第76話 白き竜の国

 敬喜の背後の竜は巨大だった。

 それが自分にしか見えない幻のようなものだと分かりながら、天井が崩れるのではと心配になる。

 竜は、敬喜の背後に座っている。

 以前ジュンケンから『臥竜』と聞いていたが、眠ってはいない、起きている。

 竜なのに荒ぶっていない。

 本人と同じく理知的な瞳で、ただ黙って少女を見ていた。

 白蛇をありがたがる地域もあるが、この竜も白い。

 神々しいまでの白さに、その落ち着き払った姿に気圧される。

 大体がゲツレイ、この『映像を見る』と言うのは初めてなのだ。

 道場拳法ながら他人の気をよみ戦うことに特化したジュンケンと、それが生活の一部とはいえ常に危険に対し気を張っていたゲツレイは、同じような境地にあるのかもしれない。

 ただ、竜の迫力に飲まれていく……


 「ゲツレイ‼おい‼ゲツレイ‼」

 急に揺すられた気がして、少女の焦点がやっと合った。

 目を開けて気を失ったような、心ここにあらずの状態だったらしい。

 いつか大使館に戻っている。

 明かりがともされ、辺りが暗くなっていると知る。

 1階の広間にいるらしい。

 「ジュンケン?」

 ぼんやりする頭で聞き返すが、その肩に乗るように小さな竜を認める。

 本人と同じだ。

 茶目っ気たっぷりにちょろちょろ動きまわる、黒竜の子供。

 「はは、君も竜か。」

 口に出してしまった後、急激に気持ちが戻ってくる。

 いつの間にか戻っていた、失った時間の流れに気づき、

 「私はちゃんとできていたのか?」と尋ねる。

 周囲にはジュンケンだけじゃない、大使や宗近、スウトウにスイリョウ、ゆきも心配して寄り添っていてくれたから。

 「大丈夫だ」と、大使。

 「所作は完璧だし、心ここにあらずだったから誘導して連れ帰った。不自然なところはないよ。」

 「よかった。」

 柄にもなく大きくため息をついたゲツレイに、

 「で、見えたのか?」と、ジュンケンが訊く。

 「ああ、君の世界が分かった」と、少女は見知ったビジョンを説明するのだ。


 「落ち着き払った白き竜、か。」

 映像の意味を考えこむ大使。

 「落ち着き払った……」に引っかかっているのは、小藩の後継ぎである宗近で。

 歴史上、幕府の最後は戦乱だ。

 力も何も失って、しかし権力にしがみつきたい幕府側を、次にこの国を治めることとなる新勢力が打ち倒す。

 落ち着き払っていたこと、穏やかで、しかし迫力さえ感じさせる態度から、将軍が『戦い』を決意したとは思えなかった。

 なら、何を?

 この国はどう転んでいくか?

 「もしかして……」

 「返す、つもりかもしれないな。」

 大使と宗近、2人同時に結論を出した。

 武士とは本来戦うもので、勝ち目がなかろうと『武士道』とやらで引けなくなる。

 周囲の者も、乱れに乱れたこの国をけん引するのは、もう幕府ではないと気が付いている。

 それでも‼

 普通は戦い、そして敗れるという流れをとるし、たぶん誰もがそのつもりだが……

 無駄死にを避け、権利を返す。

 誰かに言われて返せば幕府の『負け』だが、自主的に返せば負けにはならない。

 むしろ生き残る自分自身も、後を優位に進められるはずだ。

 「多分十中八九これだ。利口だな」と、大使。

 「この線で動ける部分は動いておこう。スウトウ。」

 「はい?」

 「誰が残るか、誰がこの国の中心になるか、探れる分は探るぞ。」

 「はい。」

 動き出す清国大使館。

 「俺は、私腹でも肥やしておこうか」は、宗近だ。

 「この先も我が平良藩が安泰か、外国勢も押し寄せていろいろが変化する今、保証はない。民を苦しめる気はないし、非合法なことはしないつもりだが、決して取り上げられない、しばらく安泰なだけの財を築こう。」

 「江戸幕府の金は止めておけよ。」

 「分かっているよ。小判なら古い質の良いものを集める。貴金属としての価値があるしな。」

 「そうだな。」

 平良藩も動き出す。

 

 この年の秋が深まった旧暦9月(新暦11月)、将軍、徳川敬喜による大政奉還が行われる。

 その少し前の話だった。

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