第80話 江戸城の乱

 「曲者だ‼」

 「敵襲‼」の声と共に、静かだった江戸城が急激に騒がしくなる。

 「きゃーっ‼」

 「嫌ぁ‼」と女中達が泣き叫ぶ声。

 「貴様ら、ここを江戸城と知っての狼藉か‼」

 大声で恫喝し、直後叫び声が上がったから彼は切られたのかもしれない。

 敬喜は考えうる限り最も平和的に幕府を終わらせたが、そこに賛否があることは仕方がない。

 しかし、それで殺されるのもまた納得は出来ない、当たり前だった。

 しかもこのままでは、清国大使一行が巻き添えになる。

 それは避けたい、なんとしても。

 国際情勢云々じゃなく、唯一真っ直ぐに認めてくれた、その人達を失いたくないと思う。

 ただ事態は待ったなしに進行し、

 「ここか‼」

 「将軍、徳川敬喜、お覚悟‼」と、計6人の男が駆け込んできた。

 全員刀を抜いている。

 数人の刀は血に染まり、人を切ってきたことが明白だった。

 普通なら怖い、その瞬間。

 「ゲツレイ、3人ずつだ‼」

 「わかった」と、清国大使館の少年少女が飛び込んでいった。


 今回ゲツレイは殺さないようにしていた。

 彼女はウエイトがなく、力も弱い。

 命を奪わず確実に動きを止める方法を模索し、辿り着いたのが小刀の柄で喉を突く、言わばみねうちだ。

 柄とは言え、踏み込んでくる相手の力もプラスされるから、当たり所が悪ければ死ぬ、そこまでは責任が持てない。

 躊躇わないことが彼女の剣術の肝となるのだ。

 刀を掻い潜っての飛び込み、情け容赦なく1人目の喉を突いた。

 「ぐえっ‼」

 壮絶にえずく。吐しゃ物を吐き散らして男は座り込み、次に来た敵の足を払い転ばせる。

 3人目の喉を突くと、一瞬で息が止まったのだろう、男は背後にぶっ倒れた。

 そして、2人目が起きる前に馬乗りになって喉を突く。

 彼も吐しゃ物を吹き出し昏倒した。

 3人制圧。

 ジュンケンを見ると……

 少年の前にも2人が座り込み、腕を抑えて泣き叫ぶ。

 たった1人、それでも左手で刀を握って辛うじて立つ男がいた。

 添えているはずの右手は離れ、ダラリと垂れ下がっている。

 折られたようだ。

 「お前、すごいな」と、少年が笑った。


 江戸城を、将軍を襲うことを納得したわけではない。

 とは言え、借金に縛られ、状況に縛られた鉄次郎達に逃げ場はない。

 自分たち実行犯を集めた男は、何と言ったか?

 岩……が付いた。

 その程度しかわからない。

 分からないけどやるしかない。

 江戸城に押し入ると、主要な幕臣は城を出た後らしい。

 女中や小姓しかいない。

 逃げ惑う彼らを見て、なぜ自分がこんなことをしなければならないのか、それすらも分からない。

 大き目の広間に、将軍、徳川敬喜がいた。

 殺さねばならない。

 理由などない。

 でも、殺さねばならない。

 鉄次郎だけでなく、仲間たちすべてが恐慌状態、無我夢中の状態だった。

 ところが、同じ部屋にいた格好から言って異国の少年と少女が、憎むべき、恐れるべき暴漢のはずの一同の中に飛び込んでくる。

 鉄次郎は少年の方に向かった。

 先手をとって仲間の1人が少年に切り掛かる。

 大きく上段に構えた腕を、背後から見ていた。

 瞬間、

 「うぎゃぁっ‼」

 男の腕が在らぬ方に弾け飛ぶ。

 理解が全く出来なかった。

 男は刀を取り落とし、その場に座り込んでしまった。

 何があったのか分かったのは、次の1人がやられる時だ。

 真後ろからじゃなかったから分かった。

 男の振りかぶった刀を掻い潜り、少年が蹴りを決めているのだ。

 しかも右手の肘を絶妙に狙い、情け容赦なく折っている。

 刀は左手で持つものだが、鋭い痛みが想像出来て寒気がした。

 「うわわぁ……」

 2人目もやられた。

 少年が向き直った時、鉄次郎は反射的に構えを変えた。

 上段は不利になると思って、中段の構えから胴を切ろうと後ろに引く。

 「へえ」と、少年。

 これで彼が狙っている、右手の肘が遠くなる。

 彼がそこ以外狙わない保証などないが、今できる精いっぱいの対策をし、鉄次郎は刀を横に振る。

 普通なら一刀両断できる。あんな子供の体なら尚更だ。

 しかし‼

 バキッという音を、耳から、体内から同時に聞いた。

 少年は一瞬で刀を掻い潜る。

 上段ではない、中段でもお構いなしだ。

 低く、さらに低く潜った後、見事鉄次郎の右肘を砕いた。

 「ぐうぅ。」

 声さえ出せぬ疼痛。

 辛うじて刀を落とさなかったのが精いっぱいだ。右手はだらりと垂れ下がり、もう使い物にならない。

 「お前、すごいな」と少年は言ったけれど……

 左手1本で刀を振るっても、恐らくは歯が立たない。

 むしろ左肘も砕かれる。

 仲間達……と言っても名も知らぬ寄せ集めだが、彼らももう戦えはしないだろう。

 少年の前の2人は腕を砕かれ、少女の前の3人は何をされたのだろうか、吐しゃ物にまみれ、まだ動けるだろうに動かない。

 心が完全に折られていた。

 無念だ。

 大義など何もいない、金のためだったとは言え……

 無念だった。

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