第52話 大人のお小遣い帳

 50文(2500円)持って出かけ、11文(550円)余ったとか、現代なら小学生レベルの年少組に比べ、そこはスイリョウとスウトウは大人だった。

 しかし、3両(60万円)を手にしたスイリョウは、使う方でなく隠す方に腐心している。

 実はこの清国大使館、安全性はかなり高い。

 外国の要人をむざむざ被害に合わせれば、日本としての恥となる。

 この前のように移動中ならともかく、江戸に入り大使館を開設してから、攘夷派や物取りに襲われれば沽券にかかわるのだ。

 今も目立たないように、幕府からの護衛が建物の周囲を守っていた。

 だから、盗まれるなんて思ってもいない。

 彼女が隠すのは父親からだ。

 宗近が感じたように、スイリョウは死にたいなんて思っていない。

 ただ、官吏の娘であり出戻りの身、自国では生き辛いと感じていた。

 彼女の目的は『帰らない』こと。

 母親には伝えてある。

 だから『今生の別れ』のように、国を出るとき別れてきた。

 下調べ通り、別に日本も『女性が自由に暮らせる国』じゃない。

 残っても生き辛いことは分かっていたが……

 それでも0から始めたいと願った。

 給料は極力手を付けない。独り立ち資金としてかっちり貯めたい。言葉も少しずつ覚えている。

 ただあの、急に心配性になった父親に悟られるのは得策でない。

 「まあ、下手に隠し立てしないほうが自然に見えるか。」

 独り言ちて、スイリョウは備え付けだった物入れに、小判をそのまま放り込む。

 いつかここを出る、その日まで……

 どこまで資金を増やせるか、だった。


 そして、一方スウトウの方は……

 結局吉原に来てしまった。

 抱きたいとかじゃなく、ただあの日の雪の精のような女に会いたい。

 ……

 いや、実は抱きたいのかもしれない。

 でも、そうなれば嬉しいけれど、それはもっと後でいい。

 もっともっと仲良くなってからで……

 なんて、少なくとも遊女に抱く感情ではない、奇妙な感情が渦巻いている。

 スウトウは長男で面倒見がいい。

 だからこの感覚も、国を、家を離れた自分の代償行為ではないかと思っていた。

 人見知りの不器用者だが、自分には誰か面倒を見る他人が必要なのではないか、と。

 その証拠に、『里見八犬伝』の後は何を読もうかと、数冊の読み物を抱えている。

 雪乃のために買ったのだ。

 以来週に1度、スウトウは吉原に通い出す。

 1分金を払うと、50文お釣りがくる。

 1晩に1分(5万円)近く使う層にとって、お釣りなどはした金で受け取らなかったり、遊女に渡したりするようだが……

 スウトウは堅実に持ち帰る。

 純粋な意味の小遣いにしようと思っていた。

 週に1度通い出して、4回目の逢瀬に、

 「今雪乃は接客中ですよ」と言われ、上がれなかった日があった。

 ここは娼館であると、改めて思う。

 ただ会いたい、話したいだけの青年の胸に、ひっかき傷のようなおかしな感情がよぎる。

 このモヤモヤした思いの訳を……

 スウトウ自身もまだ知らないのだ。

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