第2章 臥竜、眠ったままで己と向き合う

第16話 小藩の跡継ぎ、横浜へ

 「やっと来た。」

 遠くに見える船を確認、羽織袴姿の青年がホッとしたように呟いた。

 これでしばらく、理由が出来る。

 国に帰らないですむ。

 青年の名は、平良四郎宗近(タイラシロウムネチカ)。

 31歳の、平良藩の後継ぎだった。

 ……

 いかに小国とは言え、大した供もつけずフラフラしていい身分の人間じゃない。

 実は宗近、後継ぎになったのがここ最近なのだ。

 2か月前ほどか?

 江戸屋敷に悲報が舞い込んだ。

 「は?隼正兄上と、長好兄上が‼」

 平良藩長男、平良一太郎隼正(タイライチタロウハヤマサ)34歳と、次男、平良次郎長好(タイラジロウナガヨシ)33歳が、相次いで流行り病で死亡したのだ。

 平良藩は、東北の山奥。

 冬の寒い時期だった。

 藩主、平良多郎好隼(タイラタロウヨシハヤ)には、宗近を除けば子は1人。

 娘である三津(ミツ)32歳は、とうに嫁に行っている。

 4人目だからどうでもいい。どうせ家督はやれないからと、江戸屋敷で自由に暮らしてきた宗近が、問答無用で当確した。

 いい迷惑だ。

 長男と、そのスペアである二男は、剣を習わせ、学問所にも行かせた。

 味噌っかすの三男は江戸屋敷で人質生活、哀れに思った母親が捻出したわずかな資金で、町人の子に交じって学問を習い、剣を学んだ。

 学びに飢えていたからこそ、手習い所の老教師(権力争いに敗れた高名な学者だった)から貪欲に学びつくした。

 剣の鍛錬も怠らず、免許皆伝の腕前となる。

 今宗近が優秀なのは、すべて己の努力である。

 どうせ数年のうちに長男が藩主となる。

 変な火種にならぬよう平良姓を捨てるつもりだった。

 いらない子に、急に『跡取り』が回ってもすこぶる困る。

 父は帰って来いと煩いが、自由でいたい宗近はノラリクラリ延してきた。

 あんな山深い国に閉じ込められるのは真っ平だ。

 と、同時に、藩主の一族としての責任のようなものも感じないこともない。

 要は、彼は迷っているのだ。

 そこに、清国が初の駐日大使を派遣する話を訊く。

 これ幸いと案内係に立候補、めでたく幕府の許可も得た。

 これで、国にまた1年ほどは帰らない言い訳が立った。

 宗近自身が免許皆伝の剣の腕を持っており、貧乏藩を理由に供も最小限。

 彼の後ろには常に初老の男性が傅いている。

 『爺』と呼ばれる、平良家家臣、中野紋次郎(ナカノモンジロウ)、65歳だ。

 「爺、来たぞ。」

 「はい、若。」

 こうして宗近は、清国大使一行を迎える。

 職務でも、義務とも違う、もやもやした気持ちを抱えたまま……


 

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