第78話 歴史の空白

 「こんにちは、徳川様」と挨拶したのは清国の大使で、普段とは違う出で立ちに敬喜は驚く。

 謁見の間に入って来た彼はいつもの裾の長い礼服ではなく、一般的満州服だった。

 「大政奉還なされたと聞き、それならば変にかしこまった格好もどうかと思いまして。」

 敬喜自身、仰々しい登場も上座に座ることも無しにしているので、何の問題もなかった。

 「いや、よい。」

 「よかった。どうしても子供らが会いたいと申しまして。」

 言われてみれば大使は、最初の謁見で見たことがある通訳の少年と、最後の謁見で見た美しい少女を伴っていた。

 2人は、清国語で何か会話している。

 「いた?」

 「ああ、いた。」

 「何が見える?」

 「白き竜だ。ずいぶん穏やかな顔をしている。」

 「ああ、真面目に同じものが見えているなぁ。」

 勝手に盛り上がる年少組を苦笑いで見た大使だが、しかし止めるつもりはさらさらなかった。

 「徳川様、ここからは信じるか信じないかはご自由ですが」と、話し始める。

 「あの2名は大使館の職員ですが、少し変わった能力を持っています。」

 「……」

 「あ‼愛娼と言うのも嘘ですよ。」

 「ああ、それは分かっていた。」

 図抜けてキレイな少女だが、彼女は少し幼過ぎる。

 「あの2人は、他人のその時の心根というか、本質を映像で見ます。」

 「?」

 「あの2人があなたを竜だと言った。だから確認しに来たのです。」

 そこまで言って、大使は2人を振り返る。

 「ジュンケン?」

 ゲツレイが説明を苦手にしているからこその指名に、

 「竜、喜んでるよ‼」と、日本語で返ってきた。

 大使は深々と頭を下げる。

 「まずはおめでとうございます、徳川様。」

 「え?」

 「あなたは見事な手段で、無駄な争いを避けることに成功致しました。」

 幕府の末路は基本『滅び』だ。

 全滅か、それに近い血の海の上に新政府は樹立される。

 それが道理なのだ。

 「あなたのご決断で、助かった者が多々おります。」

 真っ直ぐな謝辞に動揺する。

 「い、いや……事態はまだまだ混迷の色を隠せない。最後まで抵抗しようと言う者が恐らくは挙兵するだろう。私にそれは防げない。」

 吐き捨てるようなセリフに、

 「いえいえ。それでも犠牲を最小限にするいい案だと思います」と、大使は笑う。

 「我が国は日本より先に外国勢力の侵略を受け、今も外圧にあえいでおります。ただ、国としてはいまだに動いておりますし、政治体制の変化は日本のほうが早かった。我が国が参考にしてくれるかはともかく、国に一例として持ち帰ります。」

 そう。

 あくまで清国の為に動く大使館だ。

 今回の隣国での政変は、非常に教訓を含んで為になった。

 別にあなた方をほめている訳ではないと、素直ではない大使の言い方に、虚を突かれた敬喜は少し笑った。

 「そうか。」

 「はい。」

 「参考になったか。」

 「はい。」

 肩の荷を下ろした敬喜に、少年少女が近付いてくる。

 「はい。」

 「ん?」

 「これ、将軍に上げようと思ってな。」

 差し出したのは財布だった。

 彼らが最初町で買った、18文の財布。

 「俺達、国の方ではあんまりいい暮らしじゃなかったから。この国で初めてやることが多かったんだ。自分で金持って、買い食いして、金払って、お釣りをしまうのも初めてだった。多分、将軍もそうじゃないのか?」

 「え?」

 「こんな城に閉じ込められていたんだ。終わったんなら外に出て、ガンガン楽しめばいいよ。だから、これがいるかと思って。」

 少年はよく喋るのに、少女は全く話さない。

 ただ、

 「そうだよな、ゲツレイ」と、少年が視線を送ると、少女もこっくり頷いた。

 2人で、敬喜のために買ったらしい。

 本当なら将軍になりえない、傍流も傍流の敬喜だ。

 城下で買い食いしたことも、もちろんお金を使ったこともあったが、それをいうのも大人げないし、何より気持ちが嬉しかった。

 「ありがとう」と粗末な財布を受け取ったその時、

 「曲者だ‼」

 「敵襲‼」の声がする。


 『大政奉還』から『王政復興の大号令』まで、なぜか空いている数か月。

 これは、その空白の物語。

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