第73話 臥竜起きる

 秋が少しずつ深まっていく。

 少年と少女が諜報活動を始めて1か月ほどした頃、

 「ジュンケン‼ジュンケンはいるかい?」

 朝から大使が騒いでいた。

 『朝』といっても十分日が昇った、朝食も終わった後のことだ。

 一行は1階で食休み中。今回は宗近抜きの、完全に清国大使館のみのメンバーだった。

 「少年なら、愛しい子のところに行ってるよ」が、スイリョウ。

 うんうんと、ゲツレイも頷く。

 「ああ、そうか。そう言えば、朝食前から出ているんだった。」

 溜息半分、困り顔の大使に、

 「どうした?」と、ゲツレイが訊いた。

 「いや、なに……」

 大使が言うには、将軍、徳川敬喜の様子がおかしいと言う。

 いつも取り繕ったように尊大で、自棄になっているような男だが、落ち着いた雰囲気に変わっている。

 いつもは一方通行の会話で、こちらがただ話すのみ、彼からは話しかけたりしなかったが、前回は急に、

 「清とはいかような国だ?」と尋ねた。

 何か心境の変化があったのは明白だから、

 「ジュンケンの例の能力で見てもらえたらと思ってね」と、大使が言った。

 ジュンケンの、例の能力。

 知らないスイリョウ、スウトウ、ゆきはポカーンとし、知っているゲツレイは、

 「ああ」と頷く。

 「例の能力って?ゲツレイ?」

 「うーん。彼はこの前、私に『鞘が付いた』と言った。」

 「は?」

 話すようにはなった。

 けれど、説明は下手だ。

 さらに考え込んだゲツレイは、それでも説明を試みる。

 「ジュンケンは、人の気持ちを映像で見る。」

 「へ?」

 「映像?」

 「うん。私のことを、出会った頃『鞘のない小刀』だと言った。触れると指が落ちそうで、けれど、仕舞うべき鞘がない、と。」

 「あ……」

 「で、この前すれ違いざま、『鞘がついたな、ゲツレイ』と言った。」

 また少し背が伸びたジュンケンに、頭を撫でられたのは腹が立ったが、でも、

 「『鞘がついた』は、『帰る場所が出来た』と言うことと思う。」

 それは嬉しかった。

 泣きたくなるほど嬉しかったから、怒らないでいてやろうと思った。

 ゲツレイの説明に、

 「ああ、つまりジュンケンに将軍を見てもらえば何かわかるかと思ったわけね」と、スイリョウがまとめる。

 「ああ。しかし、まいったな。」

 首を捻り考え込む大使に、

 「なら私が行こうか」と、ゲツレイが提案する。

 「えっ?」

 「私もジュンケンのようにはっきりとした映像は見えないが、敵になるか味方になるか、感じることは出来る。

 急いでいるのだろう?」

 「ああ、午後には面会することになっている。」

 「なら、私が行こう。」

 少女の提案は至極もっともで、『渡りに船』な感じだが、しかしことの整合性はとり難い。

 ゲツレイを通訳と言い張るには会話が拙すぎて、どうしても通訳兼秘書官のスウトウがいる。

 なら、今1人、少女を連れていく意味は?

 「ああ、そんなことか」と、少女は言った。

 「それならすぐに解決する。ゆきさん?」

 「はい?」

 「私に化粧出来るか?」

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