第16話 ボーナスだ!!


「それで、欲しいものがあると?」

「はい、お洋服がほしいです!」


 夜の談話室。対面に並べられたソファに座って、私はボーナス内容を告げた。

 それに、旦那様だけじゃない。私たちの後ろに控えているセバスさんもコレットさんも、少し驚いた様子。少ししてから、旦那様が口を開く。


「……コレットの用意した服が好みに合わないなら、自由に買い替えてくれて構わないぞ。それはボーナス関係なしに初期からの契約内容である『衣食住の保証』に含まれている案件だから、特に今回の事案は気にしないでもらいたい」


 コレットさんの用意してくれるドレスは全部素敵。素敵すぎて萎縮しちゃうくらい。

 でもそんな勘違いされちゃうのは悲しくて。申し訳なくて。私はちょっとしょんぼりする。


「ちょっと、特別なものを作りたくて……」

「ドレスか?」


 その問いかけに、私は首を横にぶんぶん振った。

 そして、まっすぐに主張する。


「いえ、ジャージです!」


 私がぐーたら時間内に描いた図面をローテーブルに置くと、三人が一斉にテーブルを覗き込んでくる。そして、彼らは同じことを口にした。


『なんだこれ?』




 ジャージとは。

 教会で書庫の整理をしていた時に見つけた古い本に載っていた布の素材である。

 基本的な織り方はニットと同様。メリヤス編みという表面と裏面で交互に編んでいく構造上、布に伸縮性ができるという。ニットは大抵羊毛などで織られるが、そこをさらに細く、伸縮性の高い糸できめ細かく織っていくことにより、どのように動いてもまるで服を着てないかのような、極上の着心地を体感できる洋服ができるという。


 その古文書――一般では『禁書』と呼ばれているらしい――は、創世記時代にこの世界の文明レベルを向上させたという異世界人が記した書物だったけど……司祭長に複写しろと命じられたから、毎日深夜にコツコツ書き写していたの。古代語なんて始めはただの絵と記号としか思えなかったんだけど、毎日複写していったら、次第に規則などがわかるようになって。いつしか、私はその書物の内容がわかるようになっていた。


 複写したものが、何に使われていたのか私は知らないけど。

 その中に記してあった遺物の中で、特に憧れていたドレスがこれ、ジャージです‼


「いや、どんなものかは何となくわかったが……ドレスが伸び縮みするのか?」

「貴族の皆さんが着ているもののことを『ドレス』というんじゃないのですか?」


 旦那様からの問いかけに疑問符を返せば、旦那様は「うーん」と頭を抱えてしまう。そしてしばらく考えてから、青い瞳だけあげてきた。


「使用用途を尋ねたい。このドレス・・・を、どんな時に着たい?」

「寝る時に着用したいです。極上の着心地ということなので、きっと極楽の『ぐーたら』が味わえると思うんです‼」

「なるほど。わかった。きみの願望に一縷の歪みもないことがわかった」


 ……なんでだろう。わかってもらえたのに、なぜか釈然としない。

 だけど旦那様は再び「なるほどな」と顎を撫でてから図面を手にする。


「コレット。パジャマを一着つくるとして、必要分の布を織るために、糸はどのくらいの長さが必要になる?」

「セーターが毛糸十個分でおよそ六百メーター。それを上下と換算して千二百。でも細い糸となると……糸の太さ自体が三分の一以下になるのでしょうか。だとすれば、千二百を三倍にして――」


 計算しながら話すコレットさんの言葉を、旦那様は「ありがとう」と打ち切る。

 そこで再び、旦那様は対面に座る私に視線を向けてきた。


「というわけだ。このきみが要望する『伸縮性の高い糸』というのが、そもそもかなりの希少性だろう。偏見もあって申し訳ないが、きみが製糸組合などに伝手があるようにも思えないし、残念ながらレッドラ家うちもその手の組合とは縁がない。豪商でもあったバルサの生家に頼んだとしても……誠に申し訳ないが、それほどの量の糸を用意してあげることは――」

