第4話

 小さな印刷所は、作業場と住居を兼ねていた。アルフレートは裏口からなかへ入った。電気はついていない。窓という窓にはきっちりとカーテンが下ろされていた。

 父親は台所のテーブルについて、寝ないで待っていた。疲れたその顔を、覆いをかぶせたランプの光が照らしだしていた。

「なかなか帰ってこないから心配したよ、アルフレート」

 仕切りカーテンのむこうから、眠れないでいた様子の母親が顔を出した。

「おまえが爆撃に遭ったんじゃないかと思ってね。ベッカーさんのうちは大丈夫だったかい?」と父親が言った。

「そこまで行けなかったんです。空襲の被害がひどくて。それに、途中でドイツ人に遭ったんです。あの、雨宿りをさせてくれた青年にね。彼は親衛隊員でしたよ」

「……彼がおまえになにかひどいことでも?」

 母親が彼のそばに寄ってきいた。

「いいえ、なにも。ただ、今週末にまたユダヤ人狩りがあると教えてくれました。彼も参加するそうです」

「おまえはおやすみ、ハンナ」

 ヴィーゼンタール氏は妻にむかってやさしく言った。母親は息子にキスをすると、階段をあがっていった。

「アル、また明日ね」

「おやすみなさい」

「他に、なんて?」ヴィーゼンタール氏は話をもどした。

「それだけです」

「また彼に会うようなことが?」

「ええ、たぶん」

「たぶん?」

「会う約束をとりつけたんです。土曜日に」

 ハインツ・ヴィーゼンタールは息を吐くと、ぎしぎし音がする背もたれに、恰幅のよい体をあずけた。

「アルフレート、今はこんな状況が状況だから、連中に接触するのを止めはしないが、くれぐれも気をつけるんだぞ。絶対に、深入りしないようにな」

「わかっています」

「おまえがやってくれていることを、誇りに思うよ」

 ヴィーゼンタール氏は背の高い息子を抱きしめた。アルフレートは父親の灰色のつむじを見下ろした。ずいぶん薄くなっている。

「もう遅いから、寝るといい」

 アルフレートは微笑み、二階へ行きかけた。氏は洗面所へむかっていたが、ふりむいて、

「明日、もう一度、ベッカーさんのところへ行ってくれないか?」

「ええ、いいですよ」彼はうなずいた。

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