第39話 大人になるということ

 ♢


「リュナンはラーナのことが好きなの?」


 教会裏手の人気のない草原。そこに立つ二人の若者のうち一人は、腰に差した剣の位置をいじりながら嘆息していた。


「いきなりこんな場所に呼び出したかと思ったら……昼から酔っぱらっているのか?」

「巡回の途中だからと場所の指定をしたのはリュナンでしょ」


 そんな騎士に対して、怯むことなく半眼を向ける仕立ての良い恰好をした細身の青年。彼は騎士に向かって、少しだけ上ずった声で尋ねた。


「僕、ラーナに告白してもいいかな?」

「……それをどうして俺に聞く?」

「だって、リュナンはずっとラーナのこと好きだったでしょ?」


 問いかけに、若い騎士はあからさまに言葉を詰まらせる。

 その日はとても天気が良くて、だけど風が強かったらしい。短いながらも桃色の髪を掻き分けた騎士が、あからさまに視線を逸らしていた。


「そんなこと、俺は一度も言ったことないが」

「そうだね。聞いたことないから聞いているんだよ」


 追及を緩めない青年に、とうとう騎士は背を向ける。


「くだらない減らず口に付き合わせたいだけなら、もう行くぞ。午後も遠くまで調査に行かねばならない場所があるんだ」

「いいんだね! 僕がラーナをもらっても⁉」


 青年の横顔は真剣だった。二人の仲が良いのは一目瞭然。だけど青年の表情からは惜別にも似た焦りがにじみ出ている。


 そんな友人に、騎士は振り返る。


「……仮に、俺が『嫌だ』と言ったらどうするんだ? おまえは諦めるのか?」

「いや? そんな軽い気持ちで言っているわけじゃないけど」

「なら、俺の許可など要らんだろうが」


 そして、騎士は視線とともにため息を落とす。


「俺はレッドラ家の、ラーナはトレイル家の嫡子だ。万が一結ばれるようなことがあっても……相続や跡取りの話がややこしくなるだけだろう。おまえの方は大丈夫なのか? 爵位がないとはいえ、資産レベル的には下手な貴族より――」

「もう家は弟に任せるよう話を付けてある。というか、始めからそのつもりで僕は城の士官になったんだ。そうしたら……最悪彼女に振られたとしても、一人でそれなりに生きていけるしね」

「抜け目ないな」


 苦笑した騎士はわざとらしく肩をすくめる。


「式で友人代表のスピーチだけは頼んでくれるなよ。俺はああいうのが苦手だ」

「本当にいいんだね?」


 青年の真剣な疑問符に、騎士は自嘲にも似た笑みを浮かべた。


「だから、俺の許可など要らんだろうが」

「ふーん……そんな真面目なだけだと、いつか大切なものを失くすよ? その時になって後悔しても、僕は助けてあげられないからね」

「なっ」


 再び言葉を詰まらせた騎士に……今度背を向けるのは、青年の方だ。


「ごめんね。僕は先に行くよ」


 そして、青年は画面からひとり消えていく。取り残された騎士は一瞬迷子になった子供のような顔をしてから「くそっ」と舌打ちしていた。


 ♢


「バルサ様、旦那様、無断でラーナ様にお見せして申し訳ありませんでした」


 そこで、私は映像を切る。

 だいたい三分くらいの映像が終わった途端、ラーナ様が膝から崩れ落ちた。


「何よ……何よ、この話は……」


 目からぽろぽろと涙を零している。さっきの私と一緒。

 だけど、あれはきっと私とは違う涙。


「リュナンが、私のこと好きだったなんて――」


 先の映像で、決して旦那様はラーナ様への感情を吐露していないけど。

 ラーナ様はたしかな確信をもって、膝をついたまま旦那様の腕に縋る。


「だって、あなたは昔から自分を助けてくれた小さな聖女のことが――」

「覚えてないんだ」


 言葉の途中で、旦那様は言った。


「ラーナが何を勘違いしているかわからないが……俺は、その聖女のことを覚えていない」


 先ほどのように、冷たい言葉ではない。それはまるで、映像でのバルサ様のように何か決意したような寂し気な顔で。


 私は目を伏せながら説明を挟む。それが私の義務のような気がしたからだ。


「致死からの奇跡の治療は、一時の記憶喪失が伴うことが多々あります。死の記憶というのは日常に大きく影響するほどの恐怖を伴うので、現在の治療法では回復させないケースがほとんどです」 


