第38話 紙っ切れ1枚の信用


「旦那様って、お強いんですか?」

「まぁ、小さい頃からあのセバスに鍛えられているからなぁ」


 あのセバスっておっしゃるけど、セバスさんはとても優しい。

 だけど、旦那様が「すでに軽くボコってしまった」と言った司教様は、元から丸かったお顔が歪にボコボコして、所々に打撲や打ち身が見られた。


「司教には誘拐罪はもちろん、横領罪と公的文書の複製、並びに職務道徳違反や労働の強制や暴行脅迫罪等、余罪が多々あるようだからな。正式な逮捕引き渡しはこれからだ……とりあえずやってしまったが、何とかなるだろ」


 騎士様という立場上悪いひと相手でも、一方的に『ボコボコ』にしてはならない決まりになっているらしい。だけどここまで来る間にも、教会の衛兵たちや刺客っぽい人たちがゴロゴロと倒れていた。全員息はあるようだし……司教様より見た目的に『ボコボコ』な人はいなかったけど。


 その上で。教会内の煌びやかな応接間で、司教様は重そうなローテーブルの脚に紐で繋がれているのだが……ギリギリと必死に逃げようとしていたようである。上がってきた私たちを見るやいなや「ヒィ⁉」と声にならない悲鳴をあげていた。


 旦那様が訊いてくる。


「仮にも……育ての親がこのような目に遭っていたら気が咎めるか?」

「……自分でも、よくわかりません」


 たしかに、私は三歳の頃に教会に引き取られてから、ずっと司教様に面倒を見てもらっていた。だけど……うろ覚えの記憶を探っても、教会にいた頃に誰かに優しくしてもらった記憶はない。褒めてもらったのは水道開発の一度だけ。あとは怒られているか、鞭で打たれているか、せせら笑われているか。


 だから、私はマナの式を描く。大した式ではない。ただテーブルと司教様を繋ぐ紐が緩くなってしまっているから、上からマナの紐でギュッと結び直すだけだ。司教様が「ふぎっ」と潰れたような声を発するけど……すぐさま怒鳴ってくるから、問題ないだろう。


「この無能が! オマエは命の恩人への報い方すらわからんのか⁉ 今すぐこれを解け愚図! 公爵家に買われたからと調子に乗りやがって。紙っきれ一枚だけで式も挙げとらんくせに。正式に捨てられたあとは鞭打ちのみならず――」


 それに、言葉を返したのは旦那様だった。


「次期レッドラ公爵夫人に、なんて口を利いているんだ?」


 ドス利いた低い声音に、思わず私の方が驚いてしまうけど。そのあと私に向けてくる声音は、いつも通りの旦那様だった。


「うるさいから、口を塞ぐこともできるか?」

「できます」


 司教様が再び怒鳴ってくる。


「この裏切り者め!」

「……裏切っていません。私はもう、教会の人間じゃありませんので」


 そう――紙っ切れ一枚で保障された『次期公爵夫人』だけど。その一枚をこの人は絶対に守ろうとしてくれる方だから。


「私は、旦那様の書いた紙っ切れ一枚を信じます」


 そして、私が再び奇跡で作ったテープで司教様の口を塞いだときだった。


「遅れましたが……何も問題はなさそうですね」


 部屋に入ってくるのは、きっちり執事服を着たセバスさんと、いつものメイド服のコレットさん。あともう一人――


「話は聞いたよ」

「……バルサ」


 その方を呼ぶのは、私たちの後ろでずっと震えていたラーナ様だ。彼女を一瞥してから、旦那様は私に訊いてくる。


「正直……これからする話は、きみにとって面白くないだろう。先にコレットと屋敷に戻っていても構わないぞ」

「私がいては……旦那様に不都合がありますか?」

「気まずいのはたしかだが……きみが聞きたいのなら構わない。その権利がきみにはあるだろう」

「なら、この場にいたいです」


 だって、旦那様が私を厄介払いしたわけではないようだから。

 だったらなぜ、ラーナ様が私をここに連れてきたのか……私はラーナ様のことが知りたい。


 ――それに、旦那様は『一緒に帰ろう』と言ってくれたし。

 ――私も旦那様と一緒にあのお屋敷に帰りたい。


 すると旦那様は私に「疲れただろう」とソファに座るよう促してくれた。たしかにそこそこ奇跡も使ったのと気疲れもあって、そろそろしんどい。今倒れるのは迷惑だろうとご厚意に甘えて腰かければ、旦那様も同じソファの隣に座ってくる。


