可哀想なんかじゃない!!

 しばらくはククルルの力の気配を探すのではなく、ひたすらにミストットの元を離れることを優先して歩いた。



「ごめん。勝手に引っ張っちゃって……」



 十分に道を進んだところで振り返り、実はユーリの手を控えめな仕草で離した。

 しかし、ユーリは視線を下げたまま、一言も発しない。



「大丈夫だよ。」



 今のユーリに届くかは分からなかったが、実は思っていることを正直に伝えることにする。



「そんなに気にしなくてもさ、さっきのことは聞かなかったことにするから。」

「……え…?」



 顔を跳ね上げたユーリが、心底驚いた顔をする。



 これは好機だ。

 そう判断した実は、ユーリの意識がこちらに向いているうちに言葉を重ねる。



「ただ、もう俺の補助で力の向きを見なくていいよ。元々俺に振られた課題だし、あとは一人でどうにかするから。」



 ユーリの様子を見るなら、さっきの話を全てなかったことにする方がいいのだろう。

 だが、彼の能力がその命を削ると知ってしまった以上、どうしてもこれだけは流せなかった。



 ユーリは自分の感情を持て余しているのか、複雑そうな表情できつく拳を握る。



 この話は早いところやめにして、先に進んでしまおう。

 そう思って、ユーリに背を向けた実だったが。



「待て。」



 突然手を伸ばしてきたユーリに手首を掴まれ、半歩進んだ足を引き戻されてしまった。



「……んで…っ」



 喉を震わせたユーリは、次の瞬間バッと顔を上げて実に詰め寄った。



「なんで君は、そんなになんでもかんでも受け入れられるんだよ!? 僕は君を殺そうとしたんだぞ!? 少しくらい邪険にしたり、怖がったりしたらどうなんだ!!」



 唐突なユーリの怒号に、実は返す言葉もなくその場に立ち尽くすしかない。



「君は、生まれ持ったものが苦しくないのか!? 理不尽に命を削られる……それが、恨めしくないのか? 怖くないのか!? あんなに悟った顔をするんだ。僕よりもずっとひどい経験をしてきたんだろう。普通なら、もっと周りを憎むものじゃないのか!? なんの躊躇ためらいもなくやいばを向けてくる周りの方が異常者だって、そう思ったことはないのか? なんであんなに……全部を許したような顔ができるんだ…。僕は……僕は…………」



「ユーリ……」

「―――っ!?」



 実がぽつりとその名を呼ぶと、ユーリは大袈裟に見えるほど大きく肩を震わせた。

 それで今の発言が、決して彼が言いたくて言ったことではないのだと知れる。



「………」



 実は悲しげに眉を下げた。



 こんな時、自分がどうしようもない馬鹿だったらいいのにと思う。

 ユーリにぶつけられる言葉の意味が理解できずに怒鳴り返せれば、彼も今のことは聞かなかったことにしてくれと言って、都合よく己の失敗にふたをすることができただろう。



「あ……違う。これは……」



 真っ青になって口を塞ぐユーリ。



 こんなユーリを前にしていると、自分がどんな態度を取るのが正解なのか分からなくなる。



 演技をして優しい嘘をつくことは可能だが、彼は思いのほかこちらのことをよく見ていたようだ。

 そんな彼を相手に今さら馬鹿なふりをしても、なんだか白々しいような気がして。



 結果として、何もかける言葉を見つけられないまま、立っていることしかできなかった。



「違うんだ。僕は……自分の責務を、重荷だなんて感じたことはないんだ。」



「うん。」



「この目を使うことだって、別に嫌だって思ったことはない。島の人たちもいい人ばかりで、セツは尊敬できるくらい有能で島想いの奴で、僕はそんなセツを支えてやりたいと思った。これは嘘じゃないんだ。」



