第29話 懺悔室を出たあとは

 ♢ ♢ ♢


 それは、初めてお会いした日に〈あのひと〉だって、もちろん声で気がついていたの。

 その時のお話の登場人物は――もちろん推測しようと思えばできたんだけど。

 私は考えなかった。だって、考えたって関係のないことだから。


 私は旦那様に買われた身。旦那様にどんな事情があったって、私には関係ないこと。関係があってはいけないこと。


「ちなみに、その時の話ってノイシャさんの中だけにとどまっているのかな?」

「それは……旦那様に話したか、とお尋ねしたいのでしょうか?」

「うん。まぁ……そんなとこ」

「旦那様には話していません」


 バルサ様の不安に端的に答えれば、彼はわかりやすく安堵の顔をしている。

 あまりにほっとしているから……ちゃんと事実は教えておくべきだろうと判断した。


「ただ……正直なところ、懺悔中の話は聖珠せいじゅに全て記録してありますので。司教様が見ようと思えば、いつでも見られるようになってます」

「え、教会の懺悔室ってそんなシステムだったの⁉」

「はい、定期的に早回しで私が内容の確認もしておりました」


 コレットさんをいじめていたマチルダさんたちを鏡に録画した奇跡と同じ術式だ。ただ聖珠は純度の高い水晶で出来ており、銀製の鏡よりさらにマナが通りやすい。そのため残した映像は半永久的に、そして長時間保存できている。


「まぁ、あまりおおやけにはしないでいただきたいことですが」


 ただバルサ様が驚いた顔をしているように、懺悔は秘匿でその場限りだからこそ、人々は心の内を曝け出せるわけで。司教様曰く、区切りはあるとはいえ密室である以上、中で何が起こるかわからないからと。私たちを守るために録画しているとおっしゃっていた。


 そして、いつ如何なる場所で冒涜者が出現するかわからないからと、教会内の各所にも設置してあった。ゆくゆくは王都全域に設置するよう働きかけていたみたい。


 まぁ、それは今は関係のない話なので。

 現に、バルサ様も録画のことはあまり気に留めていない様子で。


「でも……ありがと。リュナンに話さないでくれて」


 そう、感謝を告げてきてくれるから。


「話す必要が……ありませんので」


 私は大したことしてない……というか、何もしてないのに。

 心がほっこりしてしまう自分がなぜか恥ずかしい。

 だから、ついつい口が滑ってしまう。


「そのあと、教会の裏で旦那様と話していたこともありましたよね?」

「あれは……絶対にラーナには言わないでくれる?」


 ますます慌てだしたバルサ様に、私は苦笑した。


「もちろんです。聖女には守秘義務がありますので」

「でもよく覚えているよね? しかも早回し? なんでしょ?」

「本を読むのと一緒です」


 そう答えると、クッキーを一口齧ったバルサ様が手を打つ。


「あ~なるほどね。さっきの本の話から、速読ができるんだろうなとは思ってたけど。それも速読技術の応用か……すごいね。ねぇ、お城で働いてみない? できたら僕の下に付いてくれるととても助かるんだけど」


 ――お城で、働く……?


 それはおそらく、すごく光栄なお誘いだと思うんだけど……。

 だけど、ひとつの疑念から私は小首を傾げる。


「私……三分以上働くと倒れるんですけど、大丈夫ですか?」

「三分?」

「はい……昔は、もっとずっと働けたんですけどね」


 なんせ睡眠時間の二時間以外、ずっと働きどおしだったから。だけど今は、三分気を張っているだけで疲れてしまう。我ながら……ずいぶんと情けなくなったものだ。だから『聖女』ではいられなくなってしまったのだろう。


 それに、バルサ様がお腹を抱えた。


「ははっ、三分じゃあ城で働くのは無理だ!」


 ――本当ですよね。


 笑い飛ばしてもらえるのが、とてもありがたい。

 もう、聖女じゃない。

 それがずっと、心に穴が空いてしまったように寂しい気持ちだったから。


 ――だけど……。


 私はぬるくなった紅茶をいただいてから、おずおずと視線をあげた。


「あの、差し出がましいとは思うのですが」

「ん?」


 私は聖女じゃない。それは旦那様との契約書に記してあること。


 聖女じゃないなら……もう自分の意見を言ってもいいんだよね?

 コレットさんみたいに、言いたいこと言ってみてもいいんだよね?


「ラーナ様はとても素敵な女性だと思います。私は短い付き合いですが……旦那様もバルサ様も、惹かれて当然だと思います」


 バルサ様は何も言葉を返してくれない。

 わわっ、やっぱり私なんかが余計なこと言ったらダメだったのかな⁉

 だけどここで止めるのもおかしい気がして、私は最後まで早口で捲し立てる。


「だけど、ラーナ様が惹かれたのはバルサ様だった。それだけだと思います!」

「……うん」

「それだけなんです。失礼しました……」


 頭を下げれば、バルサ様は「ぷっ」と吹き出してから目端を拭っていた。


「僕は……リュナンに引け目を感じなくても、いいのかな?」

「それは私にはわかりません。旦那様は素敵なひとですから」


 どっちが素敵かなんて、私にはわからない。少なくとも、こうして嫌な顔ひとつせず私なんかの話を聞いてくれたバルサさんもいいひとだし。


 ――旦那様……リュナン様は――


 ふと思い浮かべるのは、泥だらけになって懸命に働いていたお姿。

 あの凛々しい横顔が……私は何を考えているのだろう。


 それを誤魔化すために、私は言葉を続けた。


「バルサ様も素敵なひとですよ。なんせ、ラーナ様がお選びになったんですから」

「ははっ。なんか……心が軽くなったよ。さすがは聖女様だね」

「元聖女です。今は旦那様のらぶらぶ奥さんです」


 あっ、いけない。らぶらぶ奥さんは契約書内のことだから、言ったらいけないんだよね。

 やっぱり長丁場はしんどいけれど、心の中で自分の頬を叩いていると。

 バルサさんは私の失言なんか気にせず、とてもやさしい顔を向けてくれていた。


「そっか。最初はリュナンが身請けしたと聞いてとんでもないと思ったけど……君みたいなひとがリュナンのそばに居てくれてよかったよ。さすが運命の相手だね」


 ――運命の相手?


 何のことかわからず、思わずまばたきしていると。

 バルサさんが驚いた様子で小首を傾げていた。


「え? ラーナが言ってたよ。リュナンの初恋の相手は命を救ってくれた聖女だって」

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