「あ、大丈夫です。十センチくらい糸があれば、あとは私が複製できます」

「複製?」


 旦那様がこれでもかと眉根を寄せている。何かいいものはないかな~と見つけたのは、テーブルの上に置かれたシュガーポット。それを「少々借りますね」と手元に引き寄せて、蓋を開ければ四角いお砂糖が五個くらい入っている。


 私はその上で、指を躍らせた。黄金のマナで描く式は、もちろん複製。

 その式を一つ描き終わると、お砂糖がポコンと一つ増える。

 さらにもう一つ描き終わると、お砂糖がポコンと一つ増える。

 調子に乗って複雑化した式を描けば、お砂糖がポコポコポコと増えて。


 旦那様に「待てーい!」と声をかけられた時には、角砂糖がポットから溢れていた。

 私が「はい、待ちます」と両手を膝の上に戻せば、旦那様含めた三人が再びテーブルを覗き込むようにして、目を丸くしている。


「これも……奇跡か?」

「禁書に載っていた式なので、規則的に教会に居た頃は使えませんでしたけど……マナの消費量はさして多くありませんし、この程度なら体調にも何も支障がありません」


 実際に今も身体が怠いとかもないし、ふらふらもしない。なんだったら、あと百個くらいお砂糖を量産することだってできそう!


 それが伝わったのか、旦那様が「なるほど」と頷いてくれる。


「それなら了承した。すぐに国一番のデザイナーを手配してみよう。だけど……話していて少々気になったのだが」

「なんですか?」

「きみは今、元気そうだな?」

「?」


 どういうことだろう? わからず首を傾げると、旦那様が頬を掻く。


「いや……もう会話をし始めて三分以上経つだろう。話し方もその『お仕事モード』とやらと同じように流暢だし、疲れないのかと……」

「あー、言われてみれば」


 そういえば、私けっこうお喋りできているような気がする。気持ちが高揚して全然気づいていなかったな。


「私、今やっほいなので!」

「……楽しいということか?」

「たぶん? ずっと夢見てたジャージが着られるかもしれないって、ワクワクしてます!」


 思っているままに伝えると、旦那様が破顔する。


「そうか。それなら良かった」


 その時、スッと旦那様の後ろに立ったコレットさんが、旦那様の頭を自然に肘で小突いていた。何気ない様子だけど……旦那様は顔をしかめて「なんだよ」と視線を上げる。するとコレットさんはスンと澄ましたまま、一言だけ言った。


「名前」

「……」

「ノイシャ様。名前」


 あ、なんか呼ばれた。だから私が「はい、ノイシャです」と応えたら、コレットさんが「もうちょっと待っててくださいね~」と笑顔を向けてくる。直後に旦那様を見下ろす視線が、ちょっと怖い。


 すると、旦那様はわざとらしく咳払いして――私のことを見やった。


「俺はこれから……仕事以外の場所でも、きみのことを『ノイシャ』と呼んでもよいだろうか?」

「あ、はい。嬉しいです」

「敬称はいるか?」

「ない方が心がやっほいします」

「それなら良かった。なら、ノイシャは俺のことをなんて呼びたい? 勿論、仕事以外の時だ」

「……」


 ――それ、私が決めていいことなのかな?


 セバスさんに助けを求めれば、優しい笑みを浮かべながら頷いてくれる。

 あ、いいんだ? 私が決めていいんだ?

 嬉しい。私が、何かを自分で決められることが嬉しい。

 だけど同時に、ちょっぴり難しい。

 私が一生懸命頭を悩ませていると、旦那様が小さく吹き出すように笑った。


「ゆっくり決めてくれて構わない。今日明日で終わる付き合いじゃないからな」


 そして旦那様はコレットさんにまた紙とペンを用意させる。また契約書に追記するのだろう。私は一連の流れに、目をみはることしかできなかった。




 今日、明日で終わらない付き合い……。

 だったら、この付き合いはいつまで続くのだろう。


 私は部屋に戻ってから、契約書を確認した。

 何度書類を読み返しても、終了期間に関する記述はない。

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