第30話 聞きたくなかった本音(リュナン編)

 ♦ ♦ ♦


 ラーナと二人きりで話す機会はあまりない。

 先日のように仕事中の空いた時間で顔を合わせることはあるが、職場以外の場所ではめっきりなくなった。それも当然だろう。彼女は他の男の妻になったのだから。

 だから彼女とまともに話したのは、あの時以来だろう。



『ラーナはバルサのことが好きなのか?』

『いきなり呼び出されたかと思ったら、まさかそんなこと?』


 たまたま俺が一日休みになって、ちょうどラーナも休みだと聞いて。たまには茶でも一緒に飲むかと屋敷に呼んで。いつものラーナの一方的なお喋りの合間にそんなことを聞いてみれば、ラーナが紅茶を吹き出しそうになってしまった。


 それでも、ラーナは口元を拭いてから挑発的に笑う。


『そうあなたが訊くってことは、バルサに何か言われたの?』

『…………』


 ラーナは昔から察しのよい女だ。それでもそれ・・を伝えるわけにはいかないから茶を飲んで誤魔化していれば、彼女が小さく笑う。


『仮に、私とバルサがくっついたらどうする?』

『どうって……祝儀は何がいいか聞くかな』

『あら、あなたはそれでいいの? 私はリュナンとバルサがくっついたら寂しいわよ?』

『くっつくわけがないから安心しろ』


 彼女の軽口への切り返しは容易いものの。


 ――いいわけないだろう。


 俺とラーナはお互い大貴族の嫡子同士。さらにラーナは世に珍しい女当主になるべく、過酷な環境の中で日々戦っているんだ。それを全て捨てて、俺の元に嫁いで来いなど。逆に、俺も公爵位の地位を捨てて侯爵家の婿になるなど……俺にはできないから。


 俺は軽口の延長の体で、肩をすくめた。


『いいも悪いも……大切な友人が二人揃って幸せになるんだ。これほどめでたいことはない』

『そう……わかったわ』


 その日は何となく会話のペースが落ちて、自然とお開きになった。

 ラーナとバルサの婚約が告げられたのは、その一週間あとのこと。


 

 それから久しい、職場以外でのラーナからの誘い。

 ラーナに連れていかれたのは、書斎部屋の一室だった。


 窓の外には、先までいたあずまやが見える。ノイシャはバルサと二人きりのまま、何かを話している様子だ。早く戻りたい。


 だって、ラーナの用件は明らかに仕事とは別なのだから。


「さっきのは何なの? ノイシャさんが一生懸命作ったなら、もっと美味しそうに食べてあげれば――」

「美味かったさ」


 その文句を、俺は最後まで聞かずに遮る。

 あのアイスが美味い。そんなこと、毎晩夜食に出されていたから知っている。たとえノイシャがもう寝ていたとしても、セバスから毎日聞かされていたんだ。今日はどこどこからミルクを取り寄せただの、とうとう生クリームまで自作しだしただの。このまま酪農まで始めてしまうのではという楽しげな様子を、毎晩聞きながら食べるアイスはとても美味しかった。


 しかも、なぜ桃味かと訊けば――俺の髪色が桃色だからだという。旦那様のことが好きなお友達だからこそ、桃味もお好きなのではないかと……なんという理屈だ。どこからそのこっ恥ずかしい発想が出るのか小一時間問い詰めてやりたかったが、ノイシャがあまりにも自信に満ちた顔で言ってくるものだから、俺は何も言えなくなってしまったんだ。もちろん、コレットが止めてくれるわけもなく。


 だが三人がそこまで熱中して作り出したアイスが、不味いわけがない。


「だったら――」

「ラーナに言われる筋合いはない。夫婦の問題だ」


 だけど、それをラーナの前で言うのは憚られた。

 本来の目的通りの溺愛を見せつけるなら、これでもかと絶賛し、俺が自慢するのが筋なのだろう。それでも……そんな幸せな日々を、なぜか彼女に見せつける気になれない。


 ――まだ俺はラーナを……?

