第66話 大盛天ぷら蕎麦プラスアルファ
「おっちゃん、天ぷら蕎麦大盛りで。」
同じ頃ジュンケンはいつもの蕎麦屋だ。
この店の天ぷら蕎麦は大きめのかき揚げが乗っていて、腹持ちがよくて最高にうまい。
16文(蕎麦代)に4文(大盛代)に4文(かき揚げ代)で、締めて24文(1200円)だ。
「お、小僧。今日は豪勢だな。」
「まあね。」
軍資金が増えたせいで躊躇いなくいける。
ありがたい。
道すがら、ジュンケンは考えていた。
彼は広州の子で、記憶にない、おそらく4歳くらいの時に町は1度西洋人に占領された。
アロー号事件だ。
だから少年の記憶の町は、すでに外国人が我が物顔で歩いていた。
対して、今の江戸は……
これまで数か月を過ごし、片手の指の数ほどしか外国人を見ていない。
自分自身も清国人で、つまりはこの国にとって『外国人』である訳だが、この場合は『西洋人』を指す。
金髪だったり、瞳の色が青や緑の人達だ。
国は『開国』している筈だ。
それでなければ自分達清国人も大使館を開く事はなく、けれどそれにしては外国人が少ない。
ジュンケンの記憶の町とだいぶ違う風景に、
『これが大使の言う『負けていない』と言うことなのか?』と、漠然と思う。
受け入れざるを得ない事実と、決して善意だけではない、下手をすれば侵略者となりうる存在への恐怖。しかし恐怖だけではない、若干の興味もはらみつつ、どうすればいいか爆発寸前だ。
この国はどうなっていくのだろうと、らしくなく考える耳に、
「だから‼幕府は臆病だって言ってんだ‼」
「何を‼あんな鬼みたいな連中、何をするかわかったもんじゃないじゃないか‼」
「何をするってんだよ‼あいつらの方がずっと進んでるんだ‼この国の一部の連中よりよほど理性的に決まってら‼」
「馬鹿野郎が‼子供でも食われたらどうすんだよ‼」
昼間から酒が入っているらしい。
帯刀はしていない、町人風の男達が言い合っていた。
いやいや、あいつら子供は食わないよ。
内心で突っ込みながら、けれど侍でもない、ただの町人達が自由に言い合う、江戸らしい気風を感じた。
論点はだいぶおかしいし、見えてないものが多過ぎる中それでも議論しようという気風。
今浮足立つような時代のうねりの中にいる。
とは言え、ついに2人が掴み合いの喧嘩を始めたのはいただけない。
ガチャンガチャンと瀬戸物が割れ、
「ああ、店が壊れる」と、店主が頭を抱える。
すっと動いた少年が2人の間に入り込み、
「このわからず屋め‼」
「許さんぞ‼」
互いを殴ろうとした伸びきった腕をつかみ、合気の要領で下に落とした。
投げられたわけでなく、訳が分からぬまま男達は床に倒れ、両膝で彼らの肩を、両手で腕を決めたジュンケンは、
「落ち着きましたか?」と、比較的丁寧に言う。
「え?」
「あれ?」
男たちは慌て、体を起こそうとして出来ず、完全に決まった肩関節と、伸びきって動かすことさえかなわない腕に焦る。
数秒ジタバタと足を動かし、しかしこんな小さな少年に完全に制圧された事実に気付くと、急速に頭が冷えたのだろう。
「あ、ああ。」
「悪かった。離してくれ」とトーンダウンした。
「壊した器は弁償できますね?」
肩と腕に力を入れると、
「わかった‼悪かった‼謝るよ‼」
「弁償する‼しますから‼」と、2人は財布をひっくり返し、代金を支払うとそそくさと逃げて行った。
「蕎麦、伸びちまったなぁ。」
かき揚げは食べ切ったが、まだ半分近い麺が残っていたはずだ。
とは言え残すつもりはない。
ジュンケンが自席に戻ると、
「ほらよ」と、丁度器を下げていた店主と目が合う。
「礼だ。」
伸びきった蕎麦が、また新しい大盛かき揚げ蕎麦に化けた。
「おっちゃん‼エビ天もくれるの‼」
店主のサービスで、エビ天が2本ついていた。
ご機嫌で蕎麦をすすり出すその姿は、酒に乱れた大の大人を一瞬で制圧した少年と同一人物には思えない。
「大人なんだか、子供なんだか」と店主は笑ったが、まさにそんな年頃だった。
少年は大人になろうとする。
その時だった。
「おい‼大変だ‼」
「あらぁ、植木屋の正次郎のトコの坊主じゃないか‼」
店の外が騒がしくなる。
食べ終わっていたジュンケンも、会計を済ませて外に出る。
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