広がっていく人の輪

 ルードリアが示した場所を覗くと、地下へと伸びる階段があった。



「拓也? 尚希さん?」



 階段の終着点にあったドアをそっと開き、ゆっくりと中を覗き込む。

 その瞬間。



「実、大丈夫か!?」



 どう考えてもドアの近くで待っていたとしか思えないような早さで、拓也に肩を掴まれた。



「怪我ないか!? 何か変なことされなかったか!? 危ない目には遭わなかったか!?」



 矢継ぎ早に質問を投げつけられ、そのあまりの剣幕に、実は一歩退いてしまう。



「え、えっと……とりあえず、大丈夫。」

「そっか。詳しい話は後にするとして、今はごめん!!」



 安全確認を済ませた拓也は、大慌てで階段を駆け上がっていく。



「え、何…?」



 拓也の行動の意図が全く分からない実は、その背中を追いかけることも、呼び止めることもできなかった。

 結果的に棒立ちになる形となった実に、後から隣にやってきた尚希が苦笑する。



「気にするな。山のぬしをぶっ飛ばすって、躍起になってるだけだ。」



 いたわるように実の背を叩き、尚希は拓也とは対照的にゆっくりと階段をのぼり始めた。



「何はともあれ、お疲れさん。大変だっただろ?」

「まあ、それなりに。尚希さんたちは、ずっとここにいたんですか?」



「ああ。オレたちは実に手助けするから、隔離だって言われてさ。拓也が狂ったように色んなとこに八つ当たりするもんだから、その度にオレとジャージーでなだめるんだけど、これが焼け石に水って感じで、まるで効果なくてさー。」



「そういえば、ジャージーも似たようなことを言ってましたね。」

「だろー? ってなわけで、実。あとで叱っといてくれ。」



「えー、嫌ですよ。そんなことしたら、お前は甘すぎるんだって、俺が説教されるじゃないですか。」

「あはは、確かに。」



 尚希と気の抜けた会話をしながら階段を上がるうちに、さっきまで少し残っていた不安も、綺麗に消えていくように感じた。



 選ばせた、と。



 そう言ったルードリアの言葉の意味は気になるものの、拓也と尚希が自分を裏切らないことは、身にみて知っている。



 だから、信じたいものを信じるんだと。

 そういう風に前を向くことはできると思う。



「くそ、いない……」



 階段をのぼった先では、拓也がきょろきょろと小屋の中を見回している。



「あのー…。拓也、非常に言いにくいんだけど……」



 不穏なオーラをまき散らす拓也に、実はおそるおそる声をかける。



「あの人なら、工房に引きこもるって言って、出ていっちゃったよ。父さんも、もうここにはいないみたい。」

「その工房の場所は?」

「えっと……ごめん、分かんない。」



 実は冷や汗を浮かべながら答えた。



 どうか、何も壊しませんように。

 そんなことを願う実の前で、拓也の周囲に漂う刺々とげとげしさがどんどんその鋭さを増していき――― 一気にその勢いをなくした。



「……逃げやがったか。」

「そりゃあ、お前の性格を知ってるなら、オレでも逃げるわな。」

「俺も……」



 ぼやく拓也に対し、尚希と実はルードリアの行動に肯定的な意見を示した。



「うるせ。」



 実たちから向けられる、困ったような視線が痛いらしく、拓也はねるようにそっぽを向いた。



 だが彼の雰囲気がやわらいだと思えたのも束の間、すぐにその場を別の緊張感が支配する。





「逃げられたもんは仕方ない。――― もう一つの方を、白黒つけよう。」





 一瞬で表情を引き締めた拓也が体を向けた先には、机の前で静かにたたずむユーリが。



「………」

「………」



 静かに視線を絡める二人。

 一切の油断も許されないほどに緊迫した空気に、実は固唾さたずを飲み込んだ。



 そういえば、ユーリと自分たちの間にある根本的な問題は、解決していないままだ。

 聖域での用は済んだわけだし、このまま人間の領域に戻れば、ユーリとは再び敵として向かい合わなければいけなくなる。



『互いがどんな人間であるかは関係なく、ただの一人の人間として―――』



 せっかく、そう言ってくれる人と出会えたのに。



 さすがにここに来てまでユーリをかばうことはできず、実は切ない思いで彼らを見守る他ない。



「……実。見てられないから、そんなに泣きそうな顔をしないでくれないか?」



 最初に鼓膜を叩いたのは、突き刺すような緊張感を打ち壊すほどに穏やかな声だった。



 実にそう指摘したユーリは、驚いたように目をしばたたかせる実に対して、肩をすくめて苦笑を呈する。

 次に彼は、机の上に置いてあった弓と矢筒に手を乗せて、一度瞑目した。



「………」



 しばしの沈黙。





 その後、目を開いたユーリは――― 静かに、そこから手を離した。





「………っ」



 武器を自ら手放したユーリに、拓也が少なからず動揺したように息をつまらせる。

 ユーリはそんな拓也の前に立つと、深く頭を下げた。



「すまなかった。あなた方には、随分と迷惑をかけてしまった。どんな言葉でも慎んで受けよう。殴りたいなら、殴ってくれても構わない。」



「う…っ」



 拓也が露骨に嫌な顔をする。



「ほら、オレが言ったとおりだろ?」



 隣で尚希がしたり顔をし、拓也の表情の意味をなんとなく察した実だった。



「拓也。」



 拓也の性格的に、この場面で素直に引くことは難しいだろう。

 そう考えた実は、後ろから拓也の腕を引いた。



「ここは俺の顔に免じて、ね?」

「………分かったよ。」



 十分に渋った後、拓也は肩を落として厳戒態勢を解いた。



「はいはい。ねるのは後にして、今はこれからのことについて話そうな。」



 空気が微妙になる前にと先手を取った尚希が、拓也とユーリの背を押して机の方へと誘導する。



 確かに、尚希が言うことももっともだ。

 実は微笑む。



 気さくに話しかけてくる尚希に戸惑っているユーリと、心底面白くなさそうな拓也。

 ユーリの心境にどんな変化があったのかは分からないが、嘘偽りなくああやって歩み寄ることができるのは嬉しい。



 今なら、自分と繋がる人の輪が広がっていくことを素直に受け入れられる。

 そして、今までにはなかった強さで、この先の道を切り開いていける。



 きっと。

 いや、絶対に。



「実! そこでにやけて突っ立てんじゃねぇよ。早くこっちに来い。お前と話しておきたいことが、腐るほどあるんだから!」



 自分を呼ぶ拓也は、どこか居心地が悪そうだ。



 早いところ、別の話で頭を切り替えたい。

 そんな彼の心の声が聞こえてくるようだった。



「はいはい。」



 今感じているこの幸せを、胸を張って認められるように。



 そんな思いを噛み締めて、実はそこから一歩踏み出した。


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