第69話 郊外の農民の子

 「いや、大丈夫だけど」という女を制し、ジュンケンは彼女を送っていった。

 ゲツレイが聞けば、

 『意外と積極的じゃないか』と笑いそうだが、なんとなく、この縁を大事にしたい。

 「名前は?」

 「さく。」

 「俺はコウジュンケン。」

 「コ、コウ?」

 「コウが名字。ジュンケンでいいよ。いくつ?」

 「17。」

 「俺14。清の人間だよ。」

 「清?」

 「隣の国だよ。」

 ここまでの会話で、さくの方もようやく緊張が解けてきた。

 助けてくれた以上、悪い人間ではないと思う。

 しかし素性が知れな過ぎる。

 格好(満州服)からいって異様過ぎるし、見た目は日本人の少年と変わらず言葉も達者、しかし『平気で武士を叩きのめす』など、異常なところが多過ぎる。

 外国の人なら仕方ないかもしれないが……

 小さく笑うと、

 「何?」と、首をかしげる。

 強さはえげつないけれど、年相応にかわいいところもあった。

 「あのお侍さん、驚いただろうと思って。」

 「え?」

 「あなた、見た目は日本人と変わらないから。あんな風に反抗されるなんて、たぶん想像すらしていないよ。」

 「ああ、そうか」と、納得したように頷いた少年が、

 「でも、あいつは少し懲りた方がいい」と呟く。

 大人みたいな口ぶりが、また笑えた。


 やがて辿り着いたのは、郊外と呼べるだろう、町が広がるスペースの外側だ。

 ジュンケンは家々が立ち並ぶ中心部しか知らないから、緑も多いその場所が印象的だった。

 森を切り開いたような場所に、広くはない畑がある。

 その向こうにあばら家があった。

 「ここ、さくの家?」

 「うん。」

 彼女は当たり前に入って行った。

 家もひどかったが、畑もひどい。

 手入れが行き届いていない、雑草が茂っていることが一目でわかる。

 家に上がると、布団に寝かされた中年男性がいた。

 「近づかないで」と、さくが言う。

 「?」

 「移る病気なの。」

 さくは手拭いをとって口元に巻いた。

 そうして自衛しながら、語り掛ける。

 「父さん、ただ今。」

 「さ、さく、か?」

 「うん。」

 「太郎は?」

 「うん、今日もいなかった。」

 「そう、か。」

 父親はそのまま目を瞑るから、

 「待って、父さん。今ご飯作るから」と、さくが粥を用意する。

 薄い薄い、嵩増しの雑草のほうが多い粥だ。

 僧堂の食事以下だった。

 帰り際、

 「太郎さんって?」と、訊いてみる。

 「兄だよ」と、さくは笑った。

 「兄は2か月前に行方不明になった。本当は1か月前に遺体で見つかったの。刀傷だらけで、侍にやられたって分かったけど……

 父さんには言えなくってね。」

 彼女は最後まで笑顔を崩さなかったから、どれほど深い悲しみか、どれほど深い絶望か、逆に伝わる。

 大使館への帰り道、胸の奥にせりあがってくるような苛立ちに、ジュンケンは叫びたくなった。

 これもまた、この国の実情……


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