第5章 臥竜、立つ

第63話 夏の名残

 夏が終わっていく。

 早朝であれば十分涼しくなった頃、ジュンケンは早起きして拳法の動きを反復していた。

 僧堂にいたころからの習慣だったが、日本に来てしばらくは日常に振り回され、その後は殺せない、つまりは武士になれそうにない自分に気付いて、稽古からは遠ざかっていた。

 型稽古を繰り返すが、やはり感覚が狂っているらしく、一向にしっくりしない。

 「こういったものは繰り返しが大切じゃ」と、僧堂の師匠の声が聞こえた気がした。

 もう1度繰り返す。

 今回の京都旅行を経て、ジュンケンは考える。

 どうにも俺は、人を殺したくはないらしい。

 誰かの命を奪うなんて、そんな覚悟は毛頭ない。

 しかし、スイリョウやゲツレイに手を出そうとした……甚だゲツレイに手を出せたかは疑問ではあるが、その船員達を叩きのめすのは躊躇わない。

 殺さずなら戦える。

 そして、ただ万が一にも相手が手練れだった場合、最悪命のやり取りになっても『誰かを守るため』であれば戦うべきだ。

 そのための力だ。

 少しずつ、あるべき自分が見えてきた少年だったが、

 「あ?」

 「ゲツレイ?」

 彼よりもっと早起きだったらしい。上海からの相棒が、朝日と共に庭に走りこんでくる。

 少女も体を動かしていたらしい。

 現代風でいえば、ジョギングをしてきたようだった。

 「お前も稽古してたのか?」

 「稽古と言うか……

 私は正式に何かを習ったわけではない。体をなまらせないように、近場を走っている」と、訥々と話す。

 「ここはいい所だが、いざと言うとき動けないのは困る。私は君を含めて、大切なものを守りたい。だからだ。」

 「……そうか。」

 「ああ、君も吹っ切れたか?」

 急な質問。

 普段紋切り型で、会話を続ける意思を感じさせないゲツレイなのに、気にしていてくれたと初めて知った。

 自称・姉は、弟を心配していたらしい。

 「ああ」と、頷くジュンケン。

 「俺には人を殺す覚悟はない。でも、だからって大切なものまで守れなかったら後悔する。人を守るためなら戦っていいんだって思えたんだ。」

 「そうか。」

 「そうだ。」

 「そうか……」

 しばしジュンケンの言葉を噛みしめていたゲツレイは、

 「なら、しっかり体を確認しておけ。君、バランス崩れすぎだ」と助言した。

 「バランス?」

 「背。」

 「え?」

 「君、大きくなってる。」

 「えっ‼」

 言われて初めて気が付いた。

 同じくらいの背丈だった、ゲツレイが明らかに小さい?

 慌てた。

 「えっ‼ちょっと待て‼俺とお前、確かほとんど同じ背格好だったよな?」

 「今更気付いたのか。君の方が拳1つ分……いや、2つ分くらい大きいよ。」

 確かにその通りだった。

 今ジュンケンは、少し顎を引いて話している。

 そうでなければ目が合わないし、ゲツレイは少し顎を上げて話しているし……

 「マジかぁ‼」

 「マジだよ。ちゃんと動きを確認しておけよ」と、少女は先に大使館内に戻っていった。

 清を出て、まだ半年に足りない。

 しかし着実に成長している自分に、背の高さであるがはっきり気付けた。

 「よし‼」

 小さく少年はガッツポーズをする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る