第4章 巡礼

胸に膨らむ何か

 なんだろう。

 体が微かに揺れている気がする。



 やめてくれ。

 邪魔しないでくれ。



 まだ、この心地よい微睡まどろみの中に身を委ねていたい。



「………、………」



 遠くから聞こえる、小さな声。

 気持ちとは裏腹に、体は外部からの刺激に反応する。



 どうやら自分は、優しく肩を揺すられているらしい。



「おーい、起きろってばー。」



 そして、この声は―――



「―――っ!?」



 声の主が誰かを悟り、ユーリは慌てて飛び起きる。



「おはよ。」

「え……あれ…?」



 片手で頭を抱えるユーリ。



 ここはあの花畑の中。

 隣にいるのは実。



 昨晩のことは、つい先ほどのことのように思い出せる。



 まるで、急に時間が飛んでしまった気分だ。

 言い換えれば、そう感じるくらいに自分が熟睡していたということ。



(いつの間に……)



 自分で自分が信じられなかった。

 昨日はとても、眠れるような状態ではなかったというのに。



「大丈夫?」



 いつまでも血の気が引いた顔で地面を睨んでいるユーリに、実が怪訝けげんそうに首を傾げた。



「ごめん。もしかして、頭痛い? 調整はしたはずなんだけど、効きすぎちゃったかな……」



 こちらの沈黙の意味をどう捉えたのか、実が気まずそうな表情で腕を組む。

 それで、ある程度の状況が察せられた。



 ユーリはじろりと、実に鋭い視線をくれてやる。



「まさか君、僕に何かしたのか?」

「えっと…。眠れなさそうだったから、少しだけ…。そ、そんな怖い顔しないでよ。ちゃんと眠れたでしょ?」

「………」



 悔しいが、確かに実の言うとおりだった。

 普段だって、こんなに深く眠れたことはそうそうない。



 よりによって、しつこく殺そうとした相手に情けをかけられようとは。



「本当に、君はよく分からない。」



 複雑な気持ちでそう呟くと、実はきょとんとして目をしばたたかせた。



「……俺、変かな?」

「変じゃないなら、相当なお人好しだよ。眠らせたのはまだいいとして、わざわざ起こすなんて……」



「へ?」

「だって、僕は君を殺そうとしたんだぞ。せっかく眠らせたんなら、置いていけばよかっただろう。」



 自分で言っていて複雑だが、自分が実の立場ならそうすると思った。

 しかし。



「なんだ。そんなことか。」



 少しも迷う素振りも見せず、実は簡単にそう告げたのだ。

 ユーリは驚きのあまり、言葉を失ってしまう。



 そんなこと?



 自分の命が関わっているんだぞ。

 そんなことの一言で、あっさりと片付けられる問題ではないはずだ。



「さてと。寝起き早々悪いけど、先を急ぎたいから早く行こう。」



 何も言えずにいるユーリに構うことなく、実はさくさくと歩み始める。

 その様子はまるで、昨日の出来事など最初からなかったとでもいうようだ。



「………」



 一体彼は、今までどんな経験をしてきたのだろう。

 何をどうすれば、殺されかけたことをさらりと流すことができるというのだ。



 自分だったら、絶対に無理なのに。



(どうして、君はそんなにも……)



「おーい、何呆けてるの? 行くよー?」



 実はユーリがついてきていないことに気付くと、不思議そうにしながらも、手を振ってユーリに呼びかける。

 そんな実に対し、ユーリは複雑そうに唇を噛んだ。



 訊きたいことは、山ほどあった。

 だが、一片の曇りもない純粋そうな実の両目を見ていると、なんとなく話を切り出すこともできなくて。



「あ、ああ……」



 今はとりあえず、実の後についていくしかなかった。


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