第8話 田舎役人の駄目?息子

 「はあ……なんで僕、こんな所にいるんだろう?」

 青年はため息をつく。

 上海港の一角で、昼過ぎに出る船を見ている。

 自分もそれに乗るのだ。

 日本に行く大使一行に随行し、その通訳を担うこととなる。

 青年の名はカクスウトウ(敦崇統)、年のころは28だ。

 まだまだ青年ながら髪には白が目立ち、青白い疲れた顔をしている。

 今年の会試も落ちたのだ。

 21歳で郷試に受かって以来、日に15時間は勉強している。日光にもあたる間もなく青瓢箪。動く間も、食べる間も惜しんでいるから、折れそうに細いヒョロヒョロの体躯だ。

 白髪でガリガリ、まるで老人だと独り言ちる。

 昨年父が急死した。

 急に倒れ、2度と目を覚まさなかった。

 科挙試験には金が要る。

 1人の一人前の人間を働かすことなく、食わせ、時に私塾に通わせ、勉強させ続けなければ合格しない。

 貧乏人には無理な相談だった。

 父親は役人で、スウトウは地方の小金持ちの長男だが、下には5人の弟妹がいる。

 才能も有り、長男だからと受験勉強に専念させてもらったが、稼ぎ頭を失ってこの先はそうはいかないだろう。

 幸い郷試は通っている。

 父親がやっていた地方役人なら望めばなれる。

 しかし……

 青年はこれまでの自分を、時に胃を痛め吐きながら勉強した、机にかじりついたまま朝を迎え、数時間の仮眠の後また机に向かった、そんな自分を諦めたくなかったのだ。

 だから最後のつもりで受けた会試に、また落ちた。

 辺りは、

 「広州の天才、逃げたらしいぞ。」

 「なんだ、出来が悪かったのか?」

 「いや、それが……文句なしのトップ合格の答案を残して消えたって。」

 「は?」

 「なんか、下らないって言ってたらしい。」

 試験の途中で脱走した、少年の話題で満ちていた。

 3年前も合格し、役人の横やりで再試になった。

 14歳の少年は、スウトウが全てをかけて届かない、その栄光を投げ捨てた。

 どうしようもなく苛立つ。

 でも、どうしようもない。

 仕方がない、かねてから話のあった『駐日大使の通訳』の仕事を引き受けた。

 彼はそのためにこの1年日本語を学んだ。

 科挙のための時間は割けない。

 さらに2時間睡眠を減らし、仕事になるくらいは話せるようになった。

 1年から2年留守になるが、家には十分は報酬が渡る。家族が飢えることはなく、戻った折にはさらに成功報酬が来る。

 それでもう1度科挙を受けよう。

 ああ。でも、日本にいる間は勉強出来ない。

 受からないかもしれない。

 でも諦め切れない。

 青年は道に迷っている。

 ただそんな塞ぐ心を叩き割るかのごとく、

 「あーっ‼カク君、ここにいたぁ‼」

 場違いな……いや、港だから場違いではない、身分的におかしな大声が響く。

 雇い主の娘は、また、昼間から酔っていた。

 オウスイリョウ(王翠涼)、33歳。

 駐日大使、オウコウウン(王弘雲)の出戻り娘である。

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