第121話 未だ分からず

 最後の一葉は夜半に散った。

 戻ってきたジュンケンと、娘であるさく。

 2人、今はもう意識のない父親の様子を見ていた。

 命とは不思議なもので、こう言う時でも腹は減る。

 「先に食べてきて」と促し、さくが席を外した一瞬、父親の目がカッと開く。

 「‼」

 さくを呼ぼうと思った。

 しかし彼は必死の形相で、『駄目だ』と首を横に振る。

 真っ直ぐにジュンケンを見つめ、声にならない声を上げた。

 「……‼……‼……‼……‼」

 口が4回動く。

 言葉は出ない。何を言いたいかわからない。

 けれど、それでも少年が大きく頷くと、彼は安心したように息を吐き、そのまま最後まで意識は戻らなかった。

 「お待たせ。ジュンケンも食べてきて。」

 台所から戻ったさくと交代し、少年も食べる。

 大食いの早食い。立て続けに8個握り飯を頬張って、少し喉に詰めそうになりながら咀嚼して、戻る。

 彼を待っていたように、程なくして息が止まった。

 十分に別れさせてくれたから、娘であるさくも、浅からぬ縁を持ったジュンケンも、泣くようなことはなかった。

 ただ、心の中で『さよなら』を言った。

 さくの父……太助と言う名だ。享年39歳だった。


 翌朝早く、大八車に遺体を乗せて、近隣の寺へ向かった。

 檀家制度は江戸時代に始まり、さくの家はこの寺の檀家。先に逝った兄の太郎も、今はこの寺に眠っている。

 「よく連れてきて下さいました。大変だったでしょう?」

 出てきた中年の僧侶は痩せこけて、粗末な衣を着ていた。

 よくある金満主義の寺ではないらしい。

 さくの家自体がただの農民、儲け第1の寺などと縁が出来るはずもない。

 僧堂も一見崩れそうに粗末で、しかしよく見れば手入れが行き届いていると分かる。

 ジュンケンは良い印象を持った。

 「………………」

 住職は太助のために経を読む。

 懐かしい。

 広州の寺で聞いたリズムだ。

 『門前の小僧習わぬ経を読む』、だ。

 ただし清国語か、サンスクリット(原語)でしかわからない。

 邪魔にならないように、口の中で唱和する。

 唱和しながら考える。

 あの時彼は何と言った?

 4文字だ。

 最初、天涯孤独となる娘を気にかけ、『たのむぞ』かと思ったが、口の動きがはっきり違う。

 彼は一体何を自分に託したのか?

 いつか知ることが出来るだろうか?

 弔いが終わり、ジュンケンは持っていた1分金(50000円)を渡す。

 「相場がわからないから、あっているかわからないけど。」

 逆に、農民であるさくの家から喜捨を貰えるなど想像すらしなかったのだろう、一瞬驚いた僧侶だったが、

 「ありがとうございます」と、押し頂いた。

 これで本当に別れが済んだ。

 さくと共に戻りながら、あの『4文字』を考えようとした少年の前に、ふいと進み出てきた侍がいる。

 姉の忠告を思い出した。

 「あれ?あなたは?」と、知らない仲ではない反応をするさくに、確信が深まる。

 彼はついに現れたらしい。

 「待っていましたよ、あなたの事を。」

 「沖田……さん、と言ったか。」

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