第4章 臥竜、老犬と遊ぶ

第44話 姉、妹、弟

 「我慢強過ぎると、死んでしまうよ。」

 つぶやくような老医師の言葉を、理解出来る者はこの場にはいなかった。

 スイリョウの予想通り、遊郭で飲んでいただけの大使と宗近。

 駆け戻ったジュンケンが状況を伝えたのだが、その際、スイリョウに託された魔法の言葉を口にする。

 「姉ちゃんが、『借りを返せ』って言ってた。」

 聞いた途端少し顔をしかめた宗近が、すぐに手配してくれたのがかの老医師で、平良藩のお抱えだった。

 腕は確かだが、この時代の医師らしくオランダ語はいけるが清国語までは無理だった。

 女の子の腹部の怪我で、通訳のジュンケンは部屋の外だ。

 意味が分からずポカンとするスイリョウにため息をつき、医師は少女の傷口……と言うより、腫れあがった周囲に軟膏を塗る。

 分からなくともよいとばかり、

 「炎症止めだ」と、呟きながら。

 ゲツレイは、未だ意識を無くしていた。

 医師は清潔な布で患部を包み、目で合図する。

 スイリョウが夜着を着せ、布団をかける。

 「入っていいよ、少年。」

 日本語の出来るジュンケンが入室し、最初のセリフに戻るのだ。

 「我慢強過ぎると、死んでしまうよ。」


 老医師は、

 「塗り薬の追加と飲み薬は明日にでも届けさせよう」と言って、夜の街に帰っていった。

 今はただ眠っている少女に、歯がゆい気持ちが抑えきれない。

 過去を隠し、傷を隠し、なるべくなら無表情でやり過ごそうとする。

 かわいいのに、きれいなのに、ある意味ひどく自己肯定感の低い少女をめちゃくちゃ甘やかしたくなるのは、これは一種の母性と言うやつか?

 「とりあえず1週間は安静にしてもらいたい」と言っていたし、

 『絶対に無理はさせないし、超甘やかしてやる‼』と、決意するスイリョウだった。

 老医師の見立てによれば、化膿まではしていないらしい。

 「普通なら縫わなければならない、広範囲の切り傷だ。よくくっつけたよ、この娘さん。」

 珍しい、慈しむような表情でゲツレイの頭を撫でた。

 「きっちりさらしで巻いて傷を押さえた。動いても開かぬように工夫した。利口な娘だよ。」

 それだけ修羅場慣れ、大怪我に慣れているのだと思えば、悲しくなる。

 けれど今回は無理をした。

 一行が攘夷派に襲われたからだが、

 「最後に少し無理をしたね。しっかり薬を飲み、軟膏も塗って休めばすぐ良くなる」と保証した、医師の言葉に安心した顔になるのはジュンケン。

 「お、気になるかい、少年」と水を向けると、

 「まあな。上海からで短い付き合いだけど、こいつは俺の妹みたいなもんだから」と、偉そうに言う。

 「弟」と、小さな声がした。

 「お?」

 「ゲツレイ?」

 「君が私の弟だ。」

 少女が意識を取り戻した。

 相変わらずの紋切り型の言葉だが……

 「ふっ。」

 「はは。」

 顔を見合わせ笑う、スイリョウとジュンケン。

 

 姉(スイリョウ)、妹(ゲツレイ)、弟(ジュンケン)の3兄弟らしい。

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