第7話

 テオドールは少尉と、近隣に聞き込みを行うかどうかを検討していた。店に背を向けていたので、彼には何人見つかったのかわからなかった。

 ふりむいて数えていくと、十人目で手が止まった。そこに、見慣れた顔を見つけたからだった。少しやつれたような、金髪に、色白の肌のアルフレート。

「知り合いか?」

「は、いえ――知った顔に、少し似ているものですから……」

「――ユダヤ人! ほう、こいつもそうか!」

 店から連れ出された人々はひとつところに集められ、少尉とSS二等兵がかたっぱしから証明書を出させては、いちいち点検していた。かなりのさわぎになっているのに、まわりの商店からは、だれも表に出てこなかった。

 そこにいた八人までが、アーリア人証明書を持っていなかった。茶色の髪に、少し鷲鼻ぎみの――「ひと目でユダヤ人とわかる」と、ユダヤ人嫌いの人間なら言うだろう――それに、うちのひとりはラビ〔ユダヤ教の聖職者〕だった。

「おまえ、証明書は!」

 ハインツ・ヴィーゼンタール氏が証明書を差し出すと、少尉はそれを一瞥して鼻を鳴らした。

「アーリア人か」

「あの、少し話をさせていただけないでしょうか? 知り合いかどうか確かめたいのです」テオドールはきいてみた。

 少尉は腕時計をちらりと見た。

「一分だけ許可する」


 アルフレートの腕をとって、少尉や他の人々に声の届かない店のかげに連れていくと、テオドールは急いで切り出した。

「まちがいない、アルフレート、きみだね?」

「そうだよ」アルフレートは落ち着いた声で答えた。

「なんだってこんなところにいるんだ? ここはほんとうにきみのうちか?」

「ああ」

「ここでなにをしてるんだ?」

「――別に。きみたちが踏みこんできた。としたら、わかっているんだろう?」

「少尉どのが……ぼくが聞いたのは、ここに、ユダヤ人がかくまわれてるってことだけだよ。まさかきみがいるとは思わなかった。たしかにユダヤの連中はいたけど――関係ないだろう?」

「きみは、ほんとうにそう思っているのか?」

「信じられないよ、まさか。だってきみは、証明書を持っているだろう? きみのお父さんも」

 家のなかを荒らしまわっていたSS隊員が、各種のスタンプや版を運び出してきた。

 アルフレートは店の様子をちらと見て、テオドールに視線を戻した。

「母はアーリア人証明書を持っていない。これでわかったかもね。もういいだろう?」

 少尉がかん高い声で怒鳴っている。スタンプ類が明らかに偽造とわかったからだった。労働局や各種の役所、公的機関のほんものそっくりのスタンプをつくるのに、アルフレートが何日も部屋にこもったことも、これですべてむだになってしまった。突然のことで、破棄するひまがなかったのだ。

「嘘だろ……? もし、なにかのまちがいか、手ちがいで――そうだとしても、きみがそんなことをしていたなんて、信じられない……どうして、やつらをかくまおうなんて思ったんだ?」

「ぼくが、アーリア人だから? そう見えるから?」

「だって、きみ、証明書が――」

「ぼくのうちは印刷屋だ」

「きみは……きみはユダヤ人には見えない」

「ぼくは、きみたちが言うところの、二分の一ユダヤ人だよ。母がユダヤ人だったからね。母は結婚のために改宗して、きみたちと同じキリスト教徒になったけど――でも、そうであろうとなかろうと、ぼくはユダヤ人だ。父が“アーリア人”であるのと同じくらいにはね。たまたま外見がこうだったから、まちがわれてきたけど」

「――――」

 三十秒経過。

「でも……、でも、それなら……」テオドールは声をひそめた。思いもかけなかった告白に、こめかみがずきずきした。

「うまく理由をつければ、きみを逃がしてやることだってできるかもしれない」

「……なぜ?」

 ため息とほとんど変わらない静かさで、アルフレートは訊いた。

「なぜって……」

「たかがユダヤ人ひとりのために、危ない橋をわたるのか?」

「たかが? きみが、たかがユダヤ人だって?」

 テオドールの頬が赤くなった。

「だって、きみは、やつらとは違うじゃないか」

「どこが?」

「きみは……きみは、ぼくが知ってるなかじゃ、いちばんいいユダヤ人だよ。今まで――言われるまで気づきもしなかったし……。ぼくたちは、その……」

 テオドールははっきりと口にするのをためらっていた。

「だから、ぼくにとっては、きみは、そこらのユダヤ人なんかじゃないよ。ぼくはきみを――きみだって……」

 その先は言葉にならなかった。憤りが声帯までも支配しているようだった。

「まさか。きみを愛していたわけないじゃないか」

 テオドールは凍りついて、アルフレートを見つめた。その金色がかった瞳からは、なにも読みとることはできなかった。

「もう、遅いよ。きみにはできない」

 彼は静かに言った。

「きみにそんなことをしてもらう理由はまったくない。ぼくがユダヤ人だと知っていたら、はじめから、きみはぼくを抱かなかっただろう?」

「一分経過!」少尉が怒鳴った。

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