 実際、旦那様は今も水が苦手らしい。お風呂など日常生活に支障があるほどではないようだが、その時の記憶が鮮明に残っていた場合は、そうした生活にも影響が出ていたかもしれないだろう。それを考えると、当時治療した聖女の腕前はなかなかだったといえる。……あっ、今までの話を総括すると、私なんだっけ?


 だけど大切なのは。忘れてしまった昔のことより、今のこと。


「恋愛とか……なんで二人ともそうなの……?」


 ラーナ様が、旦那様の腕から手を離す。


「私はただ……ずっと三人で居られれば、それでよかったのに……」


 三人でずっと友達でいたかった。

 三人で同じ学校に通って。三人で同じ職場に通って。

 そんな生活をずっと続けたかった――と。


 泣き崩れるラーナ様に、旦那様は触れない。助け起こすこともない。

 ただ静かに見下ろしたお顔は、どこか悲しげだった。


「俺は、きみのことが好きだったよ。明るいきみが。常に前向きなきみが。どんな逆境に立たされようと、自分の力で頑張ろうとしているきみが。そんなきみのことを、俺はずっと大好きだった」

「……もう過去形なのね」

「あぁ、俺の初恋だ。初恋が叶うなんて……それこそ物語の中だけだろう?」


 旦那様の青い目がちらりと私を映して。そのまま私に向けた笑みが綺麗だった。


「俺は存外、今の生活が気に入っている」

「あーあ。振られちゃった」


 そう軽く苦笑するラーナ様に、旦那様もゆるく微笑む。


「振ってはいないさ。俺はきみに告白されたわけじゃないんだから。きみはちゃんとバルサのことも好きなんだろう?」

「……もちろんよ」


 そんなラーナ様に手を差し出すのは、仕立ての良い服を着た細身の青年だ。彼は今のやり取りを見てもなお、ラーナ様を慈しむように見つめている。


 表情を崩すのはラーナ様の方だ。


「バルサ、ごめんなさい。私――」

「僕は、そんなずる賢いラーナも愛してるよ」 


 そんなラーナ様をバルサ様は抱きしめた。細身の青年。だけど腕に抱いた震える女性の方はさらに細い。そんな妻に言い聞かせるように、バルサ様の口調は終始優しかった。


「リュナンのことも、僕のことも、両方自分のものだと思ってたんでしょ? 強いて順番をつけるなら、一番がリュナンで次点が僕かな? ……君は自覚したくなかったんだろうけどね」


 そう問いかけるバルサ様に、ラーナ様は「最低な女でしょう?」と顔を歪める。だけどバルサ様はラーナ様の肩に顔を埋めた。


「僕も同類だよ。真っ向から行ったら奥手なリュナンが引くってわかっていて、あんな会話を仕掛けたんだから。そんなリュナンだから……僕らは好きで好きで仕方ないんだけどね」


 そして顔を上げたバルサ様は、ラーナ様の頭を撫でる。


「一番の幼馴染が他のひとのものになったんだ。そりゃあ寂しいさ」

「バルサ……」

「ずっと三人で居られたら良かったのにね」

「……うん」

「大人になるって、大変だね」

「……うん」

「僕らが男で、ごめんね」

「それ、私が男だったら良かったの間違いじゃないの?」


 顔を上げ、意地悪く笑うラーナ様。

 バルサ様が腕の力を強めたのが、傍から見てもわかった。


「やだよ。僕は女性のラーナが好きなんだから」


 そのあとバルサ様が「男同士のそういうのは趣味じゃないしなぁ」なんて笑う。

 私が旦那様に「男同士のそういうのって何ですか?」と訊いたら、「知らなくていい!」と真っ赤な顔で言われてしまった。しょんぼり。

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