落ちた先で大喧嘩

 自分からあえて飛び込んだものの、当然ながら、着地のことなど何も考えていなかったわけで。



「いったぁー…」



 仰向きに地面に倒れた実は、痛む後頭部をさすって呻いた。



 周囲の風景から予想していたとおり、下草が多い斜面で助かった。

 勢いを殺すためにとっさに魔法を使ってしまったせいで左手首がかなり痛むが、おかげで大きな怪我はないのでよしとしよう。



「うう……つーか、重い。誰―――」



 自分の上に人一人分の重さと温もりがあったので、どうせ拓也か尚希だろうと思って、その体を押しのける。



 だが。



「ん…」

「え…?」



 間近からヘーゼル色の瞳と目が合い、実は口から間抜けな声を零した。



 少しの間、時間が停止する。



 ぱちくりとまばたきをし、互いにその場から動かないまま目の前の状況を整理。

 そして。



「やばっ」



 一足先に我に返った実は、無意識に相手の体を地面に転がした。



「あっ! 待て!!」



 脱兎のごとく逃げ出した実に、ユーリは慌ててその背中を追いかけた。



「待てって言ってるだろう!!」

「殺されるって分かってて、誰が待つか!! せめて弓矢を下ろしてから言えっての!!」



「君が逃げるから、余計に疑わしく見えるんじゃないか!」

「人の話を聞こうとしないくせに、何言ってんだか!」



「君が止まるなら、話を聞いてやる。」

「だーかーらーっ! 矢を撃つのをやめてから言え!!」



「ああ言えばこう言う奴だな! ってか、なんで全部けてるんだよ! どんな技を使ってるんだ!?」

「あんたこそ、こんな森の中でそれだけ的確に撃ってくるのは、どんな神業かみわざなわけ!?」



 ぎりぎりの線でユーリが放つ矢をけながら、実はせわしなくユーリと怒鳴り合う。



 実際のところ、ユーリの弓矢の腕は脱帽レベルのものだった。



 こんな遮蔽しゃへい物の多い森の中、しかも全力疾走をしながら、確実にこちらの動きを止める軌道で矢を放ってくるのだ。



 何度か植物が密集した場所を通って彼の攻撃をやり過ごそうとしたが、不思議なことに彼の矢はそんなことおかまいなしで、正確にこちらを狙ってくる。



 まるで、遮蔽物など初めからないかのような弓さばきだ。



 しかもユーリは、こちらを追いかけながら、器用に射損ねた矢を回収している。

 これでは、この鬼ごっこに終わりなど来ないではないか。



 ユーリは、こちらを〝鍵〟だとほぼ見抜いている。

 この状況で腕輪を外そうものなら、彼はこちらの話を一切聞かなくなるだろう。



 もちろんそのリスクを冒し、魔法を行使してユーリを大人しくさせることはできるが、それはあまり取りたくない手段だ。



「くっそ、どうするかな……うわっ!?」



 完全にユーリのことしか考えていなかった実は、下草を掻き分けた先にあった光景に瞠目した。



 脳内で鳴り響く、けたたましい危険信号。

 思考が及ぶ前に反射神経が体に命令を下し、砕けた膝が地面とこすれて、勢いづいた体にブレーキをかける。



 とっさに手をついた数センチ先に、地面はなかった。



「あぶな……」



 なんとか崖から落ちずに済んだが、まだ気は抜けない。

 自分でさえ間一髪だったのだ。



 これは、確実に―――



「わっ!!」



 すぐ傍で聞こえた悲鳴に視線を巡らせば、案の定ユーリが、崖の向こうへと身を投げたところだった。



「ああもう!!」



 実は近場にあった丈夫な枝を掴み、もう片方の手でユーリの腕を掴む。

 彼の体が重力に従って下降を始める前に彼の腕を思い切り引っ張り、崖とは反対方向へその体を放り投げた。



 勢いよく引き戻されたユーリの体は、固い地面に強く打ちつけられる。

 かなり痛そうに顔を歪めたユーリは、しばらく動けそうになかった。



 だが、こちらも着地地点まで計算する余裕などなかったのだ。

 多少の痛みは我慢してもらいたい。



「あんた……猪突猛進すぎるって……」



 とりあえず、余計な死体は見ずに済んだ。

 一気に気が抜けて、実は地面に尻餅をつくと、大きく息を吐き出した。



「この……」

「まだ突っかかってくるつもり? 一応、こっちは命の恩人ですけど?」



 未だに敵意を失わないユーリに、さすがに呆れた実は嫌味たっぷりにそう言ってやる。



「何が命の恩人だ。元はといえば、君が逃げたから―――」

「まだそれ言いますか!? じゃあ逆に訊くけど、自分が同じ立場なら逃げずにいられんの!?」



 表情を険しくした実とユーリの間で、盛大な火花が散る。

 その瞬間。





「ぱっぱかぱーん! 聖域〝迷いの森〟へようこそ!!」





 その場の空気を完全に無視した、陽気な声が響いた。



「―――――― は?」



 突然割り込んできた声に、実とユーリは二人揃ってあんぐりと口を開けるのだった。


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