@shokuyoku_yabami

第1話

  

 ここは町の小さな商店街にある、小さなコロッケ屋さんと小さなブティックに挟まれた小さなお店。名前は「セキララ」。ひっそりとした外装のせいか、人がこの店に足を踏み入れているところを見たことがない。にもかかわらず、このお店は生まれたときにはもうすでにそこにあって、なぜこんな何十年も店を続けられるのか、お客は入っているのか甚だ疑問である。もしかしたら商店街の責任者にも忘れられているのではないかと心配になってしまう。一見、昔ながらの喫茶店のようにも思えるこのお店は、どうやら一風変わったサービスを提供してくれるらしい。


土曜日の昼下がり、商店街の蒸し返された空気から逃げ込むように、高校二年生になるこの少女もまた重い扉を開け、店内に入る。マスターは聞きなれた軽快なベルに気づき、読んでいた本をそっと閉じた。___


店内はタバコの匂いと懐古的な雰囲気に包まれており、その中にインクの匂いが混じっている。壁はくらくらするほど大量の書物で囲まれていた。さっきまで頭の中にまで響いていた荒々しい蝉の鳴き声がどこか遠くの方で聞こえる。


「ねえ、ちょっときみ。きみー....君のことだよ、まったく。君ね、店に入ってきて、何ずっとぼーっとしてんだ。秘密を買いたいの?それとも、売りたいの?どっちよ。」


店主に言われて、少女はようやく自分が目の前のトルコランプに見惚れていたことに気がついた。


「.....っあごめんなさい!ついつい思い出しちゃって。前にここ、祖母と通ったことがあるんです。ほら、お店の前の看板に『秘密小屋』って書いてあるでしょ。へんなのーって話してて、私が入ってみようよって言ったら、おばあちゃんはせっかちな人で『そんな時間ないでしょ』って入ってくれなかったんですけどねー。なんか懐かしくなっちゃって。おばあちゃんが亡くなって、10年越しにやっと来れたって感じです!

....で、売ります!私、秘密売ります!」

そして少女ははにかんだ笑顔を見せた。


「ん、じゃあ査定させてもらうよ。」

そう言うと初老の男性はいかにも使い古されたノートのページをめくった。


「......中学生の時の話なんですけど、.....私、蝶々と毎日登校してたんです!!」



「......え、終わりかい、もしかして?....お嬢ちゃん、そんなデタラメだったら十円にもなりゃしないよー。」

「そっ、そんなことありません!それから、デタラメなんかじゃありません!それにまだ続きあります!!」


少女はそれから呼吸を整えた。



「......最初にその蝶々を見たのは____


「行ってきまーす。うわー、さっぶい。っあ、やっぱり息が真っ白になった。」

そう言って、少女は歩き出す。自分でもはっきりと表情が硬くなっているのがわかった。足取りが重い。学校に行きたくない。別にいじめられてるわけではないが、ただ友達がいなくて楽しくないのだ。


