てられようとしている。

 そういうことなのだろうか。



 自分はこんな奴にむざむざと操られて、実を―――



「―――ッ!!」



 脳内が真っ赤に染まった。

 喉に刃が食い込む痛みと鎖骨へと流れていく血の感触が、全身に興奮剤をぶちまけていく。

 死への本能的な恐怖が、それを凌駕する怒りへと変わる。



 許せない。



 初めて本気で、友人だと思っていたセツを憎いと思った瞬間だった。





「―――――― やっと見えた。」





「……………………え?」



 唐突に自分とセツの間に割り込んだ声。



 そんな馬鹿な。

 とっさに否定しかけたが、今聞こえた声を聞き違いだと理性が処理するよりも前に、自分とセツの間に人影が入り込む。



「悪いけど、ユーリは殺させないよ。」



 さっきまで倒れていたはずの実が不敵に微笑み、ユーリの胸の前で何かを握るように拳を作る。

 そしてその拳の側に矢の切っ先をあてがい、それを勢いよく下に引き下ろした。



「うわっ!?」



 首を切ろうとする方向に込められていた力が一気になくなって、首に食い込んでいた矢が遠くへ飛んでいく。

 それとは反対方向に体が傾ぎ、ユーリは勢いよく地面に叩きつけられることになってしまった。



「うぐっ…っ」



 セツが自分の肩を抱いてよろける。



「拓也の時から思ってたけど、やっぱり糸が切られるとダメージを食うんだね。」



 額に脂汗を浮かべて歯を食いしばるセツに、実は特に動じた様子もなく、淡々とそう述べた。



「拓也ー、尚希さーん。お待たせしましたー。……って、もう処理終わってますね。」

「当たり前だろ。」



 ひらひらと手を振った実に、不機嫌な拓也の声が答える。



 それでそちらを見れば、拓也と尚希は数人がかりの拘束から当然のようにのがれていた。

 地面に座ってこちらの様子を観察している彼らの後ろには、彼らを押さえていたはずの人々が、一人残らず眠らされて倒れている。



 ユーリは信じられない気持ちで、目の前の光景を見るしかない。



 まさか、ここまでが全て彼らの計算だったのだろうか。

 すぐには状況を飲み込めなかったが、そうとしか思えないくらいにあっさりとした逆転劇だった。



「く、そ…っ」



 仲間の加勢を全て失ったセツが、いまだかつてないほどに追い込まれた顔をする。



「そんなビビらなくても、これ以上はなんもしないよ。他の人たちの糸まで切ってたら、さすがにあんたも死んじゃうだろうし、第一俺が拓也に殺されちゃう。」



 肩をすくめる実の後ろでは、確かに拓也が穏やかならぬ雰囲気をかもして、殺伐とした眼差しを送っている。



「あんたの王国は壊すつもりはないし、興味もないけどさ。でも――― どうせいらないなら、ユーリはもらっていっていいよね?」



 茶目っ気たっぷりに片目をつぶって笑う実。

 無邪気なその姿は、誰が見ても放心するほどに綺麗で眩しかった。


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