山の主

「あ、あの……」



 椅子を勧められ、軽食を出された後。

 彼が自らも席についたところで、実は意を決して話を切り出した。



「今さらなんですけど、あなたが山のぬし……ってことでいいんですよね?」



 我ながら本当に間抜けな質問だと思うが、訊くタイミングがなかったのだから仕方ない。



「まあ、今はそうだね。」



 彼はすんなりと頷いた。



「別に、そんなにかしこまらないでいいよ。君たちは、僕に言いたい文句がたくさんあるでしょ。それなりの態度でいいさ。僕の名前はルードリア。ルドでいいよ。」



 自分でれた紅茶をすすり、ルードリアは一息ついて脱力した。

 ティーカップをソーサーに戻した彼は、次に実に向かって手を差し出す。



「話の前に、花守はなもりたちから預かったものをもらっていいかな。」

「あっ…」



 そういえば、あれは山の主に渡せと言われたものだった。



 実は上着のポケットをまさぐり、そこから五色の結晶を取り出す。

 それをルードリアに渡すと、彼はそれをまじまじと見つめた。



「……うん、よく馴染んでるな。これなら問題ないか。なんか、気に食わないけど。」



 一人でぶつぶつとぼやきながら、ルードリアは実から受け取った結晶を自分の懐にしまう。



「それを俺に集めさせるために、こんなことをしたの?」



 ルードリアの様子を見ている限りだと、どうやらその結晶に何かしらの意味があるようだ。



「それもあるけどね。一番の目的は、君を見極めることだよ。」



 まっすぐに指を差され、実は目を丸くした。

 ルードリアは不機嫌な調子のまま言葉を続ける。



「あのね…。先に言っておくけど、僕だって被害者なんだよ。急にエリオスに押しかけられて、今後の君に必要になるからって、あれこれと注文をつけられてさ。無条件に頼み事を聞いてあげるのもしゃくだったからさ、君が直接ここに来られるなら考えてやるってごねてやったわけ。だって、考えてもみてごらんよ。」



 その刹那、ルードリアの瞳がスッと冷たくなったように見えた。



「―――死にたがりのためにく労力なんて、ただの無駄ってもんでしょ?」

「!!」



 驚きのあまり、瞬間的に思考が飛んだ。



 薄く開いた口腔から告げられた言葉。

 それは間違いなく、これまでの自分のことを示していたからだ。



「……俺のこと、知ってるの?」



 からからに渇いた喉を震わせて問う。



「そりゃあね。君が生まれる前から話は聞いてたし、遠くから様子を見てたこともあったから。」



 ルードリアはさも当然のように答える。



「エリオスの思いどおりだと思うと複雑だけど、合格ってことにしといてあげるよ。まったく……あの人たちが君のことをかなり特別視してるって話は本当みたいだね。それだけ、あの人たちにとっては君が重要な切り札だってことか。こりゃ、例の計画も本気だと認めるしかないかもな……」



 後半の言葉はどこか独り言のように小さく告げ、ルードリアは紅茶を一気に飲み干して立ち上がった。



「ま、待って!」



 実は思わず、ルードリアを呼び止めた。



「ねえ……ルドは、どんな存在なの? 山の主っていったって、ルドは精霊じゃないよね? それに、ルドは俺のことについて、何をどれだけ知ってるの?」



 訊きたいことは、たくさんあった。



 父が言う、今後の自分に必要になることとはなんなのか。

 彼が父から頼まれたこととはなんなのか。



 自分を特別視しているとは、誰のことなのだろう。



 自分が重要な切り札?

 例の計画?



 桜理を連れ去って、自分を神の器という立場に縛りつけて。

 そこまでしてこの世界に自分を繋ぎとめたのは、レティルの独断ではないのか?



 ならば、自分がこの世界に生まれたことに、果たしてどんな意味があるというのだ。



「………」



 ルードリアはしばらくの間、何も言わなかった。



 その沈黙は話すのを拒否しているものではなく、どちらかと言えば話すのを迷っているような。



 そんな雰囲気を漂わせるものだった。



「……確かに君の言うとおり、僕は精霊や神様ってわけじゃない。だからと言って、人間ってわけでもないんだけどね。」



 長い空白の時間の後、ルードリアは静かにそう述べた。



「精霊でも、神でも……人間でもない…?」



「そう。僕は、この世界のどこにも属さない存在なんだよ。……ある意味、君と境遇は似ている部分があるかもね。」



「………」



 すぐには、コメントを返せなかった。



 人間として生まれながらも同じ人間から忌み嫌われ、人間以外の存在とばかり深く関係を持っている自分。



 そんな自分の過去と今を振り返ると、一概にルードリアの言葉を否定はできなかった。



「まあ僕は君と違って、時間も選択肢も与えられてるわけだし、君よりはマシだと思ってはいるけども。」



 心臓がどくどくと脈打つ。



 知らなきゃいけない。

 逃げちゃいけない。



 理性とは関係なくそう思う心が、ルードリアの言葉から少しでも情報を掴もうとしていた。



「それはつまり……俺には、時間も選択肢もないってこと?」



 訊ねる。

 するとその瞬間、ルードリアの顔から感情と呼べるものが綺麗に消えた。



「それは、なんとなく君も分かってるんじゃない?」



 単調な口調でそう問われれば、彼に言い返せる言葉などない。



「………っ」



 実は、机の上で作った握り拳に力を込める。



 決して楽天的な性格ではない自分だ。



 今ここに立っていられることが、単なる偶然と幸運の積み重なりではないことくらい理解している。



 そして、自分に求められていることが生半可な覚悟では成し遂げられないことも、胸の奥底では分かっているような気がして―――



 ざわり、と。

 自分の中で、自分ではない何かが這いずるような感覚がした。



「実、大丈夫か?」



 隣から、ユーリが気遣わしげに声をかけてくる。



「大丈夫。大丈夫だよ……」



 そう告げる実だったが、それがただの条件反射的な言葉であることは、その表情の青さからも一目瞭然だった。



「そこの君。」



 ルードリアがユーリに語りかける。



「ククルルの悪戯いたずらのせいで、君も色々と思うことがあるだろう。だから、先に忠告しておくよ。見てのとおり、この子を取り巻く環境は複雑だ。君の胸に新しく芽生えた気持ちを貫きたいのなら、今のうちに腹をくくることだね。」



「………」



 ユーリが険しく眉を寄せるが、ルードリアはそれ以上のことに関しては特に語るつもりがないらしく、すぐにユーリから視線を外してしまった。



「それと、実君。道は開けておくから、外に出るならここを出て南にまっすぐ行けばいいよ。その前に、預かりものはそこの地下だから、回収よろしくね。」



「…………えっ?」



 実は遅れて顔を跳ね上げる。



 預かりもの。

 それが何であるかに思い至った瞬間、胸のざわめきが一気に引いていった。



 そんな実に向けて―――



「さすがに、全部を教えてあげることはできないけど、今の君なら大丈夫だと思うよ。」



 ルードリアはそう断言した。



「人間らしく、信じたいものを信じて生きなよ。少なくとも地下にいる彼らは、君を裏切らないさ。そういう子を選ばせたんだから、そこは保証するよ。」



「選ばせた…? それってどういう―――」



「はい、残念だけど時間切れー。僕はいい加減、工房に引きこもらなくちゃ。下準備が時間勝負なもんで。」



 先ほど実から回収した結晶をしまった懐を示し、ルードリアは実たちに背を向ける。



 ひらひらと手を振りながら颯爽さっそうと去っていくその姿を、実とユーリはただ見送ることしかできなかった。


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