 ――それとも、俺は……。


 ラーナは少しだけ視線を落としていた。


「……そうね。よその……しかも旦那の女友達が、家庭の事情に口を挟むものではないわね」


 そう、今のラーナは別家庭の女亭主。

 そんな女に、俺こそ文句を言わねばならないことがある。


「それよりも、さっきのラーナの言動に俺は苦言を呈したいのだが」

「私の?」


 ――しらばっくれやがって。


 こういう時ほど腹立たしい。その聡明さは、昔と何も変わらないけれど。


「ノイシャがどんな境遇で教会にいたか、話さなくても察しているだろう?」

「だから言ったのよ」


 誤魔化せないとわかれば、きっぱりと認める。

 そんな胆力も、ノイシャとはまるで違う。彼女はれっきとした貴族の女だった。


「リュナンの奥さんだから? そりゃあ私も仲良くしたいし、仲良くするつもりよ。それに悪いひとじゃないとは思うし。健気で可愛らしいんじゃないかしら?」


 長い枕詞のあとで、彼女がどこからと取り出した扇で口元を隠す。


「でも、私は嫌い」


 吐き捨てた言葉は、扇を貫くほどに鋭い。


「不遇な境遇に耐えている自分が可哀想? そんな自分が可愛い? 自分の人生くらい自分で切り開けないような、そんな男の後ろに隠れているだけの女は嫌いよ」


 そして、俺を見上げる顔は明らかに嘲笑だった。


「ま、そういう女を男が好むってのも知っているけど?」

「何が言いたい?」

「別に、何も?」


 ――なんでこんなに機嫌が悪いんだ?


 毎朝毎朝、ノイシャにはあんなに楽しげに話しかけていたのに。

 そもそも、今日彼女に遊びに来るよう誘ったのもラーナだ。その上で『嫌い』などと……。別に、今日のノイシャの言動に彼女の気を逆撫でることがあったようにも思えない。


 だけどラーナ自身は、世にも珍しい次期女当主になるべく、不遇の境遇の中で常に戦っている女性で。俺に保護されているノイシャに嫌悪を感じているのだとしても。


「それを、俺に言ってどうしたいんだ?」

「あら。幼馴染に本音を吐露したらいけない?」


 ――始めから、彼女のことが気に食わなかったのなら……。


「俺は……聞きたくなかったよ」


 嘆息交じりで本音を吐けば、彼女は「あんまり私に幻想を抱かないでよ」と肩を竦める。

 その後、自嘲するように笑う瞳は、どこか悲しげだった。


「私だって、ただの女なんだから」




 その後、俺らに会話はなかった。

 しばらく無言が続いたあと、「それじゃあ戻りましょうか」というラーナの一言で、再び移動したに過ぎない。引き続き会話もなく歩けば……そこかしこに思い出が浮かび上がる。

 このトレイル家の別邸もまた、幼い頃からよく訪れていたからだ。


 ――俺はラーナに、どう思ってもらいたかったのだろう。


 当てつけのように他の女を娶って……喜んでもらいたかったのか? 安心してもらいたかった? 嫉妬されたかった? それとも……。


 その中で、ラーナがぽつりと話してくる。


「やっぱり、さすがのあなたも命の恩人は別なのね」

「命の恩人?」


 俺に恩人と呼べる相手など……セバスやコレット含めた家族を他にするならば、水難に遭った時に自分を助けてくれた目の前の女ラーナくらいしかいないのだが。


「何を言っているんだ? あの時助けてくれたのはきみだろう」

「ふふっ。そう言ってくれる善意は、素直に受け取っておくべきかしらね?」


 そんなことを話しているうちに、ノイシャたちの元に戻る。

 存外楽しそうな彼女たちの談笑風景に驚きつつ。そして少し嫉妬する自分に驚きつつ。

 俺は平静を装って声をかける。


「何を話しているんだ?」


 彼女はサンドイッチを食べていたのだろう。膨らませた頬をもぐもぐとへっこませてから、淡々と口を開いた。


「保冷バッグの有効活用法について議論をしてました」

「バルサ⁉」


 ――ノイシャが天才聖女だと公になったらどうする⁉


 彼女の有能さが世間に知れ渡ってしまえば、即座に王家か教会から引き渡し要請が来ることは必然。そんな悪目立ちさせてたまるかと非難を口にすれば、何も知らないバルサは俺に顔を近づけて、指を見せてくる。


「大丈夫――利権はしっかりと六:四でどうだろう?」

「ど阿呆!」


 俺がバルサを怒鳴る横で、ラーナが何事もなかったかのように笑う。

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