_____突然、バチッと首に小さくて鋭い衝撃が走る。

「静電気、もうそんな季節かー。」

すると、もう何も植わってない花壇の傍から白い何かが見えた。雪?いや違う、モンシロチョウだ。でもなぜこんな季節に蝶が。


「っあ、時間ないの忘れてた!」


少女はさっきよりペースを上げて歩き出す。ふと横を見ると、そこにはまだ蝶の姿があった。

「あなた、私について来ちゃったらお家帰れなくなるでしょ。帰りなさい。」

少女は蝶を手で追い返すようにしてから、また歩き出した。


流石にもうついて来てないだろうというところでまた振り返る。

「.......あなた、まだついてきてたの!?もう、帰り道わかんなくなっても知らないんだから!」


蝶はそのあと学校に着く直前でどこかに消えていった。......もしかしたら、自分を送り届けてくれたのかもしれない。悪いことしちゃったかな。



翌日、また蝶がついて来た。


「昨日の子よね。昨日はごめんなさい。手で追い返そうとしてしまって。」

無論、蝶から返事など返ってくるわけはないのだが、少し待ってみる。

「...」

少女は再び歩き出す。そしてその日も結局、蝶は学校に着く直前でどこかに消えてしまった。


それから毎日少女は登校した、蝶と一緒に。


遅刻しそうな時は何故か蝶も急ぐように少女の先を飛んで行った。

「モンシロチョウさんー、ちょっとまってよーーー。なんか速くない?」

そう言いながら蝶についていくと、ちゃんと出席確認の5分前には学校に到着していた。


くる日もくる日も少女は蝶と学校に行った。


_______しかし、出会って一ヶ月が経ったある日、いつものように蝶の定位置である花壇の傍を覗くとあの子の姿がなかった。家の周りにも通学路にも。それから蝶はぱたりと来なくなり、少女があの子に再び会うことはなかった。


「............でも、私はあの子と今でもずっと友達なんです!蝶はもともと長くは生きられないし、だけどその分私はその蝶々と濃い一ヶ月を過ごせたと思ってます。それにあの子は私に友達を作る勇気をくれたんです。その勇気は今でも私に残ってるから、私の秘密は蝶々の友達がいるってことで.......どうか買い取ってください!」


そう言って少女はまた、はにかんだ笑顔を見せた。


「うん。わかった。今の秘密は買わせてもらうよ。」

男は少女に二百円を渡した。

「ん?表には秘密一つで百円って買いてあったのに、いいんですか!?」

「君には良い秘密を聞かせてもらったよ。」


少女は嬉しそうにそれを握りしめて、軽やかな足取りで店を後にした。



___________そっか。会えたのか。


男は手元にあったノートを棚にしまい、棚の隅の埃被ったもう一冊のノートを取り出した。

そして、ページをめくる。


_______ちょっとあなた、私の秘密を買ってくださらない。


「じゃあ、査定させてもらうよ。」

そう言って男はノートのページをめくった。



「..........私、蝶が大っ嫌いなの。」

「..........え?.....そんな秘密じゃ十円にもなりゃしないよ、おばあちゃん。」

「まぁ、そう言わずに最後まで聞いてちょうだい。」

「はぁ、、」


「......私ね、もうじき六歳になる孫がいるのよ。これがもうほんっとに大変な子で、女の子だっていうのに男の子より手がかかるんだから。


それにおてんばで、そこらにいる蝶を捕まえては私に見せにくるわ。蝶も蝶で毎回あんな子に捕まるなんて本当にみっともないわ!....だから私は蝶が嫌いなの。


.......でもね、あの子片親だったからずーっと私が見て来たのよ。そうは言っても、私もそう長くはないじゃない?

限りある時間を大切にっていうけど、当の本人にはどれだけ限られてるかなんてわかりゃしないのよ。


だからね、もし私があの白い蝶になってあの子に会いに行ったらもう少しだけでも見守ってあげられるかしら。あの子の花嫁姿が見たいなんてそんなわがままなことは言わないわ。ただもう少しだけ、もう少しだけでいいの。あの子が誰かを必要としている時、寄り添っていたいのよ。


...だから私の秘密は、蝶になってあの子に会いに行くってことで買ってくださらない。」

そのお年寄りは控えめでまっすぐな口調でそう言った。


「....最後に孫とお寿司でも食べに行きたいわね。」

「そこまでのお代は出せないよ、おばあちゃん。」


_______ドンドンドン!!

「おばあちゃん!早く!こっち!こっち!!」

ガラスの向こうで全身泥だらけの少女がおひさまのように微笑んだ。


「あらまぁ、またあの子あんな泥だらけに。お宅の扉汚してしまってすみませんね。」

「はーい!今行きますよー。」


お年寄りは少女に向かって小走りした。


_______バタン。


「あーあ、あのおばあちゃんお代忘れてっちゃったよ、まったく。」


男はノートをそっと閉じた。

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