第72話 彼は夢か、真か

 昨日生き残った私としては、それでも生活を続けなければならない。

 翌朝目を覚ましたさくは、疲れた体と眠い目で起き上がる。

 昨日は切り殺される寸前だった。

 しかし、

 「生きてたね」と、独り言ちる。

 もう本当にどうでもよかったのだが、助けられた以上、生き残った以上、生活を続けるのが道理だった。

 兄はまだ帰ってこない……

 いや。

 帰ってくるはずはないのである。

 さくは兄の遺体を見ている。

 けれど、父に言えず嘘を重ねる内、さく自身も帰らぬ兄を待っている気分になっていることがあった。

 兄貴、早く帰ってきてよ。

 帰らない兄、動けない父。

 3人でやっていた仕事がさく1人に掛かり、状況は完全に詰んでいる。

 ここ1週間くらいなら食いつなげる。

 でも、ひと月も過ぎれば食べ物もない。

 雑草で飢えをしのぐ以外なくなるが、季節は秋から冬に向かう。

 ……

 もう無理なのだ。

 「はあ。」

 ため息交じりで家を出たさくは、自身の商品価値について、考えるところまで追いつめられていた。

 父も、自分も生き残るには、おそらくそれが手っ取り早い。

 しかし、女性として商品になるには17歳ではスタートが遅く、良い条件はあり得ない。

 本当にもう、どうすればいい?

 考え込んでしまった、切羽詰まった耳に聞こえたのは、

 「あーっ、やっと来た‼もう日は高いぜ‼」と笑う、能天気な声だ。

 ここはさくの家であり、他に人がいるはずもない。

 「え?」

 慌てて顔を上げた(無意識に俯いていたのだ)目に飛び込んだのは、昨日助けてくれた少年と、きっちり草むしりが施され積み上げられた雑草と、井戸を見つけて撒いたらしい、露に光る作物だった。


 「な……」

 驚き過ぎて言葉にならない。

 勝手に畑仕事を終わらせていた少年は、昨日の外国人だ。確か名前を、ジュンケンと言った。

 昨日助けてくれた理由も、今日手伝ってくれた理由もわからない。

 小さな小さな農家の子だ。

 さくには助けるには理由が必要で、

 『困っていそうだから助けた』とか、

 『殺されそうだから助けた』とか、反射みたいな善意は理解出来ない。

 何も言わず棒立ちするさちに、

 「あれ?合ってるよな、作業?」と、太陽みたいな少年が笑う。

 「俺、僧堂で育ってるからさ。こう言うの得意なんだ」と、胸を張る。

 本当に、何でだろう?

 何の対価も支払えない。

 そして、体を売ることまで考えてなお、哀れみならば微かに残る矜持が……

 「でもさ、俺午前中しか手伝えないんだ。午後から仕事があるからさ」と、そんなさくの気持ちに気付いていない、少年はあくまでマイペースだ。

 指さす先には南中した太陽。

 昼が近いことを意味していて、さくも随分寝坊したものだ。

 「だからここで飯食ってていい?」

 少年が広げた風呂敷には、丸むすびが10個入っている。

 雑穀米じゃない、しっかりと精米した白むすびで、驚いたさくがギョッとなる。

 その目の前で、

 「あっ、うま、これ‼スウトウの嫁もいろいろ入れてくれてる‼これ、昨日の残りの角煮だ‼」と、全然気にする素振りもなく、握り飯を3つほど立て続けに食べた後、

 「ん。これ、さくも食う?」と、少年は握り飯を差し出してきた。

 手はきれいに洗ってあるし、けれど頬に米粒をつけての行動に、泥団子を差し出してくる幼児のようなイメージが湧く。

 得意げな顔も、何か、もう……

 完全にツボに入ってしまった。

 「あ、ありがとう。」

 勢いで素直に受け取ったさくは、勧められるままに握り飯を3つ食べ、少年に至っては6個食べた。

 最後に残った1個を、

 「はい、これ。親父さんの」と、渡してくる。

 なんか、もう・・・・・

 幼く真っ直ぐ善意が気持ちがいい。

 どうやらさくは、完全に入り込まれてしまったらしい。


 翌日から毎日、少年はさくの家に通うこととなる。

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