ククルルの真意

 ぐにゃぐにゃと視界が歪み、あまりの気持ち悪さに意識が軽く飛ぶ。



 平衡感覚がなくなったのは、ものの数秒の間。

 その後すぐに空中に放り出される感覚がして、何が起こったのかを把握する前に、地面の上に落下した。



「いった!」



 全身の痛みをこらえながら身じろぎをすると、鼻先を微かな花の香りがくすぐった。

 それで目を開ければ、視界いっぱいに広がる赤色が出迎えてくる。



 体を起こし、ユーリはぱちくりとまぶたを叩いた。



 一瞬で目を奪われるほどに綺麗な赤色の花畑。

 自分は、その真ん中に放り投げられていた。



「もー、ペリティールったら! こういうことするなら、早く言っといてよね。びっくりしたじゃん。」



 その声にハッとして首を巡らせると、自分と一緒に巻き込まれたジャージーが、ペリティールへ抗議しているところだった。



「だって~、つまんなかったんだも~ん。実ったら、苦労してたのは最初だけで、すぐにコツを掴んじゃうしー。ここに着く頃には心身ともにへとへとで、怒る気力なんてないんだけど、私たちの顔を見ると無理難題を吹っかけられた不満はあってー……みたいな、怒るのと疲れるのを繰り返す顔を期待してたのにー!!」



「そんなの、実が可哀想だよぉ……」



 ふるふると首を振って否定的な顔をするジャージーに、ペリティールは機嫌を損ねた様子で腰に両手を当てる。



「もー、ジャージーとルコラスは人間に甘ーい!! さっきだって、実に花の蜜をあげてたじゃん。そのせいで、実の疲れが取れちゃったんだからね!」

「人間は、食べなきゃ死んじゃうんだってば!」



「ちょっとくらい平気でしょ。私は、限界まで追い込んで遊びたい。」

「ミストットも賛成~♪」



 全力を込めてとんでもないことを言うペリティールの後ろから、ひょっこりと現れたミストットがにんまりと笑う。

 それを見たジャージーは、表情を険しくして瞳に怒りを滲ませた。



「人間と遊ぶのが久しぶりだからって、ペリティールとミストットははしゃぎすぎなの! そんなに人間のことが好きなら、もっと優しくしてあげればいいのに。」



「人間が好きなんじゃなくて、人間を困らせることが好きなんだもーん。」



「限度はあるよ!」



 ジャージーがどんどん怒りのボルテージを上げていくが、ペリティールとミストットには、特に何も響いていないようだ。



 先ほどからルコラスが、ジャージーとペリティールたちの間に入ろうとしているのだが、互いに互いの考えを受け入れない双方を仲裁するすべがないのか、結局双方の間に挟まれる形でおろおろするだけになっている。



 同じ花守はなもりを担う精霊でも、ここまで性格に差があるとは。

 当然蚊帳かやの外状態のユーリは、ただ黙って彼女たちのやり取りを見つめるしかなかった。



 とりあえず今の状況で分かるのは、ペリティールが人間に容赦がない性格であるということだけ。

 仮に実が五分以内にここに辿り着けなかったとして、その場合に自分の安全がどう脅かされるのか分かったもんじゃない。



 待っているだけではだめだ。

 どうにかして実をここに誘導するか、自分がここから逃げ出して実と合流する術を見つけなければ。



 あれだけ特徴的な魔力なら、ある程度離れていても見ることができるはず。

 ユーリは空を見上げ、目に力を込める。



 しかし。



「やめなよ。死にたいの?」



 音も立てずに忍び寄っていた気配に背後に立たれ、そっと目を塞がれてしまった。



「!?」



 驚きと条件反射で、その手を振り払うユーリ。

 そんなユーリの後ろに立っていたククルルは、眉一つ動かさないまま、振り払われた手をさすっていた。



「実が間に合わなかった時に、自分がどうなるのか不安?」



 無表情で問われ、ユーリはとっさにそれを否定できずに返答に窮する。



「まあ、ちょっとばかり厳しいお題だったかもね。ペリティールのことだから、このくらいの無茶振りはするだろうなって思ってたけど、提案者としてはさすがに心配かな。」



「なら、なんでこんなことしたんだ。」



 ユーリは厳しい口調で訊ねる。



 なんだか、複雑な気分だ。

 彼女はこの状況を作る発端になった相手だというのに、そんな相手でも、話し相手がいることに安堵している自分がいる。



 自分の身に対する不安や、この理不尽な状況への怒り。

 そういう感情を、躊躇ためらわずにぶつけられる。



 それは間違いなく、彼女がそういう相手だからこその安心感だった。



「別に、ぼくに利はないさ。ただ、今の君に必要な状況を作ってあげただけ。」



 さも当然のことを語るように、ククルルはそんなことを言った。

 ユーリは怪訝けげんそうに顔をしかめる。



「僕に必要…?」

「だって君、実と一緒にいるの、きつそうだったから。」

「!!」



 簡潔にそう指摘され、心臓がどきりと跳ねる。



「ただの客観的な事実さ。今の君は、実のことも自分のことも信じられないんだ。信じられるだけの材料が手元にない。いや、あったはずなのに、信憑しんぴょう性がなくなったと言った方がいいのかな。」



「それは……」



 反論の言葉がなく、口腔からはうめくような声しか出てこない。



 ククルルが告げたことは、全て正しかった。



 確かに、今の自分は中途半端だ。

 使命に従って実を殺すことを躊躇ためらって、実から提示された一時休戦にべったりと甘えている。



 この森を抜けたら、嫌でも実と向き合わねばならない。

 それが嫌だから、いっそこの森から出なければいいのでは、とすら思ってしまっている。



 彼女はきっと、そんな自分の弱さを見抜いているのだ。



「あのー、勝手に自己嫌悪に浸らないでくれる? 話は最後まで聞いて。」



 ククルルが再度口を開く。



 まだこちらの胸をえぐるようなことを言うつもりなのか。

 そんなことを思う反面、何を言われても仕方ないとも思うので、ひとまずは顔を上げる。



「確かに君は今、自分の信念を失いかけてるのかもしれないよ。でもね、実のことを知ろうともがいている分、まだ救いようがある。だから人質に取るのはすでに預かっている二人じゃなくて、あえて君にさせたんだ。」



 こちらの予想には全くなかった言葉をかけてきたククルルは、ここで初めて微笑を浮かべた。



「人間は追い込まれた時にこそ、その真価を発揮する生き物だ。実の真価ってやつを、その目に焼きつけるといい。そして、君自身も変わるといい。人間の何かが変わる瞬間って、ぼくは案外嫌いじゃないんだよね。いい方向に変わるのも、もちろん悪い方向に変わるのも。」



 そこまで告げて、ククルルはふと背後を振り返った。



「さっきは心配だなんて言ったけど、ぼくは実のことを疑ってはいないんだ。不安に思わなくても、実なら絶対に来るよ。だって――― もう、すぐそこまで来てるもん。」



 ククルルが指を差した先には、上に向けてそびえる少し急な斜面がある。



 ゆっくりと、ククルルが指を上空の方へと上げる。

 それに誘われるように視線を上へと向けた時。



 勢いよく木々が揺れ、その隙間から華奢きゃしゃな人影が飛び出してきたのだった。


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