 そして、旦那様が膝の上で両手を組んだ。


「じゃあ、ラーナ。話してもらえるだろうか?」

「ふん。彼女のことが目障りだったから、遠ざけようとしただけよ」


 そんなラーナ様の隣に、バルサ様は動こうとしない。ただセバスさんの後ろで黙って立っているのみだ。そんなバルサ様をチラリと見てから、ラーナ様は小さく笑って、私を見下ろした。


「なによ。リュナンの髪と同じ色の服? うちに来た時もその色の服で来たと思ったら、家でも同じ色だなんて。そのかわい子ぶりっ子の態度も気に食わなかったわね。私かわいいのつもり? 貴族に媚び売るなんて、孤児上がりは大変だろうと思って――」


 どうやら、私は揚々とラーナ様に捲し立てられているらしい。

 えーと、それらの意見を総括すると……?


「ラーナ様は、私がお嫌いなんですか?」

「そうよ」

「なぜ私のこと嫌いなんですか?」

「…………」


 ムスッとしたラーナ様は答えてくれない。

 だから考えてみる。懺悔室で聞いた女性の話から推察すると……女が女を嫌う理由というのは、だいたいが嫉妬によるものらしい。見た目や所持品、才能、婚約者などを含め、相手の持っているものが妬ましい。または同族嫌悪によるもの。私とラーナ様が似ているわけがないから、その答えは前者しかない。


「私に、嫉妬しているんですか?」

「……やっぱり、あなたのこと嫌いよ」


 そして、ラーナ様は自嘲する。


「あなたが来なければ……こんな私が嫌いな女々しい女にならなくて済んだのに」


 ――ラーナ様が、私に嫉妬?


 どこにそんな要因があったのか、私にはさっぱりわからない。

 だけど、だからこそ……多分どこかで私たちは……いや、彼ら三人がすれ違っているのだとしたら。ラーナ様が知らないことが、何かあるんだとしたら。


 ――あっ。


 ひとつ思い当って、私は慌てて旦那様に尋ねる。


「あ、あの。教会の管理者である司教様が罪で裁かれるのだとしたら、教会の設備はすべてレッドラ家が回収するのでしょうか?」

「あ? あぁ……まぁ一時預かりという形で、すぐさま王家に提出することになると思うが」

「なら、今はレッドラ家の夫人が使ってもいいですよね?」


 レッドラ家の夫人……すなわち、私。

 私は慌てて立ち上がり、駆けだした。


「ちょっと! ちょっとだけ皆さんで待っててくださいね!」

「ノ、ノイシャ様⁉」


 急いで追いかけてくるのは、ずっと控えていたコレットさん。あ、あちこち怪我しているみたい。すぐに治療してあげたいけど……ごめんなさい。少しだけ待ってください。


 懐かしい道を走っていれば、見知った聖女たちがチラチラと私の方を見ている。その視線を気にせず、私は慣れた倉庫の扉を開き、目的のものを即座に探し出す。


 棚にたくさん並べられているのは聖珠せいじゅと呼ばれる頭サイズの水晶玉。教会の内外をだいたい十年間分記録している。屋敷で『さんまん令嬢方』の暴露録画に鏡を用いたのは、聖珠の代用だ。銀も水晶ほどじゃないけど、マナの伝導率が高いから。


「ノイシャ様~。何をお探しなんですか?」


 旦那様に見られたくないものでも隠してたんです? なんてコレットさんは聞いてくるけど。答える暇はない。聖珠に録画してある映像の一つ一つを早回しで頭の中に流しているから。頭が痛くなってきた、ギリギリの時――私は該当の映像を見つけて。


「あった!」


 目的の聖珠を抱えて、私は慌てて来た道を戻る。すると旦那様が眉根を寄せてきた。


「ノイシャ。申し訳ないが今はあまり時間が――」

「三分だけ時間をください!」


 私はすぐさまマナの式を描き、水晶の中に移す。

 そして、水晶を壁に向けて掲げた。

 映る姿に、旦那様とバルサ様が「あっ」と小さく声をあげる。


 そこには、少しだけ若い旦那様とバルサ様が映っている。

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