第34話 魔獣少女の涙

 どけアマチュアとでも言いたげな視線で、男はわたしを睨む。


来栖クルスさん?」

「イヴキ様には、指一本振れさせない!」


 男のナイフが、軌道を変えた。まずはわたしを狙う。


 これを待っていた。動きの早そうな相手を倒すには、動きを止めること。


 わたしは、脇の下で相手の腕を取る。


 反対の手から、敵がナイフを取り出す。また刺しにかかった。


 相手の太ももを踏みつけ、反対の足でアゴを蹴り上げる。


 護身術の基本なら、本当は逃げるべき。しかし、素人がプロ相手に逃げられるとは思えない。ここで仕留めないと。


「痛う!」


 わたしの足に、激痛が走った。相手がナイフで、わたしのモモを刺したのだ。


 だが、これでいい。両方の武器を奪った。


「フーッ! フーッ! フン!」


 わたしは、相手をスープレックスで投げ飛ばす。できるだけ、頭を地面へ落とす形で。


 反撃してこようとしたが、敵は頭がまともに地面へとめり込んだ。


「お父さん、確保を!」


 父が駆けつけてきたのを見て、わたしは大声を上げる。


 殺し屋の手に、手錠がかけられた。あとは、他の警官に引き渡される。


 犯人も抵抗しない。女子高生に負けたのが、よほどショックだったのだろう。完全に、怯えきっていて。


 わたしも父も、汗だくである。


「みんなは無事ですか?」

「お前以外はな」


 安心して、わたしは腰を抜かした。


 力が抜けたわたしを、父が抱きしめる。


「どうしてこんな無茶をした、ヒトエ!? いつも逃げろって言ってるだろ!」

「友だちが、ピンチだったので」

「とにかく、病院へ行くぞ」


 結局遠足は中止となり、わたしは救急車で運ばれた。


 簡単な治療を受けて、わたしは退院する。


 松葉杖をついて、フロントのソファで母の車を待った。


「ふう、危ないところでした」

『バカが、ヒトエ。危ないなんてレベルじゃねえよ。死ぬところだったぜ』


 自分でも、バカなことをしたと思う。


 魔獣少女の力を使わずに倒すことが、これほど怖いものだったとは。


『なんで魔獣少女にならなかった?』

「みんながいたので」

『大バカ野郎すぎるぜ。気にせずぶっ飛ばせばよかったんだ。でなければ、オヤジのいうとおり逃げればよかった』

「あのとき戦わなかったら、イヴキ様は相手を殺してた!」


 わたしは、声の限り叫んだ。


 ナースに注意されて、声を落とす。


「父も、人の生き死にに関わったことがあったと聞きました。一生、心に残るんだって。そんな思いを、イヴキ様にはしてほしくない。絶対に」


 涙をこらえ、わたしは感情を吐露する。


『ウワサをすれば、だぜ』


 イヴキ様のリムジンから、ユキちゃんたちが飛び出してきた。


「ユキちゃん?」

「ヒトエちゃん! 大丈夫……じゃないよね?」

「ええ。骨には届いていないので、一応は無事」

「でも、ダメだよこんなケガしたら!」

「はい。気をつけるね」


 泣きじゃくるユキちゃんの頭をわたしは撫でる。


 ユキちゃんの後ろに、イヴキ様が立っていた。


 悲しみと後悔、いろんな感情が混ざったような顔をしている。


「イヴキ様」

「みなさん、少しだけ二人きりにさせてくださいまし」


 イヴキ様が、わたしの手を引く。自販機コーナーまで連れて行った。わたしに「どうぞ」と、オレンジジュースを渡す。


「ごめんなさい。遠足をダメにしてしまって」

「あなたのせいではありません。謝るのは、わたくしの方ですわ。ここではあなたを、治せませんの」


 スポドリを飲んで、イヴキ様が一息ついた。


「わかっています」


 ヘタに治療すると、怪しまれる。


「助けていただいて、ありがとうございました」


 そうは言うが、イヴキ様の声に感情はこもっていない。


「いえ。わたしは、あなたの仇を奪ってしまった」


 おそらく、イヴキ様がわたしを呼んだ理由はそれだ。



 わたしは、彼女の生きがいを奪った。



「いいのです。わたくしはあのとき、動けませんでしたわ」


 イヴキ様が、スポドリのボトルを取り落とす。


 感情の塊が、イヴキ様の瞳からこぼれ落ちた。

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