第71話 走れ‼動け‼

 明朝、ジュンケンは暗い内に起きだした。

 普段から朝稽古などしているが、それより早い。

 秋のはじめ。日はまだ長い方だが、それにしても真っ暗だ。

 少年は、さくの家を手伝うと決めた。

 まずは手の届くところから行動を、そしてその先に自分に何が出来るのか、ゆっくり考えていこうと思う。

 まずは荒れ放題の畑からだ。

 『畑仕事なら早朝から‼』というのは、僧堂暮らしの常識だった。

 ああ、でもそれだと、朝飯食えないのは痛いなぁ……

 考えながら階段を下りて、

 「あれ?ジュンケンさん?」

 「うぇっ?スウトウの嫁‼」

 いきなりゆきと鉢合わせした。

 ゆきは……

 大使館の女中として、月1両1分(250000円)で雇われている。

 それが仕事なわけだが、全員分の食事を作っている彼女の朝は非常に早い。

 もう起きていたんだ、と感心した。

 朝稽古の時は気付きもしなかった。

 少年は、また1つ新たなことを知る。

 「はい。スウトウの嫁ですよ」と、ニコニコしているゆき。

 朝早くから女性の家を手伝いに行くつもりのジュンケンは、別に悪いことをしているわけもない、大使館の仕事という名の江戸の町の調査も昼からは始めるつもりだし、コソコソする理由はないはずだが、

 「こんなに朝早くに、どちらへ?」

 「いや、……ちょっと野暮用で……」

 「?」

 「あの、……朝飯はいいから……」

 適当に脇をすり抜けようとした。

 が、

 「ちょっと‼少年が『朝飯パス』って、どんだけ大事なのよ‼」と、聞き慣れた大きな声が響く。

 台所には、何故かスイリョウまでいた。

 「ちょっと待てよ‼なんでスイリョウ姉までいんだよ?姉ちゃん、事務官だろ‼」

 「誰が事務なんかやるもんですか‼って、この食いしん坊小僧が朝飯パスって、どう言うことよ‼」

 「うわっ、もう、声でかいよ‼」

 これはもう、絶対に勝てない。

 結局、少年が洗いざらい考えを喋らされるまで、5分もかからなかったのだ。


 農民の窮状を聞いても、基本いいところのお嬢様なスイリョウは今1つピンとこなかったが、ゆきが珍しく渋い顔をした。

 寒村の忌み子、恐らくはさくよりももっともっと条件の悪い所から来ている彼女は、リアルに大変さが分かるのだろう。

 その顔を見て、

 「ああ。」

 『なるほど』と遅れて思う。

 だからって、結構大変なことを背負い込もうとしている年少者を、『ああそうですか』とすんなり認めるわけにもいかない。

 「1つ訊いておくよ」と、スイリョウは言った。

 「何?」

 「少年はその、さくさんっていう人の家を手伝いたい、これは分かった。」

 「?」

 「でも、そのさくさんが救えたからってその周りには一杯困っている人がいるだろうし、何かが解決するわけじゃないよ。あと、少年がもういいやって手を引いた後、彼女の家はすぐに困るかもしれない。いい加減にはできないって、わかってる?」

 お腹のすいた子犬を拾えば、その子は助かるけれど、その他まで助かるわけじゃない。

 そしてやっぱり飼えないと一時の世話で放してしまえば、またすぐ子犬は飢える。

 社会システムの問題で、非常にデリケートな問題なのだ。

 「わかってら‼」と、ジュンケン。

 「俺はいい加減にやめるつもりはないし、まずは手の届く場所からって決めたんだ‼さくを助けて、で、そうしながら考えるんだ‼俺に出来ることを‼」

 満点の答えに、

 「わかったよ」と、スイリョウが笑う。

 グリグリとジュンケンの頭を撫でながら、

 「ちょっと待ってて」と、ゆきも誘って席を立った。

 10分もしないうちに、玄関で待っていた少年のもとに荷物が届く。

 顔くらいある握り飯をむき出しで渡すあたりがスイリョウらしい。

 「ほら、朝食。」

 「でかっ‼」

 「って、いつもこれくらい食べてるよ、少年は。そこらにあった残り物適当に詰め込んだから、何が当たるかわからないけど。」

 いわゆる爆弾お握りだ。

 「はい、あとこれ、お昼御飯です。」

 ゆきが差し出した風呂敷には、丸むすびが10個ほど包まれていた。

 ジュンケンが相好を崩す。

 「私の故郷は丸むすびなんで……」

 「うわぁ‼いいよ、最高‼ありがと、姉ちゃん‼嫁‼」

 「言い方がぞんざい過ぎる。ほら、早く行きな‼」

 「うん‼あっ、町の調査は昼からするって、大使に言っておいて‼」

 駆け出していく後ろ姿に、

 「ありゃ、惚れたな」と、スイリョウが笑う。

 「え?ジュンケン君とゲツレイちゃんって?え?」

 いろいろ誤解していたらしい、訳が分からないゆきに、

 「ああ、あれは戦友で姉弟。」

 「え?」

 「ほぼほぼ家族だね」と、今1度笑った。


 「うめえ‼」

 まだ暗い中を、郊外のさくの家まで小走りに急ぐジュンケン。

 もちろん、爆弾お握りを齧りながらだ。

 その視線の先に、

 「ええじゃないか、ええじゃないか。」

 「ええじゃないか、ええじゃないか」と、歌い踊る集団がいた。

 お札が舞い飛び熱狂するその姿に……

 祭りの前の湧き上がるような熱量と、終わる世界への哀愁を感じる。


 人心は乱れ切っていた。




 注)『ええじゃないか』は、関西圏から東海圏の間の事件とされます。本来は江戸ではなかったはずです。


 

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