第139話 夢の後先

 簡単に他国へと渡れる現代と違い、のちに明治と呼ばれるこの時代は、国が分かれれば今生の別れとなる、それが当然の時代だ。

 清に戻ることを決めたジュンケンとゲツレイ、日本に残ることを決めたスイリョウとスウトウとは、おそらく一生再会しない。

 勿論、そうならないように、いつか会えるために努力するが……

 実際問題は会えないだろう、わかっている。

 そのことは『人に拘る』ゲツレイを打ちのめすには十分だったが、しかし、少女もこの1年で変わってきている。

 大好きな人達には幸せであって欲しい。

 より幸せであって欲しいから、宗近にも協力したのだ。

 だから、

 「行ってらっしゃい、姉さん」と、笑って言えた。

 披露宴から1週間、スイリョウは平良藩に旅立って行く。

 春の日差しの中笑った少女はあまりにキレイで……

 その成長を感じ、

 「うん、行ってくる」と、抱き締める。

 複雑な家庭環境、大人ぶって無理ばかりする、けれど本音ではとても幼い妹の道行が、幸せであれと祈っている。

 彼女がそうしてくれているように。

 だから、さっき裏で宗近を、

 「絶対絶対幸せにしないと、殺す」と脅していたことは不問にしよう。

 スイリョウは妹を抱き締めて、弟であるジュンケンとはハイタッチを交わし、そして最後に父親に、

 「じゃあ」と、短く言って旅立った。

 1回目の時は諦め切っていたせいで、何も言わずに出て行ったのに。

 スイリョウもいい方向に変わっている。

 

 彼女が平良家一行と出て行った3日後、スウトウとゆきも大使館を出て行った。

 徳川敬喜公の誘いに乗って、彼の住まいのある駿河に行く。

 別れ際、

 「ジュンケン」と、スウトウが声をかけた。

 「ん?」

 「最初のころ、僕、君が嫌いだったよ。」

 才能の無駄遣い。

 科挙に楽々通る実力を持ちながら、精神的に子供子供して、夢ばかり見る愚か者。

 自らがどう足掻いても届かない力を持ったジュンケンが、やっかみから大嫌いだった青年は、

 「でも、いい奴だった。面白い1年だった」と、振り返る。

 「ふん、当然だ」と胸を張る、もう少年とは言えない、ずいぶんと大きくなった同僚と拳を合わせ、去って行った。

 「お世話になりました」と、ゆきも言って。

 次期大使が着任するまで残り数日。

 大使館は、オウ大使と、ジュンケンとさく、そしてゲツレイだけとなった。


 「さて、どうしたもんだろう?」と、ジュンケンが考え込む。

 「知らん。こっちこそ『どうしたもんだろう?』だ。」

 そっけなく答えるゲツレイも、やはり困っているのかため息交じりだ。

 2人がいるのは、すっかり人が少なくなった清国大使館の1階の広間。

 さくは……

 家事全般を担当していた2名が抜けた後を繋いでくれていて、今は台所の跡片付け中だった。

 ちなみに……

 この分野でゲツレイは戦力にならない。

 2人が心配しているのは、あと10日ほどに迫った帰国のことだ。

 いや、今更帰国したくない訳じゃない。

 清に帰った後、2人には帰る場所がないのだ。

 上海マフィアの娘で、おそらくその拠点ごと無くなっているか、別の組織のものになっているゲツレイには、家がない。

 広州の僧堂の捨て子であるジュンケンも、今更そこに帰る筈もなく、こちらも帰るべき家が無いのだ。

 まあ、取りあえず金子はある。

 大使は給与の貯金分を金(gold)でくれたし、彼らが使わなかった月給と経費の残りも、清の通貨に換えてくれるという。

 1年くらいは過ごしていけそうだし、

 「上海に家でも借りるか。」

 「それしかないか」と話していると、

 「ちょっといいかな」と、大使が来た。

 「?」

 「2人に話があるんだ。」

 「???」

 「まずはジュンケン。君に聞きたいのだが……」

 「何?」

 「君は清に戻って、政治に関わる気はあるだろうか?」

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