「大丈夫。それを疑ったりなんかしないよ。」



「それなのに……僕は……なんで、こんなこと……」

「ユーリ。」



「いや、違う。違う、違うんだ! これは―――」

「ユーリ!!」



 どんどん混乱してしまうユーリに強く呼びかけ、実はその肩を掴むと、真正面から彼を見つめた。



「大丈夫だって。それは、ユーリが本気で思ってることじゃない。多分聖域に長くいるせいで、情緒不安定になってるだけだと思う。とりあえず、深呼吸して落ち着いて。落ち着いたら、できるだけ早く森を抜けよう。そしたら、おかしなことが頭に浮かぶのもなくなる。ごめんね、俺も配慮が足りなくて。」



 彼をなだめようと語りかけながら、自分の中の誤算に気付く。



 昨日は疲れていたので暢気のんきに一晩寝て過ごしたが、それ以前にここが聖域であることをよくよく思い返すべきだった。



 聖域の空気に慣れている自分や、安全が保証されている拓也たちはともかく、ただ巻き込まれただけのユーリに、精霊たちや山のぬしが情けをかけるはずもない。



 長くここにいればその分、聖域の空気はユーリの精神を侵していくだろう。



「………なんで……」



 ユーリはがくりとうなだれ、二の腕に手をかけてくる。



 その刹那――― 一気に視界が回って、天地がひっくり返った。



「なんで君が謝るんだよ! 余計に惨めになるだろ!?」



 頭を打った衝撃に顔を歪める実。

 そんな実を押し倒したユーリは、今まで以上の激情を込めて叫んだ。



「僕のことは、なんでもお見通しってか? 何様のつもりだ!! そんな風に、僕のことを憐れんだ目で見るな! 僕は……僕は、可哀想なんかじゃない!!」



「ああ、そうかよ! 分かったよ!!」



 それまでユーリにされるがままだった実は、途端に敵意を剥き出しにしてユーリの腹を蹴った。



「なるほどね…。今は俺が何を言っても、そういう風に見られてるとしか感じられないわけね。そういうことなら―――」



 痛む後頭部から手を離し、実はすぐさま地を蹴る。



「―――っ!?」



 体勢を整えて立ち上がったユーリは、そこで音も立てずに忍び寄ってきていた実に気付く。

 実はユーリに驚く暇すら与えず、押し倒された隙に彼の矢筒から盗んでいた矢を、その鼻先に突きつけた。



「弓、構えろよ。好きなだけ相手をしてやる。」



 低く告げる実。

 鋭く細められた瞳の奥に光る眼光に射すくめられ、ユーリは身動きできないまま息を飲んだ。



「こうなったら、気が済むまで暴れればいい。時間を見計らって気絶させる気満々でいるけど、そこは恨みっこなしだからな。」



 実は突きつけた矢を離し、それを丁寧に矢筒に戻してからユーリと距離を取った。



 先ほどから、自分の発言がことごとく火に油を注いでしまっていた様子。

 言葉が思うように通じないなら、好きなだけ怒りをぶつけさせて、感情を消化させるしかあるまい。



 実は、いつ来るかも分からないユーリの攻撃に備える。

 しかし結果として、交戦になることはなかった。



「―――……」



 一変した実の雰囲気に気圧されていたユーリが、突然その場に座り込んだのだ。



「あれ…?」



 実はパチパチとまばたきをする。



 まるでき物が落ちたかのような顔。

 これは……



「もしかして、正気に戻った?」



 一応身構えたままおそるおそる問いかけると、ユーリはたっぷりの間を置いて、のろのろと頷いた。



「すまない。少し…… 一人にしてくれないか?」



 蚊の鳴くような小ささで呟いたユーリの声は、さっきまでとは別人のように覇気がない。



 自分だって、こんな半端なタイミングで我に返ったら、気まずくてたまらない。

 それは十分に共感できるので。



「分かった。そうする。」



 実はユーリの頼みを受け入れ、彼の傍から離れることにした。


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